2011-12-15

あたたかい午後の光

十年ほど前のこと、インドのとある地方都市で、死体の山を見てしまったことがあった。具体的には、草原に囲まれた医科大学のキャンパス内、解剖実習が終わった後の部屋だ。私は知人の学校見学にたまたま同行していて、その部屋に偶然入ってしまったのだ。

鮮明に覚えているのは、掃除婦が青いホースで水を床にまいていたこと。女が床にこぼれた体液を洗い流している。テーブルの上には、大量に積み上げられた手足に内蔵に胴体。その色と形状が、なぜか目に焼きついている。それは単なる廃棄物だった。

死者は一般的には尊厳を持って取り扱われる。そこには所定の作法があり、儀礼がある。テーブルの上に置かれていたそれは、とある崇高な目的のもと、提供され、腑分けされた肉体の末路だ。それは世界のあちこちで行われていることで、別にそこに何らおかしなことはない。

私がそこで立ちつくした時、何かが腑に落ちた気がした。土塊と、死体の違いは何か。そういうことだった。何が違うのか、と私は自問した。ホースから水がぽたぽたとこぼれている。奇妙な静けさがあった。窓から午後の光が射し込んでいた。

意味が剥ぎとられた人間は、虫けらと何も変わることはない。それは残酷な光景であるはずだったが、斜めに射し込む日光を、奇妙に、あたたかく感じた。私もまた、ここに積み上げられた屍と同じなのだ。そのことに、吐き気と安らぎを同時に覚えた。外に出る。草原が光っていた。