2011-12-29

傷がなければ書けないのではない。書くことが傷をもたらすのである。

手を繋いでいる。流れる河は深く暗い。なめらかな、水銀のような水面に、星と雲が映っている。しかし空には何も無い。光も何もかも吸い込まれたような、黒い黒い闇だけが広がっている。水は、西から東へと流れていくように見える。手は繋いでいたが、それを遠く感じる。ね、と女がつぶやいた。私は答えられない。ね、私たち、どこへ帰ればいいのかしら。足元に生い茂る野草が、冷たい風に揺れている。

雨が降っていた。傘を差しながら酒場へと入る。すでに全員が着席し、私が最後の参加者だった。真ん中に用意されていた席に座りながら、皆の顔を眺め渡す。すでに旧知の間柄のひとびとに混ざって、今回、初めて会うひとびとが混ざっている。そして一様に凝視されている。こんにちは、はじめまして、私が根本正午です、と口を開く。そのうちのひとりを指さして、お前の書くものはつまらない、と私は着席をする。

あなたの書くものは面白いわ、と女は言った。小さな事業所だった。女は私の仕事を手伝いに来ていた。後ろから、PCのディスプレイを覗き込んでいた。シャンプーの香りがした。どこがおもしろいんだい、と私はたずねる。ぜんぶ、と女は言う。こんなひどい話が? ええ、と女は微笑む。いや、微笑む気配がある。短い文章で、捨てるつもりだった。新橋で見たアジア人の売春婦の話だ。雨の気配があった。ディスプレイが、青白い光を瞬かせる。

苦しみなさいよ、と女は言っていた。都心のスタジアムで、私は撮影スタッフの後ろで、空を眺めている。カメラはまわっている。グラウンドには、ボールを蹴り合う小柄な選手たち。私の仕事はすでに終わっている。巨大な塔のような照明に照らされ、薄く低い雲が燃え上がっている。女からのメールは、五年前の日付だ。パーティ楽しかったね、と女が書いてきている。どこにも行けないけれど、と答える。身体に亀裂が入るような気がして、私は、手のひらを空にかかげ、そこに、星が。