2017-11-24

我慢するひとたち

わたしはiPhoneをドコモで使っているのだが、近くにあるスーパーの半地下食品売り場が非常に電波が悪く、困っていた。電波状況が悪いと食材やレシピの調べものをしたり、家人にメッセージを送って食材の有無を問い合わせしたりすることができない。そのため、過去に何度か改善依頼を出した。ドコモ本体には二回、店舗側にも一回。携帯に異状がないかどうかAppleにも問い合わせを出した。

最初に依頼を出してから半年ぐらいが経過し、最近になってようやく電波状況が改善され、店舗のどこでもふつうにインターネットに接続できるようになった。じつは店舗に電話で問い合わせをした時、同じような文句をだれかがいっていないかどうか聞いたところ、他には一人もそういう人間がいなかったそうだ。みな、黙って我慢していたのだろう。

結局、だれかが言わないと、なにも改善されない、ということを実感する。なにかを声高に、あるいは過激なことばを用いてアジテーションする、というのもひとつの手で、ツイッターを中心にそのような攻撃的なクレーム手法が流通しているが、じつはそれ以前の話で、ふつうに何かしらの具体的な改善要望を出す、ということをだれもしていないのではないか、という疑いを持つようになっている。黙って我慢しているひとがあまりに多く、いつしかその鬱屈が爆発し、攻撃的なレトリックとして噴出しているのではないだろうか。

そういうことを思いながら、インターネットを眺める。仲間をつのって貌のないまま集団でなにかを攻撃し鬱憤を晴らす、その欲望を我慢できるだろうか。あらゆる場所で世間に監視され、一挙一動がさらされる閉塞的な社会に生きながら、そんなことが可能だろうか?

2017-11-23

無題(承前20)

ずいぶんと寒くなった。11月は30日しかない、ということを思い出して焦っている。日々の職務をこなすだけであっという間に一ヶ月が過ぎてしまうが、自分のやっていることが意味がないということ、書いているものがだれにも読まれていないことをあらゆる局面で思い出しておきたいと思っている。別の言い方でいうと、意味がある行為、というものはない。そこには何もかもを飲み込む非意味の砂漠が広がっているだけなのだ。

他、通常の職務。

2017-11-22

無題(承前19)

今日は冬もいよいよ本番という天気。一日机に向かう。

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ミニストップが成人向け雑誌を撤去、というニュースを読んだ。この件に限らないが、たとえば成人向け雑誌という「醜いもの」を排除していった結果できあがった清潔な社会というものがある。そこからはじきだされたものがすべてインターネットに蓄積してゆく様子を、わたしたちはこの20年目撃してきた。検索すればその成人向け雑誌よりもはるかにひどい現実をわたしたちはだれでも、いつでも、どこでも閲覧することができる。そうした物理的なゾーニングは、インターネットのことを考慮していない、前時代的な規制なのではないだろうか。ほんらい規制すべきもの(そして規制できないもの)は別にあり、生け贄の羊が必要とされているだけのように見える。

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裸は着衣があってはじめてひとを蠱惑するのであって、隠すものがないままさらけ出された裸は、単なる肉色の塊にすぎない。

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他、「新鋭」同期のKさんと長電話。きわめてどうでもいい話で盛り上がる。

2017-11-21

読む、聞く、考えない

職務、家事、炊事。

2017-11-20

あのひとの脳髄

もちろんこの世のすべては下半身を中心にめぐっている。

いやもっと具体的にいえば、脳髄のあずかり知らぬところで動作する内蔵を中心にめぐっている。脳髄は「わたしは知っている」と思う。「わたしはわかっている」と思う。だがそれは単なる思い込みであり、実際のところ内蔵を動かしているのはそれ自身なのだ。

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急に冷え込み、ずいぶんと寒くなった。わたしはほとんど運転しないが、免許の更新、それからいくつかの書類を申請するために役所まで足を運んだ。役所も銀行も、土日にやっていてほしいが、一方、夜八時にはすべての店舗が閉まる昭和的な地方のことを懐かしく思いもする。わたしはずっと都会育ちだったが、生まれは地方都市だ。それも夜中になると真っ暗になるような古い街で、空を埋め尽くす天の川の流れや、水田にあふれるホタルの明滅などが記憶に焼き付いている。その光景があまりに鮮烈すぎて、ひょっとしたらわたしの夢だったのではないか、と思うほどだ。だがおそらくそれは現実で、もうどこにも存在しなくなった現実だったのだろうということを思う。わたしたちは年をとり、社会は変化してゆく。いくら同じようにみえても、そこに不変のものはなにもない。

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夜、原稿。

2017-11-19

冬の雑感

北国では大雪が降ったところもあるらしい。昔私用で秋の北陸に行ったとき、わたしは南国育ちなのでナメていて比較的薄着でいたら、道を歩いていたとき冷たい風で体温を奪われ、文字通り死にかけたので北国は苦手だ。真冬のソウルで積雪の下のマンホールに気がつかずすべって盛大にころんだこともある。冬の間は、大きな動きをしない。冬は蓄える時期なのだ。

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とあるブロガーの記事を読んでいたらAmazonのウィッシュリストを公開していて、それなりに収益になっているようだ。ぱっと見てこのひとは嫌だな、と思ったが、よくよく考えてみると、それは売文業と何が違うのか、というとなにも違わないはずだ。名前を売る、原稿を売る、本を売る。そのために露出を増やし「無料」でブログを書くことは何も間違っておらず非難されるいわれはない……が、たとえばきわめて不幸な身の上話を書き連ね、同情や共感を呼ぶような虚構による操作を加えた上で「無料」でブログを書き、こころ優しい読者からの寄付をつのる、となると、少し話は変わってくる。わたしは、ブログは詐欺であってもいいと思し、その内容が嘘であってもいいと思うし、もちろん読者も書き手のことを完全に信頼していないにせよそれでも応援はする、という姿勢はありうると思うし、それはそれでいいと思うが、個人的には上記のようなことは嫌だし、思わず眉をひそめた、ということを書いておきたいと思った。

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文章はお金にしなければならない。だがそれはどの時代、どのジャンルにおいても可能かというと、もちろんそうではなく、肌感覚としては、ますます困難になっている印象。

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他、アボガドとサーモンが安価に手に入ったのでサラダをつくった。
今月、来月は、料理以外は、ひたすら机の前に座っているだけの日々だ。

2017-11-18

週一育休

題名のため本日の更新はお休みです。

2017-11-17

この世でもっとも孤独な場所

インターネットでは、今日も男女がお互いの欠点をあげつらって漫画化し、それをツイッターにアップロードして称賛されるという作法が流通している。あるいは匿名ブログに男女がお互いの悪口を書きつらねて掲載することがそれなりのページビューを獲得し、影響力を確保している。こうした事柄は数字には出ないが、わたしたちのこころを少しずつ毀損し、相互不信を蓄積させ、お互いの距離を果てしなく遠ざける。だがもうこれを止めることはできないし、止めるべきではない。一方、それによってなにが損ねられているか、それに形を与えておくことが必要だろう。むろん、損ねられているのは男女の繋がりであり、関係を持つことの大切さであり、理解への契機だ。

わたしたちはどんどん不幸になり、ますますひとりぼっちになり、しかも自らが望んでそうなっているのであり、この世の誰にもそれを止めることなどできない。

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じゃがいもの皮を剝いている。ポテトサラダをつくっている。すでに塩ゆでしたブロッコリーが冷蔵庫の中にしまってある。剝いたじゃがいもを水に漬ける。それから出た生ゴミを処理し、シンクを洗い、コンロの汚れを拭きとり、洗った食器を拭いてから机に戻る。

机の前で、インターネットを眺めている。インターネットにあらわれる<社会>を眺めている。知的な人間たちが、インターネットはお遊びであり、真剣に考える必要などない、といっている。知的な人間たちが、インターネットに文章を書くのは時間の無駄だ、といっている。知的な人間たちが、インターネットは電話と同じで道具にすぎない、といっている。自分のことを知的だと思いたいひとびとが、今日も大量に生産されている。なぜそうか、と問うことはむなしい。なぜひとはひとに褒められたいのか、なぜひとは偉くなりたいのか、なぜひとは自分をより大きく見せたいのか、と問うこともむなしい。

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男女関係においては、相手を無条件に「信じる」ということが必要になる局面がある。
これを逆にいえば、相手を疑うことが、その関係性を決定的に損ねてしまうことがある。
そして関係というのものは、一度欠けてしまえば、もう二度と水を満たすことができない器と同じで、もうそこに愛情をためておくことはできなくなるのだ。

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不可能な関係を保たねばならない。いいかえればこころを守らねばならない。そのために必要なものは、ことばを取り戻すこと、「知的」で「わかりやすい」ことばではなく、誰にでも届くことば、しかも同時に、わかりやすさを拒否したことばを用いて語るほかない。すべての問題はことばの矛盾にたちかえる。ひとりぼっちで豊かな場所にたちかえる。

インターネットは、この世でもっとも孤独な場所、そして唯一の繋がりの可能性の場だ。

2017-11-16

無限に出会えるインターネット

だいたいわたしの知っている物書きは九割ぐらいが毎日死にたいと思っている。インターネットを見ていてもだいたい同じぐらいの比率だと感じる。冷たいことをいうようだが、それは自然なことなので、とくに何もしなくていいし、ほっておくのが一番だ。

つい最近、インターネットに弱音やくるしい生活を告白し、そうした気持ちを誰かにわかってもらいたいと思っていた女性たちが、それを悪意ある第三者に利用されて殺されるという事件があったばかりだが、このブログのような小さなアクセス数であっても、やはり同じような悩み相談メールがたまに届く。

この機会に、読者に注意喚起をしておきたいのだが、わたしがどんな人間かわからないのだから、そうしたことをしてはいけないし、そのメールの内容がどのように悪用されるかわからないのだから、個人情報など書くべきではないし、電話番号や住所を伝えようとしてはならない。

参考 → 「ネットで知りあったひとと会ってはいけない

わたしはそうした人々の気持ちがわかる。
わかるし、多くのひとが理解をもとめてさまよう現実のつらさも共感する。だが、2017年、それは悪用されるだけだとあらためて言わざるを得ない。

一方、読者はこう問うかもしれない。——それでは、ひとと付き合うことはできないではないか。弱音を吐いたらつけこまれ、自分の気持ちを伝える方法はなく、わかってもらうこともできないし、それを試みることも危険ということであれば……。

少し個人的な話をすると、性的な関係を持つことはさほど難しくはないし、結婚も実のところそうだが、ひととひととが出会う、ということはきわめて難しいというように思うし、その難しさにほんとうの意味で気がついたのは、30代に入ってからで、その理解の対価として婚姻生活を破綻させることになった。理解は無料では得られないのだ。

出会うことが昔よりもはるかに容易になったように見える反面、それがほとんど不可能になったと同時にいうこともできると感じている。その矛盾をわかりやすく説明することはできないし、する必要もないが、端的にいえばそれは「知らなくてもいいこと」を保つことが2017年には難しくなったからだろう。可視化はひとの心を不可逆的に損ねる。

ひとは、出会ってもいない相手と結婚もできるし、性的な関係を結ぶこともできる。
インターネットでひとは無限に出会える。だが誰とも出会えない。

2017-11-15

無題(承前18)

通常業務。自分が書いているものについていろいろ広報や宣伝をしなければならない立場なのだがやる気が出ない。というよりはっきりいうとインターネットでもそれ以外でもそういうことは一番嫌いで、うんざりで、その気持ちを忘れずにいたいと思う。自分のつくったものを読んでほしいと喧伝してまわる行為が楽しいはずがなく、苦痛でしかない。やる気が出るまでいっさい何もしないでおこう、とこころに決める。