2012-05-12

五十人の女たち(8)

お子さんは、うちの幼稚園ではお預かりしかねます、と入園を断られた話は、ジャカルタへの出張から戻った晩に聞いた。私はトランクを居間に置いて、畳の上にスーツを着たまま倒れこみ、天井を見ていた。成田空港からの長旅で、身も心も疲れきっていた。動けないまま、明日書かねばならぬ出張報告書のこと、ポケット中に入ったままになっている店の女の名刺のこと、そして手持ちのカネのことを考えていると、二階で子供を寝かしつけてきた妻がやってきて、私のとなりに座ったのだった。だめだった、と妻は言った。何が、と私は言った。もちろん、答はわかっていた。そして私は何もいうべきことばを持っていなかった。誰かに、何かに対する怒りだけがあった。スーツのポケットの中で、携帯のメール着信音がした。

女は大学の頃の知人で、一度だけ妻と三人で遊びに行ったことがあった。その内容はほとんど覚えていない。覚えているのは、ガラナが入った飲み物を飲んだとき、「それって精力剤だよね」と笑いながら女が言っていたことだった。女の身体はどこも柔らかかったが、その身体にはガラスの破片が混じった砂のように、うかつに触れると指を切りそうな危うい印象があった。なぜそう思ったのかは、よくわからない。女とは二三度寝たが、すぐに飽きた。女もそう思っているようだった。一度寝た後にアドレスを携帯の連絡先から削除し、二回寝た後には電話番号を連絡先から削除した。しかしたまに連絡はしていた。発信者名がない、アルファベットと数字の羅列が女のすべてだった。

できたらおろせばいい、と女は言っていた。女は普段避妊しないと言っていた。何が女をそうさせたのか、よくわからなかった。純粋に経済的な理由で、男は避妊具を使うようになるものだった。女のそれはどういう意味だったのか、後になって薄々気がついた。女はまるで自傷をするように、男と寝ることがあるのだった。しかし詳しくは質問しなかった。女もまた、私の子供について、何も質問しなかった。そしてそれを心地良いように思っていた。お互いに無関心であることが、なによりも必要なことだと感じていた。聞いてはいけない、訊ねてはいけない、ほんとうのことを聞いてしまえば、関係はすべて終わってしまう。さらさらと崩れる砂の城のように、影も形もなくなってしまうのだった。

汚れた皿が、キッチンに積み上げられている。妻は病気で寝こんでいた。子供は居間でひとりクレヨンで絵を描いていた。ふつうの幼稚園には行けない、ということはもうわかっていた。親ができることなど何もない、と思った。窓の向こうにある公園で、子供らが遊ぶ声が聞こえた。息子が、私を見た。私は目をそらして、キッチンのテーブルに腰を下ろした。女からのメールが来ていた。いまなにしてる、と書かれていた。息子が、私を見ている気配がした。とくになにも、と女に返事を書いた。正午さんってさ、と女が書いている。何、と私は訊ねた。ほんとうは、ママのこと、愛しているの? と、息子が口にした気がした。そんなことはありえなかった。そもそも言葉がまだしゃべれないのだ。そんなはずはない、と怒鳴りたくなった。女からのメールはそれきり途絶えていた。視線に耐えられなくなって、家の外に出た。雨は、降っていなかった。庭に、園芸用の砂がこぼれていた。さらさらと、乾ききった砂を踏みしめた。踏みにじられる砂が、悲鳴のような音をたてた。