2012-07-08

美術館の午前

セミの声がガラス越しに聞こえるような気がした。都心にある美術館の中で、ベンチに座って女を待っている。強い日差しが、天窓からまっすぐ足元に落ちてきていた。壁に取り付けられたLG製の巨大な液晶テレビに、鉄骨をさらした福島原発の様子が映っている。赤いスーツを着たNHKのキャスターが、口を動かして何かをしゃべっている。しかし音声はオフになっていた。おそらく聞こえたとしても、それはどこか別の国の言語のように聞こえたに違いなかった。

いまそこにある現実を映しているはずのテレビの奇妙な非現実感に、私たちは囚われ続けていた。食事をし、仕事をし、性交をし、子育てをする。そうした日常的な営為を続けることに、いつしか息苦しさが伴うようになっていた。何かをしなければならない。行動を起こさねばならない。と、たとえばTwitterのひとびとがいつものように怒鳴り散らしていた。しかしかれらが隠している横顔は、一様にさみしく、まずしかった。

誰もが世界で一番だと思っていた日本の技術の惨めな敗北が、かつての先進国であり経済大国であるこの国の誇りをずたずたに引き裂いていた。そして世界から嘲笑と哀れみのまなざしが浴びせられていた。しかし、この中にとどまる限りにおいて、そのことにはまったく無関心で、無自覚でいられた。いつまでも先進国の一員だと思っていられた。バブルの崩壊とその後の敗北主義だけでは不十分だったのだ。さらに負けねばならなかったのだった。

日差しが強さを増していた。ニュースは、パンダの赤ん坊を映している。隣にある大国からレンタルしてきたパンダのつがいが、性交をして子供を作ったのだ。明るいニュースです、と紹介されていた。まるで動物だけが自由に性交することを許されているようだった。時計をみると、正午に近かった。そして女はいつまでも帰ってこなかった。その時、建物がぐらりと揺れた。ニュースの女は、揺れるスタジオで笑顔をつくっていた。それはもはや取ることのできない、肉で作られた仮面のように見えた。