2012-04-25

売春婦の良人

いつでも「前の男」が気になっている。女が、どんな顔をして他の男と寝たのか。女が、どんな声で他の男の前で裸をさらしたのか。それが気になってたまらないのである。

女が言っている。前の男のことを思い出しながら性交をしていた。女が語っている。前の男の精液はうまかった。女がなじっている。前の男とは気持ちがよかった。女が嘲笑している。前の男よりあなたのものが小さい。新しい男たる私たちにとって、これに耐えることは難しい。

男は常に競争にさらされている。学校で、大学で、社会で。ありとあらゆる場所で<女>を奪い合っている。すべての時代で<力>を奪い合っている。それが滑稽なことは誰でも知っている。だが辞められない。だが止められない。それが理性で超えられると思うことこそ滑稽である。いや、こう言い換えよう。滑稽であることを知ることだけが人間らしい行為だった。たとえ、一秒たりともそれがやめられないとしても、それだけが人間に至る道であるはずだった。

女の身体は、いつも複数の男たちに開かれている。売春婦はカネで身体を売る。カネで身体を自由にさせる権利を売る。ほんの少しだけ身体を自由にさせているだけ、という免罪符を売春婦たちは胸にぶら下げている。どこかで見た光景だった。男は女に飯をおごり、その身体を自由にする。男は妻にカネを与え、身体を自由にする。しかり、売春はもっとも古い職業である。そして男女の交歓の中核にあるのは、与えそして与えられる構図に他ならなかった。

同じ光景を見ていた。ネットでは男たちが、うつくしい女に群がっていた。手に入らない女に群がって、自分の居場所を確保しようとしていた。彼らは女の処女性の有無について議論をしていた。詮索していた。ストーキングをしていた。行動履歴をチェックしていた。ブログを保存して調査をしていた。あさましかった。醜かった。しかし笑えなかった。それをあざ笑うことは誰にでもできなかった。女だけがそれを笑う権利を持っていた。男は自らの愚かしさを笑うことなど許されなかった。

男たちは女の性交履歴を知りたがった。どんな声でよがったか、どんな体位が好きだったか、男とどんな性交写真を撮ったか、一番気持ちよかった性交とは何か。女の過去を聞きたがらない男は、はたして人間らしいのか。はたして「男らしい」のか。間違っている。何もかもが間違っている。男は我慢ならない。男は女が他の男に抱かれたことが我慢ならない。あさましくも苦しいのである。醜くとも傷が痛むのである。どんなに女と性交をしたところで、その小ささは超えられない。

売春婦を娶らなければならない。誰にでも股を開いた女こそを娶らねばならない。なぜか。なぜそうか。女には過去がある。奪われた過去がある。取り戻せない関係性がある。他の男に抱かれたこと、そして、あるいはこれから抱かれてしまうこと、そのような関係性を、男は受け入れねばならない。誰しもがそうなのである。誰でもそうなのである。生きることにつきまとう痛苦を、なかったことにしてはならない。女を知るとはそういうことである。女を見るとはそういうことである。男は奪うのではない。男は与えねばならぬ。女は奪われるのではない。女もまた与えねばならぬ。

売春婦のごとき人生。娼婦のごとき生活。淫売のごとき毎日。男は嫉妬のあさましさを知るがいい。女は自らの弱さと愚かさを知るがいい。女も男もひとりぼっちである。相互不信と誤解でがんじがらめである。どこに道があるか。どこに人間に至る道があるか。女が雌犬であり男が性器のついた虫であるならば、どこに人間らしさがあるか。姦淫を止めることはできぬ。浮気を止めることもできぬ。たとえそれがどれほど苦しかろうと、お互いの姿を見て目を焼かれぬことなしに、愛などという戯言を成就することはできぬ。

見ることは傷つくこと。知ることは血を流すこと。盲いた両眼をもって、この世の売春婦どもに告げねばならない。お前の良人は、この私だ。

2012-04-24

五十人の女たち(7)

女が送ってきた動画を見ていた。服を脱いだ女は、服を着ている女と同じぐらいありふれていた。そもそも世界の半分は女のものだった。女も裸もどこにでもあるものだった。画面では女がいつまでも微笑んでいた。その表情もまたどこかで見たことがあるものだった。かけがえのないものとは何か問わなければならなかった。誰とでもいつでもどこでもセックスができる私たちにとって、取り返しのつかないものとは何か、いまいちど問わねばならなかった。

日本は不思議な国だった。東京という都市にすべてが集中していて、偶然という名前の何かに満ち溢れていた。しばしば古い知り合いと、ふとここでめぐり合った。女は海外の高校の頃のクラスメイトだった。地球を半周するぐらい離れた渋谷のスーパーマーケットの一角で、私たちは再会していた。私はケーキを注文していた。後ろから、別のケーキを注文する声がした。振り返るとそこには女がいた。目があって、一瞬でお互いを理解した。言葉をなくして、そして、どちらともなく笑った。

私はラブホテルの帰りで、妻と子供の機嫌を取るためにケーキを買っていた。女のケーキはふたり分だった。誰のために買ったのかは聞かなかった。駅前はとても混雑していた。近くにある喫茶店に入って、珈琲を二人で飲んだ。窓の外を高校生が歩いていくのが見えた。かつては私も女もああいう若者だった。そして女の疲れた横顔に欲情を覚えた。女は、自分の手の甲をじっと見ていた。指輪はついていなかったが、その予定だろう、と直感的に思った。

女のマンションは山手線の駅前、高級住宅地の一角だった。おそらく誰かが援助しているのだろうと思った。もう一人の誰かの気配が、家具や箪笥から放たれていた。あの頃は楽しかったね、と女は言った。そうだな、と私は答えた。すぐ外で、山手線が走っていく音が、ゆっくりと聞こえた。決められたレールの上しか走れない電車にも自由はあった。抗えない何かの中で生きる女にも自由があるのかもしれないと思った。女の太ももの内側には、いつか見た黒子がそのまま残っていた。

結婚するの、としばらくしてメールがあった。妻がハンバーグを作っていた。私は新聞を机の上に広げて、携帯のメールを眺めていた。もう昔みたいにはいかないね、と女は書いていた。何かが、腹立たしかった。椅子に座ったまま、天井を眺めた。そこには蜘蛛が干からびて死んでいた。女はいつまでも過去に囚われている。どうせ死ぬのに、と思う。どうせ死ぬのに、楽しまないでどうするのだ、と思った。つらくないの、と誰かが言っている。目をあげると、妻が私を見ていた。妻はハンバーグが乗った皿を、私の前においた。つまらない感傷ばかりだった。女には返事は書かなかった。

2012-04-17

五十人の女たち(6)

机の上には、通信ログを印刷した書類が山積みになっていた。ジャカルタの取引記録、まる二日分だった。最初から最後まで確認しなければ終わりそうになかった。打ち合わせ室を無理やり借りて、書類を持ち込んだ。邪魔されたくなかったのだ。窓の外には、夏の日差しが照りつける公園があった。公園で、同僚がハードディスクを地面に叩きつけている。上司に壊すように言われたのだろう。音がない世界でハードディスクを壊している同僚の姿は、どこかしら現実離れしていた。ひどい、ひどい! という女の声がした。

マニラには外人向けの売春施設が山ほどあった。支払いは基軸通貨であり世界言語である米ドルだった。私は財布に500ドルほど詰め込んで、支店長に誘われて店まで行ったのだった。奇妙な香が立ち込める店内の真ん中にはステージが設置され、そこで裸の女たちが踊っていた。ステージの前には、白人たちが群れをなして集まっていた。そして女の下着の隙間に、ドル紙幣を詰め込んでいた。顔に浮かんでいる笑いは醜悪だった。まるで鏡に映る自分のようだった。

奥の個室へと案内された。ベルベットのカーテンに、巨大で柔らかなソファ。スイカほどある巨大なクリスタルの灰皿が、テーブルの上できらきらと光っていた。支配人の老婆は、私に日本語で挨拶すると、カーテンの向こうに声をかけた。すると五人ほどの女たちが、順番に私たちの前に姿を見せた。店のように、下着だけではない、ごく普通の格好だった。しかしブラは付けていなかった。いい趣味だろ、と支店長が私に笑いかけた。いいですね、と私は答えた。支店長はきっと経営に関与しているに違いなかった。

妻に少し似た真面目そうな女を選んだ。支店長は巨大な胸のグラマラスな女を選んだ。そしてまた後で、と別室へと消えていった。私の女は、ソファの隣に座った。老婆と他の女は姿を消していた。煙草に火をつけると、すぐにライターで火をつけてきた。英語でいいか、というと、日本語もできるけど、と笑顔を作った。肩を抱き寄せると、少しだけ抵抗があった。それに興奮した。胸の携帯にメールが着信したような気がしたが、無視した。部屋の照明が、少し暗くなったような気がした。

女が案内した部屋には、大きなベッドが置かれていた。窓はなく、天井は高かった。女の身体は柔らかく、私が避妊具をだそうとすると、そのままでいい、と言った。中にだしていいのか、というと、外でお願い、と言った。終わった後、女の身体を拭いてやった。女は、少し驚いたような顔をして、私にされるがままになっていた。下着を着けてやって、私はベッドで煙草に火をつける。女は私を見ていた。お前は何をしているんだ、と私は興味本位で聞いた。大学のお金貯めてるの、と女は言った。

お前は何をしているんだ、と誰かが言っていた。目を開くと、壊れたハードディスクを持った同僚が眼の前に立っていた。根本くん、これ、壊れないんだ、君なら若いし、やってくれないかな、と言った。いま忙しいんです、と私は言って、同僚を外へと追いだして、椅子に座った。眠気があった。女にはドルを二倍手渡した。老婆にも渡しとけ、と言った。そしていい気になっていた自分の姿を思い出した。女は大学に行ったのか、そんなことはどうでもよかった。ただ興味本位で聞いただけだった。買う側にも買われる側にも生活があった、そんなことは当たり前のことだった。不愉快だった。何もかも、耐え難かった。公園で、同僚がまたハードディスクを地面に叩きつけている。ひどいよ、ひどいよ、うそつき、うそつき!

2012-04-15

五十人の女たち(5)――虫の棲む部屋

虫たちがソファに座っていた。ソファに座って生殖器を女にしゃぶらせていた。ピンクサロンにはなぜかいつもBOSEのスピーカーが取り付けられていた。大音量で流れる音楽によって、虫たちが発する呼吸音は隠されていた。店には複数のソファがあった。ソファは背丈ほどの衝立で区切られていた。他の虫たちの姿が見えた。虫の股間には女たちが顔を埋めていた。暗い店内は、どこかしら地獄のように見えた。女たちの身体は白く柔らかく、その空間でゆいいつ人間であるように思えた。

仕事の電話をしていたのだった。ポルトガル語の通訳が送ってきた原稿は最低のひとことだった。ファイルの最後に「すみません」と書かれていた。私は携帯の電源をオフにしてソファに座っていた。ズボンと下着が下ろされた下腹部を、女がウェットティッシュで掃除していた。ずいぶんと色白いのね、と女が言っている。日焼けが大嫌いなんだ、と私は答える。隣のソファでは、もう一匹の虫が、女の髪の毛を掴んで上下させていた。音楽は流れていたが、静かだった。どこもかしこも虫だらけだった。

ダメなの、と女は尋ねた。よくあることだよ、と私は答えて、ズボンをあげてベルトを締めた。ソファの背もたれに身体を預け、目を閉じる。時間は、まだあった。女が私のとなりに座る気配がした。見ると、膝の上で所在無げに手をさまよわせていた。胸の携帯を奇妙に重く感じた。甲虫が羽をきしらせるような音が、となりのソファから響いてきていた。すべてが、いまいましかった。無能な通訳も、虫けらも、女たちも。目を開けると、女と目があった。女はその細い指で膝を指し、ここに寝る? と私に言った。

膝枕をされたまま女の肌を嗅ぐと、イソジンの香りがした。下から顔に手を伸ばし、その頬に触れた。それはあたたかく、生きている体温があった。化粧の下に、ひとの顔があった。もうすぐ、時間のはずだった。女の腹に顔を埋めると、女が笑う気配がした。妻が妊娠したとき、よくこうしたんだ、と私は言った。それは聞こえていなかったはずだった。隣で、虫が出て行くのがわかった。別の女が客を送り出す声がした。やがてベルが鳴って、私は立ち上がる。女は、ありがとうございました、と笑顔を作った。また来るよ、と嘘を言った。嘘をつかねば、虫は人間にすらなれないのだった。

2012-04-13

五十人の女たち(4)

風呂で身体をどこから洗うか、という話を女としていた。いつも胸から洗った。いつも一番汚れているところから洗った。しかしいくら洗っても何も洗い落とせなかった。妻が息子と風呂に入っている。私はキッチンでぼんやりとしている。その日仕事はなかった。外から秋の虫の声が聞こえてきていた。息子が笑う声がした。女からメールがあったのはその時だった。女とはテレクラで知り合った。今後援助してほしい、と女は言っていた。次はいつ会える、一でいいよ、と女は書いていた。ホテル代は私が持つことになっていた。私は車の電子キーをポケットに突っ込み、玄関を開いて外に出た。雨が、降り始めたような気がした。

立川のラブホテル前で女と落ち合った。女は、ピンク色の携帯でひっきりなしにメールをしていた。蜘蛛のように細い手足に、青白い顔。女は、ピンクサロンで仕事をしていた。そして稼いだその金を、ホストクラブで散財していた。いらないのよ、お金なんて、と女は言っていた。好きなものに使って、いいじゃない、どうせほしいものなんてないんだから、楽しまなきゃ損じゃない? 部屋に入って、女はすぐ服を脱ぐと、全裸になった。チャックを下ろして、私のものを引っ張りだすと、すぐに口にくわえた。掃除機のようなその口に恐れをなして、女をベッドへと連れていった。

終わった後、女の携帯が鳴った。女は私から受け取った金を器用に片手で財布にしまいながら、電話に出た。あ、お母さん、と女は言った。女が下半身の処理をしながら、母親と朗らかに電話する様子を、私はぼんやりと眺めていた。女の細い身体に、肋骨が浮き出ていた。その身体は使い古された道具を思わせたが、その声だけは人間のように聞こえた。元気にしてるよ、うん、いま友達といるから切るね、と電話を切って、女は私を見た。私も女を見返した。何が、おかしいの、と女は言った。私はなにも、と答えて、煙草をくわえた。

車で女を駅まで送った。ラブホテルの駐車料金は無料だった。助手席に座った女はずっとメールを誰かに書いていた。私の携帯はずっと電源を切ったままだった。しかし誰かから電話がかかってきているような、そういう気がずっとしていた。風呂場で、女に尋ねた。お前は、どこから身体を洗うんだ。女は答えず、洗ってよ、と言った。まず上半身を洗った。そして下腹部を洗うためにしゃがみ込むと、出そう、と女が言った。私はその様子を眺めていた。金色の液体が放射状に床に落ちる様を眺めていた。それはどこか神々しくさえ思えた。妻からの電話が一本、留守電に入っていた。結局雨は降らなかった。降ってほしいときに限って、雨は降らないのだった。

2012-04-12

五十人の女たち(3)

セックスしかないのに綺麗事ばかり。セックスしかないのにおためごかしばかり。まったくつまらない世の中だった。下半身しかないのに理想を語るその口臭が耐えられなかった。テレクラの狭苦しいブースで、あんたの話はつまらないから別の男に替わってくれる、と女に言われていた。あんたの小さな性器はあんたのご高説そのものだよ。電話ごしに、女が笑う声がした。受話器を置いて、壁を眺める。そこにはめこまれたディスプレイに、冷たく笑う自分の顔が映っていた。その次に電話をかけてきた女と、新宿南口で待ち合わせをする約束を取り付けたのだった。

女は、かなり美人の部類だった。とてもテレクラにかけてくるような女には見えなかった。相手も同じようなことを思ったようだった。出会いからバーに行くまではまるで見合いのように話が進んだ。ご趣味は、と女は言った。読書です、と私は答えた。まったく茶番だった。そして茶番であることをふたりとも知っていた。女は某銀行に勤めていると私に言った。ほんとうかどうかはどうでもよかった。私は某外資系企業に勤めていました、と言った。そして偽名を伝えた。根本正午です、はじめまして、お前の名前を教えろ。

そのあたりで一番いいホテルに、女を連れ込んだ。カネの話は最初にしておくべきだった。財布を取り出すと、女は首を振って、服を脱ぎ始めた。みると、乳房が片方なかった。そこには大きな手術痕があった。それは花のような形をしていた。胸に花が咲いているように見えた。いつもはメールしてくる妻が、その晩に限って黙っていた。息子が風邪を引いているからだ、ということを私は思い出した。思い出しながら、女の傷を撫でた。女がため息をついて、私を見た。激しく欲情した。

女の中に入っている間に、電話が鳴った。女の唇に指を当てて、電話に出る。もちろん妻からだった。熱がでてるみたいなの、病院に連れていかなきゃいけないの、あなたはいまどこにいるの、どこで何をしているの、と妻は言っていた。その声はすべて下にいる女に筒抜けだった。私は女のひとつしかない乳房を握りしめて、妻にこう答えた。後ですぐに行ってやる、いま新宿で仕事をしている、大事な仕事だ、子供のことはお前に任せてある、俺に面倒をかけるな。そして電話を切ると、女が私をじっと見ていた。

奥さんとはうまく行ってないの、と終わった後女は言った。ああ、と私は答えて、ジャケットを羽織って、ネクタイを締める。仕事をしていたことになっていた。いつでも仕事だった。家を出ればいつでも公的な格好をしていた。そしてそれを疎ましく思っていた。ねえ、また連絡していい、と女は言った。ああ、と私は答えた。そして嘘のメールアドレスを教えた。新宿駅改札で女と別れた。やっと仕事が終わった、と私は妻にメールを書いている。いつも迷惑をかけてすまない、お前のおかげでいつも助かっている、ありがとう。

2012-04-11

五十人の女たち(2)

「知的」な職業に、誰しもが憧れている。「華やか」な職業に、誰しもがなりたがる。その汚さを知らないものだけが、ゴミだらけの楽園に行きたがる。つまり翻訳家とはそのような職業でもある。当時私がはまっていたのはヤフーチャットだった。子供に業界の説明をしたり顔でする自分にうんざりしていたが、妻と息子が一階で遊ぶ声を聞きながら、ひとり二階の書斎で自分が何がしかの人間であるようにふるまうことには快楽がないわけでもなかった。その女とはそこで知り合った。正午さんは、おもしろいひとだね、と女は言った。ほんとうは、何を考えてるの?

俺はバカとガキが嫌いなんだよ、と新橋で女に会ったときに言った。なぜ新橋にしたか、よく覚えていない。女の身体は細く、顔は平板だったが可愛らしさがあった。女は駆け出しの翻訳家で、大学の先生のどうしようもない英文の推敲をしたりして小金を稼いでいた。正午さんも駆け出しなんだ、と女は言って笑った。まあね、と私も答えた。当時私はまだ独立したばかりで、職場でのキャリアはあったがまだまだ仕事は少なかった。毎日営業の電話をし、あらゆるコネを使ってそれを拡大していた。

女とは三回会った。抱いたのは三回目。新宿のラブホテルだった。女の桜色の乳首には小さな穴の跡があった。その話は、女とのチャットで聞いていた。昔ね、と女は言っていた。結婚を誓い合ってた彼氏がいたんだけど、事故で死んじゃったんだ。私は、それ以上聞かなかった。誰でも、喪失を抱えている。誰でも、かなしみを抱いて生きている。それは俺も同じだ、と思った。女の性器は乾いていて、終わった後女は泣き出した。私はベッドの脇の椅子に座って、それを眺めていた。妻からメールが届いていて、それに返事を書いた。いまから帰ります、夕食はいりません。

女とはチャットで別れた。ほんとうは、結婚していたんだね。と、女は言った。そうだな、と私は答えた。指輪の跡に、女は最初から気づいていた。そしてそれを隠すつもりもなかった。ね、ほんとうは、何か別のことがしたいんでしょ、と女は言った。教えてよ、最後に。あんな立派な会社辞めてまで、何がしたかったのさ。一階から、妻が私を呼ぶ声がした。夕食の時間だったのだ。私は、さようなら、と書いて、画面を閉じる。窓の外に、月が見えた。何をしたかったのか、むろん、女の身体が欲しかっただけである。他に、何もあるものか。何があるものか。夕食は、きわめてまずかった。

2012-04-10

五十人の女たち(1)

記憶はいつでも曖昧だった。出張でホテルに泊まり、職場で得たカネで女を連れ込む。それは当然の嗜みだった。バンコクのある支店長が、私に言った、この国経由で、連中は、カンボジアに幼女を買いに行くんですよ。現地で一万円を換金すれば、財布は分厚くなった。その重さこそが価値だった。カネは女への片道切符だった。女はいくらでもいた。女はどこにでもいた。財布があれば何でも買えると思った。しかし買えないものは常にあった。カネではなぜか手に入らないものがあった。セックスを経なければその貧しさに気づけぬように、カネを経てはじめてカネの愚かさを知った。

朝から晩まで狭苦しいマシンルームで通信ログを解析し、その対価として得たカネで妻を養い、こどもを育て、そして妻が留守の間に家に女を連れ込んでいた。最初の女の名前は忘れてしまった。女とはなんと2chで知り合った。われながらうまくいったものだと思った。一度も使ったことがない場所で、出会った女にメールをした。すぐに返事があった。妻がいるキッチンで携帯メールを何度かやりとりした後、急な仕事が入った、と言って、外車を転がして女との待ち合わせ場所へと向かった。女とはファミリーレストランで待ち合わせをした。時間になると、小柄な女がテーブルにやってきた。どこにでもいる平凡な顔だった。

女の部屋は、狭く、暗く、湿っていた。どことなく不幸の匂いがした。女の生活は貧しかった。キッチンには食べかけのシチューが入った鍋があり、壁際には、洗濯物が吊るされていた。壁に芸能人のポスターが貼られていた。生理なんだ、と女は言った。でも、ピル飲んでるから、あなたさえよければ、生でいいよ、と言った。女の体は、部屋と同じように、どこもかしこも湿っていた。脇も、背中も、耳の裏も、どこもかしこも湿っていて、それはまるで涙のようだった。捨てられたの、と女は言った。捨てられて、寂しかったの、誰でもよかったの。俺もだ、と私は思った。女の身体は、どこもかしこも柔らかかった。妻の硬い体とはまったく違って、足は大きく開き、私を誘った。

女の部屋に、週一回ほど通うことになった。女は私の車の助手席を気に入った。私も女を連れ回して、首都高を走らせるのを楽しんだ。しかし女の話はどれも退屈で、どうしようもなくつまらなかった。女は運転免許がほしい、と言っていた。私は取ってみろ、と言ったが、女は結局何もしなかった。女との関係が鬱陶しくなってきた頃、妻が性病になった。カンジダだ。疲れるとこういう病気になるみたい、と妻は言った。私は妻の性器に薬を塗りながら、俺のせいだろうか、と思った。あの湿った女と性交したことが、当時すでに性交渉がなかった妻への罰として降りかかった、そういう気がした。女とは最後に新宿のバーであった。お前とは遊びだった、と言い、殴られた。顔を拭きながら、女の背中を見送る。財布にはまだカネが残っていた。

2012-04-09

静謐

街に夜がやってきていた。明るい駅前から少しだけ離れると、壊れかけた廃ビルが立ち並ぶ灰色の区画があった。ビルの一階部分にはゴミが山と積まれ、まともな人間は、それを見ないようにして通りすぎていった。その区画を挟んで、小奇麗な居酒屋のチェーン店が設置されていた。夜は、無視されていた。この社会のどこにおいてもそうであるように、存在せず、見えないものとされていた。

その二階に、店はあった。受付の男は、親しくなると自分は台湾出身だと教えてくれた。県警は、見てみぬふりをしている腰抜けですよ、と言っていた。実際にそうなのだろうと思った。恣意的な「自由」によって、この社会は成り立っていた。外国人は、それを一番よく知っていた。店の入口には、真っ赤なマットが置かれていた。ガラス扉をくぐると、生暖かい風が、そこから吹き出してきた。

女は、色々な国から来ていた。中国、台湾、そして韓国。その晩、私が選んだのは、どことなく、前の愛人を思わせる、韓国人の女だった。その手の店には珍しく、部屋はしっかりとした個室で、そのうちのひとつに案内された。隅に、ひとり入れるぐらいのシャワーがあった。服を脱いでそこに入ろうとすると、女が笑いながら私に抱きついた。サービスよ、と言って、萎えた性器を口に含んだ。ひさしぶりに勃起した。

女は、どことなく冷たく見え、それが愛人のことを思い出させた。笑えば可愛いのではないか、そう思えた。小さな身体に、大きな胸。股間に女がへばりつき、その姿を見ているうちに、突然萎えた。女の広い背中に、シャワーが雨のように降り注いでいた。背中に水着の日焼けの跡が残り、水流が小川のようにそこを流れ落ちていった。水音が大きくなる。女は、困ったように私を見上げた。女の顔は、誰にも似ていない。似ていると思ったことが間違いだったのだ。

やや広いベッドの上で、女は全裸で寝転がった。足を広げてみせた。女に、代わりなどいない。女は、ひとりしかいない。それを忘れるためにだけ、買春があった。どこにも出口のない射精があった。女の性器だけが、別の生き物のようにうごめいていた。それを見つめていた。萎えたまま見つめていた。興奮が潮のように引いていき、そこには一対の目が残った。愛している、とつぶやいた。おまえしかいないのだ、とつぶやいた。韓国女は、こないの、と笑って、性器をひらいてみせた。死にたいんだ、と言った。殺してくれ、と言った。韓国女は、時計を指さして、時間ないよ、と言った。

時間はどこにもなかった。私はバスタオルをはだけて、ベッドに乗った。ベッドがきしみ、沈む。それは船を思わせた。まわりは海に囲まれていた。塩水だらけで、水を飲むことができないのだった。他の男に抱かれた女のことを考えていた。他の男に飽きるほど抱かれて、そして捨てられた女のことを考えていた。胸が張り裂けそうだった。痛くてのたうちまわりたかった。汝らのうち、罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい、と誰かが言っていた。性器に、血が集まらなかった。苛立っていた。なぜ愛がなければいけないのか。なぜ愛さなければ勃起しないのか。萎えた性器に付けたコンドームはすぐに外れ、韓国女は煙草を吸い始めた。

店を出る。ほしい女は、この世にひとりしかいなかった。軽くなった財布を、ポケットに入れる。寒かった。しかし雨は降っていなかった。雪も降っていなかった。桜が咲いていた。夜桜は風に震えていた。身体が震えて、その前でかがみこんで吐いた。何も出てこなかった。胃液しか出てこなかった。女はいくらでも抱けた。女の代わりはいくらでもいた。そういう人生があった。そういう過去があった。だがしかし、ほんとうは何が欲しかったのか。ほんとうは何を求めていたのか。答はなかった。自明だった。月が、見ていた。

2012-04-07

捨てられた模型・再

旦那の趣味の件で、悲痛な結末に…至急お願いします (OKWaveより抜粋)

旦那の趣味はガンプラです。小学校から28歳までずっとやっていて、結構プロ的な器具も揃っていますし、サークルにも参加しています。
私はガンダムやロボット系が元々大嫌いで、いい気はしなかったのですが、交際を深める内にどんどん嫌になってきました。
(中略)
私は「私がいやがってもしたいって言い張るんでしょ?離婚したいってくらい嫌でもやり続けるんでしょ?」と言ったりもしました。結局彼は「もうしたいって言わないよ」と言いました。ですが私が風呂中に、彼が部屋でガタガタしてるので、もしやと思い、上ったあと彼の部屋を見てみると、がらりとしていました。
大きな箱数箱に、めちゃめちゃに器具やプラモが入っていて、プラモは壊れていました。パソコンや一眼レフカメラやプリンターまで入っていて、衝撃を受けました。ただ、しいていえば、綺麗な塗料なんかは、まだ引き出しに入ったままでした。

いつも同じ光景を見ていた。いつも変わらぬ、夫婦の断絶だった。
同じ風景を私たちはかつて目撃した。いや、同じ場所に生き続けていた。

趣味、とは、男と女の間に広がる奈落の別名だった。

男は、いつも趣味に生きている。言い換えれば架空の<子供>のためにしか生きられない。なぜなら、男には子供を産むことができないからである。

妻は勝手に孕み、それが自分の子であるかどうか判別する手段はない。それを、こころでも身体でも知っているのは妻だけである。科学技術の発達は、その確認を可能にしている。しかり、それは事実である。しかし夫の不安は消えてなくならない。これからも消えることはない。男は、自分の子に対する本質的な実感を得ることなどできぬ。

男にとって、趣味と仕事だけが自分の子供であり、それを通してのみ自分が生きる実感を得ることができる。それがスポーツであれ、コレクションであれ、女遊びであれ、同じことである。自分の子を産むことができる能力を奪われ、自分の肉から新しい人間を作りだすこともできず、ひとりぼっちで射精し、ひとりぼっちで趣味にいそしむ。これが男である。

そのような男にとって、自分が熱中できる何かは、何よりもかけがえのないものである。女は、それを永遠に理解できない。女は、いつでも男を軽蔑している。自分が持っている力の大きさに気がつかない女たちは、男がそもそも強いられた欠損を理解しないし、できない。だから、その間には、常に巨大な奈落が広がっている。それは、相手の個性を理解することでは超えられない。わかることでは超えられない。わからないこと、そのことによってのみ、困難な理解のはじまりが得られるのみである。

男はいつでも恐れている。男はいつでも怖がっている。獣と暴力をもたらす下半身に駆動され、子を産める女たちを恐れている。プラモデルが、同人誌が、アニメが、ライトノベルが、漫画が、Twitterが、Togetterが、2chが、まとめサイトが、G+が、Facebookが、なぜとくに男にとって必須なのか。なぜ女にはそれが必要ないのか。それを考えたことがある男は、慄然としてそこに立ちすくむしかない。その恐ろしさを知っているのは男だけだ。

夫は、趣味を否定されたから捨てたのではない。夫は、妻に対するあてつけで捨てたのではない。夫は、妻の傲慢さにうんざりしたのである。理解できる、そう思う妻の思い上がりにうんざりしたのである。そしてこれが特定の夫婦の話だろうか。誰でも知っている。誰でも経験している。そのような困難の中に、私たちは居住させられている。なぜか。なぜこのような物語が繰り返されるか。答はいつもあまりにも自明である。

2012-04-06

はじまりの風景

巨大な、水槽の底のような売春宿の待合室。私が入ったとき、そこにはすでに男たちが座っていた。小さな椅子に並んで座る男たちは、みな異様な顔をしていた。それは、昆虫の顔だった。感情が抜け落ちた、飢えと、乾きと、衝動だけに突き動かされる、人間ではないなにかの顔をしていた。私は、その時のことをよく覚えている。その時のことを、たまに夢に見る。なぜなら、私は男だからだ。つまり、私は人間ではないからだ。昆虫のように、性器からの衝動によって駆り立てられる、足と脳みそがついた男性器に過ぎないからだ。

夜明けの空が輝いていた。女との長い電話を終え、私はコンビニに珈琲を買いに来ている。桜の蕾が、すでに開きはじめていた。缶コーヒーを飲みながら、煌々と輝くコンビニの前に立って、ぼんやりと空を眺める。その待合室は、ガラスで半分に区切られていた。男たちの反対側には、売春婦たちがスツールに座っていた。肌をあらわにした、化粧をし、うつくしい女たちが笑顔で男たちを見ていた。女たちは、確かに買われる側だった。女たちは、確かに弱者であるのかもしれなかった。しかし、違った。女たちは、男を哀れんでいた。人間ではない男を蔑んでいた。

飛行機のジェットエンジンの音が、遠くの空からかすかに響いてくる。私は携帯を弄びながら、女とのやりとりを読み返している。コンビニの光が、朝の光で霞んでいく。もう、新しい朝が来たのだ。もう、次の一日がやってきたのだ。お前の身体は、いつみても最高だ、と私は書いていた。お前の身体は、足の指から髪の毛までうつくしい、と私は書いていた。どこかに嘘があるはずだった。どこかに演出があるはずだった。しかしそれは真実とまったく見分けがつかなかった。ほんとうの気持ちとまったく見分けがつかなかった。男は人間だろうか。男は人間と見分けがつくだろうか。わからなかった。何一つわからなかった。

缶コーヒーをゴミ箱に捨て、私は歩き出す。県警のパトロールが、朝まで起きてコンビニまで買い物に来た私を睨みつけて去っていく。近くに市長の家があるらしかった。若いカップルが、腕を組んで笑いあいながら歩いていった。その笑顔が作り物にみえた。性交しながらお互いを喰い合うカマキリのようにみえた。どこかに、軽い吐き気があった。男のジーンズの股間が膨らんでいた。勃起した性器をどうすることもできないのだった。男は孤独だった。男はどこにもいけなかった。男はひとりぼっちだった。子供を産めない男はいつも欠陥品だった。まがいものの人間だった。男は、どうしたら人間になれるのだろう。朝の光が、私を刺し貫いている。

2012-04-05

喪失前夜

桜が、咲きかけている。娘を空港で見送り、車を路肩に停めた。お前みたいな淫売を愛せるのは俺だけだ、という自分の出したメールを読み返しながら、木々の梢で膨らむつぼみを眺める。開花前の桜は、異様な雰囲気をたたえている。それはいまにも崩壊しそうな、溶鉱炉のように見える。あちこちから火と煙が吹出し、近寄ることも触れることもできないのだ。車を再び走らせると、遠くから正午の時報が聞こえてきていた。

群れなければ何もできないひとびとを眺めていた。誰かに同意してもらわねば意見ひとつ言えぬひとびとの姿を眺めていた。うん、や、わかる、と言われなければ、不安でたまらないひとびとの相貌。Favを、RTを、+1をされるためだけになにかを書き、そのためだけに食事をし、性交をし、仕事をし、時間つぶしをし、漫画を読む、そのとてつもない空しさのことを思う。それしかないのか、という言葉は、もちろん自分にも向いている。それしかあるはずもない。

ひとのエントリをコピーペーストし、自分が書いたように見せかけた<女>の投稿群を眺めている。うつろでうつくしい笑顔に、可愛らしい猫の写真。それはおなじみのG+の光景だった。かわいいもの、おもしろいもの、たのしいもの、そうしたものだけがG+では称揚されていた。そうしたものだけが、読むべきものとされていた。それ以外のものは、許可されていなかった。それ以外のものは、なかったものとされていた。

セルフのスタンドでガソリンをいれながら、ぼんやりと空を眺め、性行為のことを考えている。男と女を隔てるものはセックスであり、それをつなぐものもまたセックスだった。私たちは両刃のカミソリを与えられた、下半身に駆動されるみじめな生き物である。社会が求める綺麗事は、その傷を覆い隠すためにだけ機能している。包帯の下で流れる血も痛みも、どこにも存在していない。なぜならそれは見えないからである。ガソリンを入れ終わると、風が、吹き始めていた。


群れなければ何もできない。そういうひとびとが、ネットにはあふれていた。いや現実にもあふれていた。誰しもが同意を求めていた。誰しもが理解を求めていた。しかしそれはかなわなかった。しかしそれは不可能だった。なぜなら彼らが求めているのは同意などではなかった。なぜなら彼らが求めているのは理解などではなかった。彼らが求めているのは<つながり>であった。ほんものがないからネットにすがった。どこにも見当たらないからまがい物で満足した。それがTwitterでありG+でありFacebookであった。

つながることこそが不可能である。そしてつながることだけが可能である。この矛盾を超えるすべを私に与えよ。この相克を超える方法を私たちに示せ。私たちはこれからどんどん孤独になるだろう。これが底などと思ってはならない。私たちはますます貧しく、ひとりぼっちに、相手のことを見失っていくだろう。これが喪失の始まりである。桜は毎年咲くだろう。だが私たちはついに咲くことなど許されぬまま、群れなければ生きてゆけぬまま、ここでひとりで死んでいくだろう。それを記さねばならぬ、なぜなら。

2012-04-04

大人とはなにか

大人とは何か、そんなことを質問しなければならぬ精神がある。
大人とは何か、そんなことを尋ねなければならぬこころがある。
大人とは何か、そんなことを真顔で聞いてしまう魂がある。

全裸の女を撮影したビデオを見返していた。服を脱いだ女に興奮するのではない。そんなものはありふれており、どこでも手に入るものである。私たちを興奮させるもの、それは羞恥心を耐え忍ぶ姿である。

大人とは何か。むろんそれは性行為の多寡ではない。

街を見よ、ネットを見よ。大人のふりをした子供ばかりである。いわく大人とはカネである。いわく大人とは社会的地位である。いわく大人とは責任である。

そのすべてが虚しく、嘘だらけである。

子供と大人を隔てるものは何か。それは年齢ではない。それはカネの有無ではない。それは職業の違いでもない。それは年収の違いでもない。それは結婚経験でもない。それは処女でも童貞でもない。それは避妊具でもない。それは販売中止となったネオサンプーンでもない。

どんな子供でも性行為はできる。携帯を持てば援助交際は誰でも可能である。誰でも容易なのに見てみぬふりをしている。一晩七万円でスーツを着た中年に抱かれている。まったく簡単である。どんな子供でも、口と性器の値段が違うことぐらいはわかる。それはまったく自明のことである。裸で写真を撮らせればカネをむしれる。動画を撮らせればさらにカネをもらえる。笑顔で別れれば後腐れすらない。この子供は大人だろうか。

大人は我慢しているという。大人は耐え忍んでいるという。頭を叩かれながら屈従の中で仕事をしているという。こうした困難に立ち向かう大人たちの姿は私たちを少しも感動させない。そこには疲労と諦念しかない。彼らのセリフはいつも同じである。大人はたいへんだ。そう嘯きながら、ストレスという名前の糖衣錠を飲み下し、今日もモバゲーで、Greeで、Mixiで、何もかもが無料なネットで時間つぶしをするしかないのである。それが大人の嗜みであるとみなされる。

セックスは安価で、いつでも、誰とでもすることができる、最高の娯楽のひとつである。これ以外に楽しみがない人生こそが貧しく、私たちはみな貧しさの中で生きることを強いられている。頭だけは巨大なのに、下半身だけはどうにもならない。下半身だけは別の生き物である。男は誰とでも何とでも寝たがり、女は隙あらば子供をつくろうとする。異性の相手が見つからぬ代わりにマスターベーションの道具だけが進化していく。まがい物ばかりであり、どうにもならぬ夜だけが数を重ねる。

星の数ほどあるポルノ動画が、Tumblrの裸写真が、出会い系Twitterが、スーツ社交場のFacebookが、猫画像のG+が、強姦と暴行と陵辱だけが売りの漫画群が、ありとあらゆるものがまがいものであり、そこにあるのは幼稚な好奇心によって作られたもうひとつの世界の光景である。しかしそこにあるのは影だけである。そこにあるのは蜃気楼だけである。そこに触れても何もなく、現実は砂のように乾いている。そしてそれを作っている何かに恐怖したとしても、その機械仕掛けの歯車はあまりに巨大すぎて、個人はひき潰されるだけである。

その恐ろしさにふと慄然としながら、カメラの前で裸になった女の顔を見つめる。
大人とは何か、それはセックスである。

2012-04-02

ブリッジ

どうせ、誰にも愛されない、という不安を、誰しもが抱えている。

なぜあなたは愛されなかったか、なぜあなたはひとりぼっちだったか。
なぜどこにも行き場所がなかったか。
なぜTwitterやG+だけがあなたの息抜きと生活の愚痴のはけ口か。

なぜ男たちは自慰しかしなくなったか。ネットにあふれるまがいもので満足したのか。
なぜ女たちは男を軽蔑するようになったか。男にないがしろにされて絶望したか。

答はいつでも自明だった。答はつねにそこにあった。
しかしそれを見ることと知ることは違う。それをわかることと行うことは違う。
そこには絶望的な広さの奈落が広がっている。

それを超えることだけが求められていて、それだけが、生きるということに値する何かだった。
奈落には見えない橋が架けられているが、断崖に足を踏み出さねばそれを知ることはできないのである。

G+に猫画像を貼って癒される、それがあなたの寂しい人生。
Twitterにもっともらしいことを書いて褒められる、それがきみたちの貧しい人生。
Facebookに自分の写真を貼って自己満足を得る、それが、奈落の前で立ちすくむ私たちの人生。

ネットの利便性が高まれば高まるほど、私たちはさらにひとりぼっちになり。
ネットが世界中に蔓延し、私たちの距離が近くなればなるほど、ばらばらに切り離されて。
ネットにすべてがあると思えば思うほど、男も女もお互いを見失っていく。

そこにはまがい物しかないのに。そこには偽物しかないのに。そこには時間つぶしの道具しかないのに。
ほんとうのものから目を背け、作り笑いをして誰かに合わせるだけの生活を耐え忍ぶだけ。

しかし、誰しもがそうなのである。しかし、誰しもがそれを強いられているのである。
さらに不幸になり、さらにひとりぼっちになり、さらにどこにも行けなくなるのである。
この、どこにでも行けるネットの中に閉じ込められた私たちは、どこにも辿りつけないまま死ぬのである。

ネットという強大でグローバルな自己欺瞞装置の投影する楽園の外にでなければならぬ。
さらさらと崩れていく砂の王国の住民であるところの私たちに残された道はひとつ。
それは、愛するということを今一度取り戻すということでしかない。

どこにも存在しない、見えない橋をわたらなければならない。
男と女の間にある断絶を超えなければならない。
それは奈落への転落を覚悟して死ぬということと等しく見えるかもしれない。
しかし足を踏み出さねばならない、たとえそれが、自らの死と同義だとしても。

なぜなら、それ以外にこの恐るべき断絶を超える方法などもう許されていないからである。

2012-04-01

あなたたち男の貧しいセックス

男たちのセックスは貧しい。自分が射精して満足するだけのセックス。女を性の道具としてかみない精神。マスターベーションでいいのに女を買ってしまう愚かさ。女のことなど、何一つ見ていない。何一つ知らない。何一つわかろうとしない。女を騙して、処女を奪って、愛人にして、避妊具も付けずにセックスをして、子供ができたら堕胎させる。これが男である。これが男のセックスである。そんな分際で女に愛の説教をするのである。

街を見よ。電話ボックスに貼りつけられた極彩色のピンサロとテレクラのチラシ。これが男の作った世界である。きらびやかな高層ビルの背後にある、ドブネズミが住む歓楽街の姿を見よ。そこに立つ年老いた売春婦たちの横顔を無視して作られた都会。これが社会である。

ネットを見よ。股を開いた女の性器、乳房を誇らしげにさらした写真、精液まみれの全裸写真。あらゆるところに遍在する<セックス>の物語。一日に何億通も送信されるスパムメール。もはや出会い系以外の形容詞が見当たらぬSNS群。セックスがしたいだけの男たちが、自分の欲望をひそかに隠したまま創り上げたネットこそ、男たちのいびつな夢の結晶であり、ユートピアである。

スーツを着てもったいぶった連中の横顔に浮かぶ薄ら笑いを見よ。彼らは家で何をしているか。妻を抱かないで、留守に愛人を連れ込んでセックスしている。妻を抱くときは、別の女の性器のことを考えている。財布の中には愛人の写真とコンドームが収められ、メールボックスには相手からのメールがこっそり隠されている。まったく立派である。まったくご立派である。立派でないのは、動物と変わらぬ性器としてしか生きられぬ男である。

「表現の自由」によって守られる、暴行と、強姦と、買春と、性虐待の物語群を見よ。子供でも買える漫画が、コンビニで、本屋で、同人誌即売会で、携帯の電子書籍で、いつ、いかなる場所でも購入できる、この恐ろしさを見よ。誰もそれをおかしいと思っていない。しかし、おかしいのは、表現が許容されることではない。おかしいのは、男たちが自分のほんとうの顔を忘れたことである。自分が動物であるということを、忘れてしまったことである。

Twitterで、G+で、Facebookで繰り広げられる薄ら寒い綺麗事の数々を見よ。何が原発か。何がマーケティングか。何が表現の自由か。男たちが望んでいるのはセックスだけである。さもしいシステム屋がけして口にしないこと、それがセックスである。Googleが覆い隠しているもの、それがセックスである。

なぜそうか。怖いからである。恐ろしいからである。女のことがわからないから怖いのである。女が怖いからフィクションに逃避するのである。女が怖いから同人誌を買うのである。女が怖いから原発と戦うのである。女が怖いから権力と戦うふりをするのである。女が怖くて怖くてたまらないから、いつまでもひとりぼっちで自慰をし、放出した精液の虚しさを噛み締めて、今日もネットで会ったことのない女の悪口を書き連ねる人生しかないのである。

男は、セックスがしたいのである。いつでも、誰とでも、どんな場所でも、朝も、正午も、夜も、休憩時間も、深夜も、恋人と、娘と、妹と、姉と、母と、叔母と、従妹と、ヤクルト販売員と、レジ打ちの販売員と、銀行受付のスーツ女と、学校で、病院で、職場で、ラブホテルで、公園で、車の中で、妻がいない家の中で、ありとあらゆる時、相手、状況で、セックスがしたいのである。なぜそれを隠すか。なぜそれをなかったことにするか。すべての桎梏は、それがオリジンでありルーツである。

男はどうしたら人間になれるのか。街には身勝手なセックスであふれている。女を強姦し、女をよがらせ、それを女が受け入れると考える、無知で恥知らずな男たちの抱く妄想が、そうした幻想を女に押し付け、女たちはそんな男たちを軽蔑しきっている。ほんとうの女は、理解不能な何かである。理解できぬものをけして恐れるな。傷つき、血を流すことを恐れるな。女を見よ、そして忘れるな。

この、どうしようもなくくだらぬ、偽善だらけの世界。
女こそが、女だけが、男を動物から人間にしてくれる何かである。