2012-08-26

ネットにしか居場所のない日本人

ネットでは、誰しもが知識人だった。ネットでは誰しもが<だれか>になることができた。

何者にもなれないのに、そう信じることだけが許されていた。いや、そう信じたかった。それがすべてのはじまりだった。

いつわりの「同情」や「共感」が横行していた。いじめによる自殺が、原発事故による避難が、どこかで毎日のように行われる性犯罪が、わかりやすい「悪者」と「加害者」だけが、かれらの善意なるものの攻撃対象だった。

被害者に同情したくてたまらないひとびとが、Twitterに、Togetterに群れていた。かれらが勝手に決めつけた「加害者」たちは、すぐに職場や電話番号や住所をさらされ、それが「まとめサイト」に掲載され、さらなる攻撃を煽っていた。

ひとしきり退屈を紛らわせた後、その活動はすべて忘れられた。すべてが一過性の祭りでしかなかった。怒りもすぐに忘れられた。ブラウザを閉じ、ネットから離れれば、その問題ははじめからなかったことにされた。

私たちが真に怒るべき対象は、かのような忘却を可能にせしめる、このシステムそのものなのかもしれなかった。

私たちは、ネットに閉じ込められている。


何者かになることを許されるネットは、巧妙につくられた劇場だった。誰しもがステージに登ることができた。誰しもが拍手喝采を浴びることができた。しかし客席には誰もいなかった。そこにいるのは張り子の人形だった。そして誰しもがその虚しさを知りながら、誰もネットから離れることができないのだった。ネットの貧しさとは詐術の豊かさであり、言い換えれば人工甘味料の甘さに他ならなかった。

食べても食べても、空腹は少しも満たされなかった。いつまでも飢えているほかなかった。口の中に広がるやさしさをほんものと信じなければ、もはや一秒たりとも、この過酷で茫漠とした<現実>を生きていくことなどできなかった。誰もかれもが綺麗事ばかりを押し付けるこの社会において、ほんとうの気持ち、いいかえれば<こころ>は完全に忘れれられ、そしてそのことによって誰しもが深く傷ついていた。

ネットは、自殺一歩手前の苦しさから、ひとびとを救っていた。しかしそれは一日でも摂ることをやめれば痛みで死んでしまう鎮静剤のようなものだった。日本の「世間」や「社会」がその居住者に強制している恐るべき圧力は、そこからはからずも逸脱してしまったひとびとに、大きな苦痛をもたらしていた。

かれらにはどこにも居場所がなかった。家にも、社会にも、職場にも、学校にも、この地上のいついかなる場所にも、どこにも居場所がないと思わざるを得なかった。ネットで弱者を叩くのは、自分の苦しさ、つらさ、悲しさ、閉塞感をなんとかしたいという、もがきのあらわれでしかなかった。弱者こそがかれらの敵だった。なぜならそれは、まさにかれら自身の逃れがたき自画像であったからだった。

かれらが叩く相手はさまざまだった。かれらの頭の中では、強者である広告代理店が、マスメディアが、自分たちのいわれのない痛みと苦しみの原因を作っているかのように思えてならなかった。たとえば民主党が、自民党が、公明党が、かれらの憎しみの対象だった。憎んでも憎んでも、何も手に入らなかった。叩いても叩いても、いつまでも虚しかった。かれらの敵はいつまでもフィクションを超えられなかった。そんなものは存在しなかったからだった。

またかれらの敵は、弱者たるところの韓国人であり在日朝鮮人だった。いつまでもバカにすることができたはずの韓国人が、いつの間にか対等の立場でものをいいはじめていた。いつまでも劣っているはずの「三国人」の中国が、いつの間にか大国になっていた。弱者は弱者をいつも必要としていた。自分より劣っている人間を必要としていた。攻撃せねば、中傷せねば、生きていけなかった。苦しかった。苦しくてたまらなかった。なぜなら、なぜなら、自分たちこそが弱者であると、ほんとうはこころのどこかで知っているからだった。

ネットがすべてだった。ネットこそが私たちの無意識にほかならなかった。ネットこそが日本がいま持つ可能性と不可能性をすべて包含していた。ネットを離れても、スーツを着た連中がやることはいつも同じだった。ネットを離れても、口ばかりうまい連中が「うまくやっている」ことも同じだった。現実はすでにネットに取り込まれていた。「リア充」などという単語が蔓延する中で、リアルな物事そのものの輪郭が崩れつつあった。

2012年、日本のネットは汚物だった。2012年、日本のネットは狂気だった。駄々をこねる子供と、成長できない大人と、カネとセックスという本能によって駆動される男女が、毎日のようにお互いに石を投げつけあっていた。

記しておかねばならない。状況は、絶望的だった。何もかもが腐臭を放っていた。誰しもが、目を背けていること、誰しもが気づきながらも見ないふりをしていることがあった。それを記さねばならなかった。それは誰の仕事か。それは誰の役割か。もしこの世に日本的な知性なるものがまだ生き残っているとするならば、それはどのような手段と姿勢によって可能なのか、そう問わねばならなかった。

ネットをめぐって行われる言論、そしてネットから生活の糧を得ている<言論人>たちがもっとも隠したいこと、それは、自分たちがカネを稼いでいる飯の種であるところのネットの醜悪さに他ならなかった。厚化粧の下、または、きらびやかなスーツやドレスの下に隠されたもの。それは何か。私たちは、どこまで愚かになれるのか。

底なしの泥沼だった。いや、しかしまだ終わってはいなかった。いや、しかしまだたたかわねばならなかった。いかに絶望的な状況であっても、やはり、たたかわねばならなかった。どこまでも砂漠が続いていた。私たちは、またしても敗れるだろう。そんなことはわかっていた。しかし、考えることはできた。それだけが生きるということと同義だった。