2012-04-10

五十人の女たち(1)

記憶はいつでも曖昧だった。出張でホテルに泊まり、職場で得たカネで女を連れ込む。それは当然の嗜みだった。バンコクのある支店長が、私に言った、この国経由で、連中は、カンボジアに幼女を買いに行くんですよ。現地で一万円を換金すれば、財布は分厚くなった。その重さこそが価値だった。カネは女への片道切符だった。女はいくらでもいた。女はどこにでもいた。財布があれば何でも買えると思った。しかし買えないものは常にあった。カネではなぜか手に入らないものがあった。セックスを経なければその貧しさに気づけぬように、カネを経てはじめてカネの愚かさを知った。

朝から晩まで狭苦しいマシンルームで通信ログを解析し、その対価として得たカネで妻を養い、こどもを育て、そして妻が留守の間に家に女を連れ込んでいた。最初の女の名前は忘れてしまった。女とはなんと2chで知り合った。われながらうまくいったものだと思った。一度も使ったことがない場所で、出会った女にメールをした。すぐに返事があった。妻がいるキッチンで携帯メールを何度かやりとりした後、急な仕事が入った、と言って、外車を転がして女との待ち合わせ場所へと向かった。女とはファミリーレストランで待ち合わせをした。時間になると、小柄な女がテーブルにやってきた。どこにでもいる平凡な顔だった。

女の部屋は、狭く、暗く、湿っていた。どことなく不幸の匂いがした。女の生活は貧しかった。キッチンには食べかけのシチューが入った鍋があり、壁際には、洗濯物が吊るされていた。壁に芸能人のポスターが貼られていた。生理なんだ、と女は言った。でも、ピル飲んでるから、あなたさえよければ、生でいいよ、と言った。女の体は、部屋と同じように、どこもかしこも湿っていた。脇も、背中も、耳の裏も、どこもかしこも湿っていて、それはまるで涙のようだった。捨てられたの、と女は言った。捨てられて、寂しかったの、誰でもよかったの。俺もだ、と私は思った。女の身体は、どこもかしこも柔らかかった。妻の硬い体とはまったく違って、足は大きく開き、私を誘った。

女の部屋に、週一回ほど通うことになった。女は私の車の助手席を気に入った。私も女を連れ回して、首都高を走らせるのを楽しんだ。しかし女の話はどれも退屈で、どうしようもなくつまらなかった。女は運転免許がほしい、と言っていた。私は取ってみろ、と言ったが、女は結局何もしなかった。女との関係が鬱陶しくなってきた頃、妻が性病になった。カンジダだ。疲れるとこういう病気になるみたい、と妻は言った。私は妻の性器に薬を塗りながら、俺のせいだろうか、と思った。あの湿った女と性交したことが、当時すでに性交渉がなかった妻への罰として降りかかった、そういう気がした。女とは最後に新宿のバーであった。お前とは遊びだった、と言い、殴られた。顔を拭きながら、女の背中を見送る。財布にはまだカネが残っていた。