2012-01-21

我慢する日本人

みんなが我慢している。
みんなが耐えている。
声を上げられない、上げたくても黙っている。


日本人は礼儀正しいよね、とアメリカ人がよく言う。
日本人は列にきちんと並ぶね、と中国人がよく言う。
日本人は怒らないよね、と韓国人がよく言う。

どういうことだろうか。
どのような意味だろうか。

先の震災の時、誰もパニックを起こさなかった。
これを賞賛する声があった。

これは美徳だろうか。
これは誇るべきことだろうか。

思い出そう、思い起こしてみよう。

どこかにいる第三者の目が怖くてたまらないのである。
だから自己保身のためだけに列にならぶのである。
自分の身が可愛いから礼節を学ぶのである。


「民度が高い証拠だ」とそのへんの学者が言っている。
「マナーをよく守る国民だ」とそのへんの作家が言っている。
「勤勉でよく仕事をする」とそのへんのスーツが言っている。

これは事実だろうか。
これは正しいだろうか。

なぜ黙って働くのか。
なぜ黙って生きるのか。
なぜ自分の上に石を置かなければ、生きていくことができないのか。

怖くてたまらないからである。
ひとと違うことをするのが恐ろしいのである。
目立ってしまうと排除されるからである。

たかだか千年たらずの歴史しかないのに思い上がった結果がこれである。
たかだか数十年先進国の貌をして威張りちらしていた結果がこれである。
たかだか生きることしかできないのにひたすら屈従を強いた結果がこれである。

堪えがたきを堪えることは欺瞞である。
忍びがたきを忍ぶことは自己満足である。

戦争が、震災が、不幸があるとき、すまし顔で列に並んでどうする。
私たちを縛り上げているものの恐ろしさをみよ。

美徳がどこにあるか、あるはずもなくここにあるのは奴隷のこころだ。
礼節がどこにあるか、あるはずもなくここにあるのは妥協のこころだ。

いつまでも我慢をして、いつまでも我慢をする。
どうしようもなく、どうしようもない。

そして声をあげている連中のにやけ面をみるがいい。
そして声をあげている連中の懐の膨らみ具合をみるがいい。

自分のためだけに生きることの気楽さと醜さをみるがいい。
自分たちだけは我慢しなくていいと思う連中の傲慢さをみるがいい。

むしろ何もしないほうがましではないか。
むしろ何も言わないほうがましではないか。

そう思うひとびとすなわち私たちが我慢してきたのである。
そう思うひとびとすなわち私たちが堪え忍んできたのである。

我慢を美徳とすりかえて生きてきた歴史に縛られているからである。
嘘と欺瞞と保身のことしか考えられなくなっているからである。

日本人は人間なのか、こう問うことがむしろ誠実なのではないか。
日本人は人間なのか、こう聞くことがむしろ適切なのではないか。


どうすればよいのか。
どうすれば日本人は人間になれるのか。

強いられた美徳を踏みにじり、礼節という首輪を捨てればよいのか。
奴隷であることを認めればよいのか、奴隷として生きるべきなのか。

そこには近づけば近づくほど無限に遠ざかる明日のような答があるのみである。