2012-04-02

ブリッジ

どうせ、誰にも愛されない、という不安を、誰しもが抱えている。

なぜあなたは愛されなかったか、なぜあなたはひとりぼっちだったか。
なぜどこにも行き場所がなかったか。
なぜTwitterやG+だけがあなたの息抜きと生活の愚痴のはけ口か。

なぜ男たちは自慰しかしなくなったか。ネットにあふれるまがいもので満足したのか。
なぜ女たちは男を軽蔑するようになったか。男にないがしろにされて絶望したか。

答はいつでも自明だった。答はつねにそこにあった。
しかしそれを見ることと知ることは違う。それをわかることと行うことは違う。
そこには絶望的な広さの奈落が広がっている。

それを超えることだけが求められていて、それだけが、生きるということに値する何かだった。
奈落には見えない橋が架けられているが、断崖に足を踏み出さねばそれを知ることはできないのである。

G+に猫画像を貼って癒される、それがあなたの寂しい人生。
Twitterにもっともらしいことを書いて褒められる、それがきみたちの貧しい人生。
Facebookに自分の写真を貼って自己満足を得る、それが、奈落の前で立ちすくむ私たちの人生。

ネットの利便性が高まれば高まるほど、私たちはさらにひとりぼっちになり。
ネットが世界中に蔓延し、私たちの距離が近くなればなるほど、ばらばらに切り離されて。
ネットにすべてがあると思えば思うほど、男も女もお互いを見失っていく。

そこにはまがい物しかないのに。そこには偽物しかないのに。そこには時間つぶしの道具しかないのに。
ほんとうのものから目を背け、作り笑いをして誰かに合わせるだけの生活を耐え忍ぶだけ。

しかし、誰しもがそうなのである。しかし、誰しもがそれを強いられているのである。
さらに不幸になり、さらにひとりぼっちになり、さらにどこにも行けなくなるのである。
この、どこにでも行けるネットの中に閉じ込められた私たちは、どこにも辿りつけないまま死ぬのである。

ネットという強大でグローバルな自己欺瞞装置の投影する楽園の外にでなければならぬ。
さらさらと崩れていく砂の王国の住民であるところの私たちに残された道はひとつ。
それは、愛するということを今一度取り戻すということでしかない。

どこにも存在しない、見えない橋をわたらなければならない。
男と女の間にある断絶を超えなければならない。
それは奈落への転落を覚悟して死ぬということと等しく見えるかもしれない。
しかし足を踏み出さねばならない、たとえそれが、自らの死と同義だとしても。

なぜなら、それ以外にこの恐るべき断絶を超える方法などもう許されていないからである。