2012-05-10

夢と希望のインターネット

そんな事で自殺したら駄目だよ。就活がうまくいかなければ、起業でも何でもしてみよう。死ぬ気になれば何でも出来るはず。 :「就活失敗し自殺する若者急増…4年で2・5倍に」(読売オンライン) 

https://twitter.com/#!/matsudakouta/status/199756070531497984

ひとは他人の死を経てしか死を知ることができない。自分の死は常に不可視である。つまり「死ぬ気」とはしょせん喩でしかなかった。ひとの死について語ることはいつでも容易であり、だからこそ何かを死ぬ気でやることが称揚されていた。

自らの死について考えることは難しい。記憶の保存装置たる脳が死ねば意識は消失する。魂などというものはない。そう考えた漱石は、自分の遺体を検体として提供し、その脳は死後東大で保存されることになった。死と向き合うことは常に難しく、それはたとえば、死後自分の身体をばらばらに切り刻み、標本にすることを是とするような意識のことだった。

就職しなければ、この閉塞したいびつな社会からのけ者にされ、つまはじきにされ、行き場を失ってしまう、という誤謬を強いる現状があった。それを「やる気」や「努力」で超えることはできなかった。構造的な枠組みが個人に強いるものの大きさを考えたとき、それをひとりの小さな個人が超えることができないのは自明である。

起業すれば、自分は自由に生きられる。就職とは違う「新しい道」が開かれる。そういうのんきな夢物語、つまり妄想を嬉々として語るひとびとの鈍感さに耐えられないひとびとがいた。この手の鈍感なひとびとの口はいつも同じ臭いがした。その声は大きく、その顔はいつでも図々しかった。生まれてから一度も、弱さとは何かと考える必要がなかったひとびと。まったくしあわせなひとびとだった。

罵声も、怒声も、悲鳴も、無力感も、その中に閉じ込められそこからけして出られない閉塞感も、ひとつも経験せずとも生きてこられた鈍感なるひとびとの顔は、いつも同じだった。こういうひとびとがこの社会、いや、どの社会においても、たいていの場合カネと権力を持っているのだった。なぜなら、そうでなければ、この苛烈な競争のなかで生き延びていけないからである。つまり生きるとは鈍感さを自らに強いることであった。

死ぬことは誰にでもできた。同じように、自殺もまた容易だった。手首に残されたためらい傷の痕を見ることはありふれたことだった。問題は眼に見える傷だけではなかった。ひとは自殺をしようとするとき、いつも誰かに救ってほしいと思っていた。かれに足りないのは勇気ではなく、最後の一線を踏み越える前に、それを止めてくれる誰かであるはずだった。優しさ、という陳腐なものを、誰もが必要としていた。そしてそれは、ひとりではけして得られない何かだった。それがなければ、生きながら死んでいくしかない。そしてそのような生きる屍を、私たちは毎日のように目撃していた。

だから、誰でもそうなのだ、とあきらめて生きるほかなかった。下をむいて、背中を曲げて、泥にまみれた地面を見ながら、敗北の人生を歩むしかなかった。顔には常に作り笑いを貼りつけていた。皆そうしているから、と思っているひとびとの諦念が、この巨大な状況を生み出していた。あまりにも貧しかった。あまりにもさみしかった。むしろそれは死よりも悪いものであるのかもしれなかった。むしろ自殺したほうがましかもしれなかった。「そんな事で自殺したらだめだよ」などと阿呆なスーツに説教される人生なら、家に火をつけて我と我が身を焼き尽くしたほうが、よほど華やかで満足に足る人生なのかもしれなかった。

どこまでも理解されなかった。自らの理解のまったく及ばない場所に対して、どこか上だと自分が思っている場所から、あたりかまわず泥を投げつける連中が、この社会に群れていた。しかも本人はそれを善意のアドバイスだと思っていた。まったくお話にならなかった。偽善と自己保身とおためごかししかなかった。こういうひとびとがTwitterに、Facebookに、ありとあらゆるSNSで幅を効かせていた。あらゆる場所に、まがいものの夢と希望が転がっていた。

お前たちはこれでいいのか、と問うことからはじめなければいけなかった。就職と起業にしか「夢」や「希望」がないと主張する、無知で恥知らずな連中の戯言にまどわされる人生は、あまりにもむなしかった。むしろ必要なのは、この張りぼての城を叩き壊す何かでなければならなかった。それは銃だろうか。それはナイフだろうか。違った。そんな前近代的な暴力でこうした連中の愚昧さを叩き潰すことはできなかった。こうした連中の鈍感さを殺しつくすことなどできなかった。手に入れなければならなかった。書き記した瞬間紙が燃え上がる温度をもったことばを、お前たちは手に入れねばならなかった。それはどこにあるか。それはどこで手に入るか。いまさら言うまでもない。私が。