2012-04-01

あなたたち男の貧しいセックス

男たちのセックスは貧しい。自分が射精して満足するだけのセックス。女を性の道具としてかみない精神。マスターベーションでいいのに女を買ってしまう愚かさ。女のことなど、何一つ見ていない。何一つ知らない。何一つわかろうとしない。女を騙して、処女を奪って、愛人にして、避妊具も付けずにセックスをして、子供ができたら堕胎させる。これが男である。これが男のセックスである。そんな分際で女に愛の説教をするのである。

街を見よ。電話ボックスに貼りつけられた極彩色のピンサロとテレクラのチラシ。これが男の作った世界である。きらびやかな高層ビルの背後にある、ドブネズミが住む歓楽街の姿を見よ。そこに立つ年老いた売春婦たちの横顔を無視して作られた都会。これが社会である。

ネットを見よ。股を開いた女の性器、乳房を誇らしげにさらした写真、精液まみれの全裸写真。あらゆるところに遍在する<セックス>の物語。一日に何億通も送信されるスパムメール。もはや出会い系以外の形容詞が見当たらぬSNS群。セックスがしたいだけの男たちが、自分の欲望をひそかに隠したまま創り上げたネットこそ、男たちのいびつな夢の結晶であり、ユートピアである。

スーツを着てもったいぶった連中の横顔に浮かぶ薄ら笑いを見よ。彼らは家で何をしているか。妻を抱かないで、留守に愛人を連れ込んでセックスしている。妻を抱くときは、別の女の性器のことを考えている。財布の中には愛人の写真とコンドームが収められ、メールボックスには相手からのメールがこっそり隠されている。まったく立派である。まったくご立派である。立派でないのは、動物と変わらぬ性器としてしか生きられぬ男である。

「表現の自由」によって守られる、暴行と、強姦と、買春と、性虐待の物語群を見よ。子供でも買える漫画が、コンビニで、本屋で、同人誌即売会で、携帯の電子書籍で、いつ、いかなる場所でも購入できる、この恐ろしさを見よ。誰もそれをおかしいと思っていない。しかし、おかしいのは、表現が許容されることではない。おかしいのは、男たちが自分のほんとうの顔を忘れたことである。自分が動物であるということを、忘れてしまったことである。

Twitterで、G+で、Facebookで繰り広げられる薄ら寒い綺麗事の数々を見よ。何が原発か。何がマーケティングか。何が表現の自由か。男たちが望んでいるのはセックスだけである。さもしいシステム屋がけして口にしないこと、それがセックスである。Googleが覆い隠しているもの、それがセックスである。

なぜそうか。怖いからである。恐ろしいからである。女のことがわからないから怖いのである。女が怖いからフィクションに逃避するのである。女が怖いから同人誌を買うのである。女が怖いから原発と戦うのである。女が怖いから権力と戦うふりをするのである。女が怖くて怖くてたまらないから、いつまでもひとりぼっちで自慰をし、放出した精液の虚しさを噛み締めて、今日もネットで会ったことのない女の悪口を書き連ねる人生しかないのである。

男は、セックスがしたいのである。いつでも、誰とでも、どんな場所でも、朝も、正午も、夜も、休憩時間も、深夜も、恋人と、娘と、妹と、姉と、母と、叔母と、従妹と、ヤクルト販売員と、レジ打ちの販売員と、銀行受付のスーツ女と、学校で、病院で、職場で、ラブホテルで、公園で、車の中で、妻がいない家の中で、ありとあらゆる時、相手、状況で、セックスがしたいのである。なぜそれを隠すか。なぜそれをなかったことにするか。すべての桎梏は、それがオリジンでありルーツである。

男はどうしたら人間になれるのか。街には身勝手なセックスであふれている。女を強姦し、女をよがらせ、それを女が受け入れると考える、無知で恥知らずな男たちの抱く妄想が、そうした幻想を女に押し付け、女たちはそんな男たちを軽蔑しきっている。ほんとうの女は、理解不能な何かである。理解できぬものをけして恐れるな。傷つき、血を流すことを恐れるな。女を見よ、そして忘れるな。

この、どうしようもなくくだらぬ、偽善だらけの世界。
女こそが、女だけが、男を動物から人間にしてくれる何かである。