2012-07-09

プロメテウスの火

何のために生きているのか、と思うことは誰にでもある。そして答などないのだった。

風が吹いていた。東京を一歩離れると、日本はどこまでも後進国のように見えた。透明な水をたたえた水田が地平線にかけて広がり、その上の空を、西から東へと雲が流れていた。私の革靴の先が、草にめり込んでいる。後ろに停車した車から、女が呼ぶ声がした。足をどけると、虫けらがそこで死んでいた。虫けらが、私たちそのものに見えた。

そもそも意味などないのに、意味が押し付けられていた。虫けらが自分が虫であることを忘れる。それだけのために、意味が必要とされていた。誰しもが、無意味な人生を仮託する先を必要としていた。その不毛さに、誰も耐えられなかった。その無価値さに我慢がならなかった。たとえばFacebookでは、笑顔のスーツたちが、「ひととは違う意味ある生き方」をしろとすすめていた。彼らはこの現実の不毛さについて、一度も考えたことがないしあわせなひとびとだった。

現実の不毛さを覆い隠すためだけに、理念があり愛があった。たとえば、反原発運動とはそのような理念に基づいていた。Twitterでは、仲間が必要とされていた。ひとりぼっちでは活動はできなかった。RTされねば、お気に入りに入れられなければ、そしてiPhoneでデモの様子を録画して報告せねば、その「活動」は誰にも褒められなかった。「行動」は誰にも称揚されなかった。ひとしく無価値な人生に、嘘と偽善とごまかしを導入すること。これが、Twitterが持たされたひそかな課題だった。

日本だけがこのまずしさ、この悲惨さに閉じ込められているわけではなかった。たとえば第三世界では、「言論の自由」がネットによってもたらされた、というフィクションが、主に権力者の手によって流布され続けていた。あらゆる情報がオープンになったすばらしい現代社会において、言論弾圧はついに不可能になった、と権力者たち、そして彼らにおもねることしかしない言論人らが主張していた。まったくもって大嘘だった。まったく何もかもデタラメだった。むしろ自由はさらに損ねられ、奪われていた。

ホテルの35階から、郊外の町を見ていた。地平線には、暗い太平洋が見えた。ホテルのまわりは林に囲まれ、暗いままの街灯が並ぶ道の脇に、誰も座っていないベンチが雨風にさらされ、放置されていた。女は性交に疲れ、ベッドで眠っていた。テレビをつけて、音声を消したまま、ソファに座って画面を眺めた。また原発のニュースだった。ニュースでは、Twitterでのツイートが引用されていた。ネットはすでに社会であるはずなのに、テレビに映ることができるのは一部の編集された綺麗事ばかりだった。

まさに同じ場で、罵倒と嘲笑しかできないひとびと、いや、ひとを罵倒し嘲笑することが作法でありマナーであり「ネットとはそういうもの」だと思い込んでしまった子供たちが、まずしいことばを用いることを強いられていた。それは「w」や「(笑)」をつけなければ、コミュニケーションが成り立たない、恐るべきまずしさであり、それが今日も昨日も明後日も続いていた。目を覆わんばかりの、悲惨な光景だった。そしてもう、それをおかしいと思うものは、誰もいなくなっていた。

窓のそばに立ち、夜の空を眺める。それは灰色の雲で覆われ、星は見えなかった。どこをみても狂人だらけだった。まるで自分だけが狂っていないかのように思われた。誰もかれもが狂っていて、自分だけが正気を保っているかのように思えてならなかった。そして恐ろしいことに、それは事実なのだった。ポケットに、ライターが入っていた。煙草はやめたばかりなのに、つい持ち歩いているのだった。ライターを取り出して、火をつけようとしたが、つかなかった。女がベッドで、身じろぎする気配がする。

女を置いて、売春婦のところに行きたかった。顔も知らない、名前も知らない、匿名の売春婦たちのところに行きたかった。おそらく売春がなければ、貨幣はつくられなかったのだ、そう、うそぶきながら、私はそっと着替えて、出かける準備を始めた。より幸せな人生、より満足に足る人生を、誰しもが求めていた。反原発デモが、そのような目的で開かれていればずっとましだった。「行動」が、社会のためなどではなく、自分の幸せのためだけに行われること、これだけは是とせねば、何もすすまぬことだけは自明だった。ホテルを出て、タクシーを拾った。お客さん、どちらまで? どこへ行きたいのか、自分でも、よくわからなかった。