2011-10-30

ブロゴスフィアの死

ブロゴスフィアが死んだとするならば、それはかつて生きていたのか。そういう問いをG+でもらった。

生きている、ということを、仮にひとびとがそれに熱狂し、その可能性を信じ、何かしら新しいことが始まるような予感を抱きながら読みふけることと定義し、そしてそれには一定以上の数、つまり、アクセスと社会的影響力が伴うと考えた時、たしかに、ブログには生きていた短い時間があった。

具体的には、それは2005年から2008年ぐらいの短い時期だったように感じる。そしてこの見解には統計的根拠はない。なぜなら場の空気とは、そのように主体的にしか感受できないもので、数値化を拒むものだからだ。

当時、ブログを書いていたものたちが共有していた理念には、いくつかのポイントがあったように思われる。

ひとつ、ブログは匿名の人間が書くものであること。
ひとつ、ブログは告発のために用いられるものであること。
ひとつ、ブログは公共のために書かれるものであること。

なぜ匿名でなければならないか、の答はあきらかだった。多くの一般的な書き手は、そもそも実生活において何ら力を行使できる存在ではなかった。そして彼らは顔をさらして告発する勇気を持ち得なかったからだ。

そして、この社会のアンフェアネス、不平等を告発するときのみ、匿名性という「卑怯さ」は公共のものとして機能したのだ。

それが多くの読み手からも受け入れられたのは、多くのひとびとが、その個別の現実の中で、踏みつけられ、苦しめられ、この社会のさまざまな軋轢の中で、くるしみ、かなしみ、いかりを覚えていたからだった。

何も大上段に構える必要はない。恋愛、職場、結婚、生活……この社会にはありとあらゆる不公平があふれている。しかもそれをどうすることもできない。それは誰にとっても身近なもので、いまもそれは何もかわっていない。

話を戻そう。

ブログの時代が終焉したのは、ブログの中から、その影響力を利用し、自らの個人的な利益のために動こうとしたひとびとがいたからである。それはあるかたちでは商業主義になり、あるかたちではデマゴーグになって現れた。

ブログはやがて単なる、「自分の不幸」を語るだけの場になり、読者は離れていき、新しい場へと移動していった。

匿名であったひとびとは、匿名であり続けるべきだった。

告発のフェアネスが失われたのは、たとえば組織に所属した瞬間、そのひとは告発者である資格を失い、「ご指導ご鞭撻をお願いします」と、いう社交辞令のみを口にするようになってしまうからだ。

ブログの匿名性は、「ほんとうのこと」を書ける場をもたらした。

それは、顔のある個人として組織やコミュニティに属してしまえば、けして得られることのない、不自由の中での自由だった、と断定してしまってよいだろう。

もちろん、ある場が陳腐化し、劣化し、その可能性が潰えること自体は、ありふれたことだ。

ひとは顔をもっていても告発することができる。
もちろん、それは、けしてありふれたことではない。

ブログの死が教えてくれることは、ネットで繋がっているはずの私たちが、どうしようもなくひとりぼっちであるということ、そして、そのたたかいを支えてくれるものは、ディスプレイのあちら側にいる、匿名のひとびとではないということである。

場は必ず滅ぶ。
だから私たちは、この巨大な墓碑の前で、自らの顔を取り戻さなければならない。