2012-09-23

病院にて


救急隊の狭いストレッチャーは、人間をモノにするための道具だった。その上に縛り付けられ、反吐を撒き散らしながら、混濁する意識の中、カネは下ろしておけ、意識が戻らなかったらX氏に連絡しろ後はうまくやってくれる、などと家人に怒鳴りつけていた。

いや、正確には怒鳴ってはいなかった。きわめて普通に話しているつもりだった。自分の声帯がまるで壊れたスピーカーのように感じられた。ろれつの回らない口調に、救急隊員のひとりが家人に「外国籍の方ですか?」と訊ねていた。笑いたかったが、吐瀉物で喉がつまり、笑うどころの騒ぎではなかった。

救急車のサイレンを、車内で聞いたのははじめてだった。五感が少しずつ遠ざかる中、ひとは<モノ>にすぎないと理解した。それをごまかすためにだけ様々な文化が存在するのだった。そう考えた後、一瞬意識を失って、気がつくと病院のベッドに横になっていた。

遠くで、誰かが泣いていた。私が横になっているベッドは、どこかの部屋の隅にあった。腕にはわけのわからない点滴が何本か刺さっている。頭を動かそうとするが、一ミリも動かせず、動かそうとしただけで強烈なめまいに襲われた。脳の障害かもしれませんね、と、そばに立っている誰かが言っている。

その場合は死ぬかもしれないな、と考えた。眼を動かすことすらできなかった。気持ちが悪かったのだ。天井だけが、私の眼の前に広がっていた。身体の感覚があちこちなくなっていた。指は動かなかった。足は小刻みに震えていた。目玉を動かそうとすると頭痛とめまいが激しくなった。

どのぐらいそうしていたのか、よくわからない。医者がやってきて、CTスキャンしましょう、と言っていたような気がした。同意したかったのだが、声が出なかった。何時間か経過したはずだったが、記憶と意識が混濁していた。めまいが少し軽くなり、手だけは動かせるようになったので、ボタンを押してナースと家人を呼んだ。

CTスキャンのベッドに移動するだけでさらに二回嘔吐した。それでもなんとか検査を終えると、ふたたび病室に戻って横になった。家人が赤い眼をして私の手を握っている。私は少し笑ってから、眼を閉じた。五感がすべて狂っていたが、死なずにすんだようだった。次の日、結局、三半規管の異常で、脳腫瘍や脳梗塞ではない、と診断された。少しは安心したが、めまいは今後また再発する可能性はあると言われた。

退院してからも、何度か同じようなめまいに襲われるようになった。慣れてくると、世界がぐにゃりと歪む様子をおもしろいと感じられるようになった。医者からは車の運転はダメですと言われたが、身体そのものは健康なようだった。単にセンサーの異常なのだ。それが狂うだけで、身体が健康であったとしても、世界の認識が変わってしまう。まっすぐなものが曲がって見えるようになる。それは確かに異常な病気だった。

いま、机の前に座ってその時のことを思い出す。二回ほど、死を覚悟した。一度目は突然めまいがして倒れ、激しい嘔吐と痙攣に襲われたとき。二度目は、病院のベッドの上で意識を失いそうになったときである。身体にあるスイッチが、ひとつひとつオフにされていくような感覚だった。そうして何も感じられなくなり、それが死ぬということなのだろう、と思った。そしてそれは、どことなく、安心できる故郷のような気がした。

おそらく人生は、私たちが思っているほど長くはないのだと思う。そして世の中には、ほんとうに無意味きわまりない死であふれている。そんなことで死んでしまったのか、と思うような死ばかりである。だから私たちもまた、突然、無意味に死ぬのだろう。すべてが中途半端なまま、何一つ成し遂げず、自分の人生だけは無意味ではなかったという、間違った確信だけを胸に抱いて。そんなことを考えながら、おまんこを舐めている。生きていた。

2012-09-21

読者からの質問にお答えします(1)

女どもがむかつきます。セックスに興味がすごくあります。でも女どもに口論では勝てません。それからあの声と匂いを嗅ぐとむずむずします。でも好きなアニメを馬鹿にされてほんとうに腹がたちました。あいつらも腐女子のヘンタイ漫画を読んでるくせに、ひとのことを馬鹿にする資格があるんでしょうか。どうにかしろ(16歳・東京都男性)

お答えします。まず異性というのはむかつくものです。私は男ですが、女というのは、もう男の気持ちを逆撫ですることに関しては、天才的な才能を発揮します。男なんかナイフの前のじゃがいもみたいなものです。つまりさんざん料理されて食べられてしまう哀れないきもの、それが男なのです。だからむかつくのは仕方ありません。ことばでやりあってもけして勝てません。女とは争わず逃げること。

さてそれとは別に、女の身体には至近距離からしか感じられない匂い、というものがあります。具体的には女が好きな男にだけ許す匂いのことです。香水などではないですよ。とりあえず相談者のひとは、だれか好きな人がいるのでしょうから、デートに誘うなり、強引に手をつなぐなりしてください。そしてその手の柔らかさにまず驚愕しなさい。そこで拒否されたら諦めなさい。脈がありません。女がむかつく生き物なのかどうかは、もうちょっと女の身体のことを知ってからでも遅くありません。変な偏見を持たないことです。

さてアニメ。誰もが趣味を持っています。私も変な趣味を一つ持っています。具体的には料理が趣味です。下手なんですがひとに食わせるのが好きです。迷惑ですね。そう、趣味とは基本自己満足ですから、迷惑に決まっているのです。どんどん迷惑をかけましょう。好きなだけアニメを見たらよろしい。そして同じように腐女子的なアニメを見ている女の子には、「お前の好きなアニメ俺も見たけど、よくわかんなかった」と正直に申し出るといいでしょう。声優の固有名詞などを覚えておくとなおいいかもしれません。食いついてきたら「釣れた! はじめてなのに釣れちゃった!」とこころの中で叫んでください。

あ、わたくしの自己紹介を忘れておりました。私は<おまんこ>のことがなによりも好きなごくつぶしです。みなさんがけしてこのような人間にならないように、人生における巨大な失敗の見本として生きる決意を固めました。あざなは根本正午、元ブロガーでございます。以後よろしくお願い致します。相談はメールにてどうぞ→ noon75 at gmail.com

2012-09-19

日本人は衰退しました

すべてが<仮面>をめぐっていた。その下にいかなる顔があるか、それがいつも問題だった。それがいつでも喫緊の課題だった。

なぜ日本はダメになったのか。なぜここまで落ちぶれたのか。誰しもがそう思っていた。豊かなはずだった。ネットがすべてを繋げたはずだった。言論の自由があるはずだった。しかしあらゆるものが貧しかった。なぜかすべての人間が孤独だった。発言はすべて監視され息苦しかった。日本は衰退していた。

どうして自分はひとりぼっちなのだろう、どうして自分は満たされないのだろう、どうして毎日がただこれほどまでに苦しいのだろう、そう思わずにはいられなかった。そう感じずにはいられなかった。表層的には誰しもがしあわせに見えた。誰しもが満ち足りて見えた。<自分>以外のひとびとだけは、ネットというユートピアに安住しているように見えた。

子供たちが「在日は朝鮮へ帰れよwww」と書き込みをしていた。「民度の低い中国人ワロスwww」と書き込みをしていた。生まれてから一度も韓国人と話したことはなかった。人生で一度も中国人と対話したことがなかった。そもそも外に国があることを知らなかった。無知なのにそれでよかった。何も知らないのに誰もそれを責めなかった。子供は終わっていた。それは教育の敗北だった。

男はどうか。さらに悪かった。マスターべーションしかなかった。自慰のためのグッズばかりが進化していた。自慰のためだけの商売だけが繁盛していた。もはや女性器は必要なかった。PCのディスプレイの前に座り、三回ほどクリックすればそこにはあらゆる女性器が陳列されていた。まったく自慰の世紀だった。その暴力性は、強姦、暴行、性虐待を描いた漫画とゲームによってうまく飼いならされていた。男は終わっていた。それは勇気の喪失だった。

女はどうだったか。これもひどい有様だった。しかし女はまだましだった。女にはまだ男に失望するという贅沢が許されていた。男が自慰をする脇で、このなさけない生き物をいかに利用するか考える余裕があった。女は自分が女性器どころか自慰道具であることをよく知っていた。だから夫をそのように扱った。夫は単なるATMだった。女もまた孤独だった。女も終わっていた。諦念が女たちを腐らせていた。

衰退した国は、自らの衰退に気がつかない。この悲惨な現実を直視する、そのためには力が必要だった。眼を開くためには大きな勇気が必要だった。それだけを<想像力>と呼びたい気がした。

この現状を憂えるポーズを取る「言論人」たちの言うことはいつでも同じだった。かれらの職業は一様にカタカナだった。いわく日本人は危機感を持たねばならぬ、いわく日本の危機はこのように解決されうる、そんな当たり前のことを書いてカネを稼いでいた。空っぽの危機感を煽ることこそがかれらの商売の秘訣だった。自分が目立つためなら何を利用してもよかった。もちろん利用されたのはどこかの誰かの不幸だった。弱者はいつでもかれらを肥え太らせるために利用されるのである。

日本人の危機感! まったく愉快な冗談だった。口先だけの危機がまかり通っていた。ことば遊びにすぎない危機感が蔓延していた。いわく、原発問題、高齢者社会、格差社会、安全保障問題、言論統制。そのすべてがお遊びにすぎなかった。いや、こう言い換えよう。これらの諸問題は、もっとも重大で、もっともおそるべき問題から眼を背けるための、単なるごまかしにすぎないのである。

この国の真の問題とはなにか。ほんとうの危機とはなにか。それは<距離>である。

話はきわめて単純だった。私たち、ひとりひとりの距離が問われていた。それはかつてないほどに遠ざかっていた。何もかもを繋げたとされるネットが、あらゆる人間を騙していた。ネットを称揚するIT屋たちが、けして口にしない真実があった。ネットを利用してカネを稼ぐライターたちが、けして語らない事実があった。それから語り始めねばならなかった。

ネットによって日々殺されるのは<ことば>を奪われたひとびとである。かれらについて語ることからはじめなければならなかった。なぜなら、それは私たちのことなのである。どこかのだれかの不幸などではない。どこかの国の他人事ではない。これは、私たちの不幸なのである。これは、私たちの災いなのである。よってここが、私たちのよって立つ倫理の在処なのである。

語り口を変えねばならない。男は買春をする生き物である。男は浮気をする生き物である。男は<暴力>をふるう生き物である。しかし男は変化していた。しかし男は終わりつつあった。男の定義が変わりつつあったのである。

現代の男を定義するならば、それは「自慰をする生き物」にほかならなかった。

女が怖かった。他者が怖かった。拒絶が怖かった。女から「嫌い」と言われることを恐れて、自分から憎悪を女に投げつけていた。それによってもっとも恐るべき軽蔑からこころを守っているのである。引きこもって何をしていたか。自慰をしていた。毎日自慰をしていた。朝も昼も夜も自慰をしていた。

アニメが、漫画が、ゲームが、Twitterが、Togetterが、ありとあらゆる自慰のためのグッズが揃っていた。毎日シャセイして毎日ひとりぼっちだった。どこにも逃げ場はなかった。どこにも行き場はなかった。しかしネットがそこにあった。ネットがあればだれかと繋がっていると思えた。そう信じられた。しかしそれは嘘だった。それは詐術だった。ディスプレイの前でひとりで笑うだけの人生が残されていた。いや笑う顔を作る人生が残っていた。

「笑」と書くだけで、まるで自分が楽しいことをしているような、そんな気になれた。「w」と書くだけで、まるで自分がだれかよりえらいような、そんな気になれた。まったく楽しかった。まったくしあわせだった。まったく仲間だらけだった。現実は友達だらけだった。現実は<仲間>だらけだった。しかしそのどれもが腐っていた。しかしそのどれもが虚しかった。そこには超えることのできない距離があった。

生きるか死ぬかという問いの前に、はじめて危機感が生まれるはずだった。しかしそのような問いが生まれるはずもなかった。そもそも生も死も現実離れしていた。ネットでだれかが死ねばそれはエンターテイメントだった。ネットでだれかが事故ればそれは嬉しかった。ネットでだれかが「悪いこと」をすればそれは祭りだった。そもそも<想像力>は完全に損ねられていた。

もはやネット回線を切断するだけではこの問題を乗り越えることはできなかった。もはやIT屋のニヤニヤ顔を殴打するだけではこの現実を乗り越えることはできなかった。すなわちTwitterやGoogle本社を燃やしても何も手に入らないのである。何も取り戻せないのである。どうしたらよいか。何からはじめればよいか。それこそが問うべき価値のある課題だった。

孤独だった。それが最大の問題だった。ひとりぼっちであることが問題だった。孤独は死に至る病だった。そんなことすら忘れられていた。衣食住が足りているだけではひとは生きることはできなかった。真に生きることだけがいつでも困難だった。努力によって貧困をようやく乗り越えた私たちに示された新しい課題とは、いまだかつてだれも直面したことがないアポリアに相違なかった。

ネットがもたらした孤独という毒こそが、この国を衰退させる最大の<公害>である。

むろん、この無限の距離をめぐる問題は日本だけのものではなかった。だからこそ世界で日本のアニメが称揚されていた。ひとりで部屋にこもって、ネットをして、だれかと繋がっていると考えて癒される、そんな寂しい自慰的生活に、日本の箱庭的アニメ作品はぴったりだった。そこに存在しなかったのは他者だった。そこになかったのはつながりだった。孤独だったがそれは認識されなかった。ひとりぼっちなのに友達がいるかのように思えた。公害は国境を超えて広がっていた。そしてさらに拡大の一途をたどっていた。

しかし誰かのせいにしてはならなかった。愛人とセックスすることしか考えない政治家、自己正当化ばかりが得意で謝罪ができない団塊の世代、名声と名誉と女遊びのことしか頭にない言論人、セックスによるセックスのためのセックスの人生しか送れない芸能人、ありもしない大義を求めて右往左往するネット右翼にネット左翼、国のために働いた対価として得られたカネで女を買う官僚、この陰惨な現実から眼を背けて「料理」や「ゲーム」や「趣味」や「写真」の話に逃げ続けてきたかつてのアルファブロガーたち、カネのことしか頭にないくせに公益について語るIT屋とシステム屋と携帯屋、かれらのせいではもちろんなかった。ネットが、私たちがこうなったのを、無能なこれらのひとびとのせいにすることなどできなかった。

それは韓国人のせいでも、中国人のせいでも、北朝鮮のせいでも、アメリカのせいでも、石原慎太郎のせいでも、猪瀬直樹のせいでも、野田佳彦のせいでも、自民党政権のせいでも、共産党のせいでも、民主党のせいでも、女のせいでも、男のせいでも、むろん売春婦のせいでもなかった。

私たち自身の責任だった。私たち自身のだした答だった。成熟することから眼を背けた。汚い事実から眼を逸らした。成長を選ばなかった。他人を恐れ、つながりを拒否した。ひとりで自慰をすることを選んだ。日本人の<総意>の責任だった。

自慰とはなにか。それは性器をこすることではない。ユートピアを夢想し、テレビの前に座って人生を過ごすこと、架空の愛人と生活すること、愛国的行為にふけること、ファンタジーに埋没すること、他者とのかかわりを拒否してナルシズムに浸ること、それらすべてが自慰的行為だった。そして自慰的行為だけがどんどん容易になっていった。それを私たちみなが知っていた。全員が気づいていた。なぜならネットが可能にした自慰は麻薬的快楽をもって、私たち全員を中毒にしていたからである。

話を戻そう。私は、<カネ>と<おまんこ>がなによりも好きである。このふたつのためなら死んでもよいと思っている。このふたつのためなら生きてもよいと思っている。このふたつのために短い人生を賭する価値があると思っている。

仮面とはなにか。あなたたちはそれをよく知っているはずである。仮面はどこにあるか。あなたたちは毎日それを見ているはずである。しかしそれを外すことはできぬ。しかしそれなしにはもはや生きられぬ。嘘をつかねば、大切なことを隠さねば、表情を殺さねば、この社会の巨大な圧力にひき潰される。私もまたそのひとりである。私もまた平凡な一市民である。しかし小さな声をあげることだけは許されている。語ることと考えることだけは許されている。すべての自由が奪われて家畜として生きることを強いられていても、なお<人間>として生きることだけは可能である。

そのためにまず問わねばならない。何を欲しているのか問わねばならない。薄っぺらな理念を投げ捨て、ネット回線をハサミで裁ち切り、私たちを閉じ込めるこの巨大な<部屋>の壁をぶち壊すことからはじめなければならない。自らがもっとも欲望するものはなにか、答は<カネ>と<おまんこ>である。これこそが世界の真実である。ゆえに私は語らねばならない。口にすれば肉が燃え上がるようなことばをもってそれを語らねばならない。つまり買春と性交だけが真実へといたる道である。あなたたちは何を見出すか、あなたたちはどこへ向かうか、あなたたちは何のために生きるか、いま、ここに。

2012-09-10

セックスなんてくそくらえ

ネットで、「意見」を言うことは誰にでもできた。ネットで「議論」をすることは誰にでもできた。誰しもが自由なネットを謳歌していた。誰しもが平等なネットを称揚していた。まったく、お話にならなかった。まったく、冗談ばかりだった。

ネットを介した意見や議論こそ無意味である、もはやそう言わなければ何もはじまらなかった。あらゆる知力を用いて、これをすべて無価値と断じなければならなかった。

ネットによって、私たちのつながりはますます希薄に拡散していった。そこで見られる正直さは、ほんとうのことを隠して形式的な率直さを褒め合うだけのゲームになった。ネットの平等な関係性は、嫉妬由来の悪意をいくらでも、誰に対しても投げつけてよいのだという手前勝手な卑怯さをもたらしただけだった。ネットがもたらした利点はことごとくが裏目に出ていた。そして馬鹿な若年層と中高年と女たちはどんどんつけあがっていった。

ネットはあらゆるものを可視化したが、可視化されたのはひとの愚かさだけだった。

たとえば中途半端な知性は、少し前には「集合知」などという冗談で褒めそやされていた。まったく笑い話だった。この世で一番まずい料理は何か。それは中途半端なシェフ気取りの人間が作った料理である。そのような料理を、私たちは毎日食べさせられているようなものだった。

家にひきこもることはできなかった。なぜならネットはすでに社会だったからだった。家にいても、学校にいても、会社にいても、どこにいても私たちは、ネットがもたらした言語空間に閉じ込められていた。そこから出ることはできなかった。いや、もはや日本の外にも外部がないことは明白だった。

<外>は消失し、ネットの内部だけが残っていた。

そして、誰しもが<だれか>になりたがっていた。そもそもそのような願望こそが凡庸だった。しかし諦められなかった。

スタジオで一回千円で撮影してもらった写真をPhotoshopで加工してプロフィール写真を作り、プロフィールには「作家」、あるいは「詩人」と書く。これがたとえばネットにしか居場所のない私たちのさみしい営みだった。一行も作品を書かずにそのようなことが可能だった。毎日ブログで日記を書いて<創作>の神秘について語ることも容易だった。あるいは存在しない女たちとの性交について書くことすら容易だった。

誰しもが<だれか>になりたがっているのに、それがなんなのかわからなかった。何になりたいのかわからなかった。いや、違った。みなが<しあわせ>になりたかった。しかし、誰もなれなかった。誰一人として、なれなかった。しかしネットの中にいる限りにおいて、その寂しさ、虚しさ、どうしようもなさを知ることはできなかった。その事実を巧妙に隠蔽する装置としてネットが機能していたからだった。

2012年、男も女も、ほんとうに孤独だった。

男は「妻が浮気した」話を2chやTwitterに書き込み、妻に精神的制裁を与える方法を、ネットのあちら側のひとびとの<善意>に基づく協力を得ながら探していた。あるいは、自分が孕ませた女をどう処理するか、その相談をしていた。

女は女で、なさけない男たちに失望した後、すべてをあきらめて適当な人間と結婚するだけのために婚活をするか、性差の存在しないファンタジーに逃避するぐらいの道しか許されてはいなかった。

この男女関係に欠けているのは男と女そのものだった。男は女を見ておらず、女は男を見ていなかった。眼はあるのに盲目だった。

誰もが、毎日のようにTwitterで、Google+で、Facebookで、話して、Favして、いいね!して、RTして、shareして、ありとあらゆるシステムによって準備されたツールを用いてコミュニケーションを取っていた。しかしそれにもかかわらず、男も女もお互いのことをまったく見ていなかった。そこにあったのは<つながり>の不在に他ならなかった。

かつて男は女を単なる女性器とみなしていた。いまは違う。さらに悪くなっていた。女はすでに女性器ですらなかった。女はすでにセックスの対象ですらなかった。女は単にマスターベーションのための<モノ>でしかなかった。ネットに、町に蔓延するマスターベーションのための道具、マスターベーションのための作品、マスターベーションのための広告、ありとあらゆるものが、女を道具以上のものにすることを拒んでいた。つまり女はすでに、男が自分を投影するための道具でしかなかったのだった。

女もまた同じだった。男も女もお互いを道具扱いして、さらに孤独になっていた。

そして、誰もそれをおかしいと思っていなかった。誰も、ネットをおそろしいと思っていなかった。私たちの敵こそがこのネットだった。私たちの非人間性を助長しているものこそがネットだった。私たちを限りなく愚かにしているのもまたネットだった。これに抗わねばならなかった。これとたたかわねばならなかった。

書き手が試されるように、読者もまた試されていた。この巨大な敵といかにたたかうかが問われていた。誰しもがわかりやすい<建設的>な回答を求めていた。それは当然のことだった。社会のひとびとは、政治家が、学者が、評論家がそれを提示すべきだと要請していた。だが、それは不可能だった。残念ながらかれらは、自分たちの小ささを理解する機会を得なかった。自分たちの醜さを直視する機会を得なかった。なぜなら、かれらは<恵まれていた>からだった。生まれてから一度も、カネがない状態を経験したことがなかった。生まれてから一度も、弱者に暴力を振るったこともなかった。生まれてから一度も、罵倒され、つばを吐かれ、塩をまかれた経験がなかったからだった。恵まれていた。まったくご立派だった。まったくご立派でお話にならなかった。不幸が必要なのではなかった。必要なのは想像力、かれらに欠けているのは、ことばにすればたった三文字で表現できる力に他ならなかった。

想像力とは何か。想像するとはどういうことか。ネットにそれがないことだけは明白だった。

ネットには、弱者への誹謗中傷と、名誉と名声がほしい市民活動家と、カネがほしい評論家と、部屋にこもって出てこない小説家と、票がほしい政治家と、単著を売りたいライターと、ガス抜きを必要とする詩人と、女をマスターベーションの道具にしたい男と、男を財布としか見ない女と、あいうえおがまだ書けない小学生、中学生、高校生、大学生、大学院生と、貧乏人からカネをむしることだけを考える携帯屋と、Twitterの書き込みでメニューが割引なレストランと、誹謗中傷しあうひとびとをまとめて読み物にして晒しあげあまつさえそれで広告費を稼ぐTogetterと、スーツと食事の自慢ダイアリーのFacebookと、猫画像のGoogle+がすでに存在しているが、しかし、想像力だけは、どこにも見つからないのだった。

私、元ブロガーnoon75こと根本正午は、日本社会に、公器に、死んだブロゴスフィアに、共同体等に対し、ひとつの処方箋も、対策も提示しない。そのようなものは等しく無意味に違いない。しかし、取り戻さねばならないものは知っている。それは<つながり>である。だれもかれもが即座に繋がるネット社会で、このようなことを言うのは狂人の所業に相違なかった。しかし、ネットがもっとも損ねているもの、それは<つながり>に他ならなかった。それは言わねばならなかった。

毎日ハローこんにちはと投稿しても、それは無意味な記号に過ぎない。毎日+1して毎日Favして毎日いいね!しても、それはつながりでも何でもなくただのボタンに過ぎなかった。そんなものを百万回押したところであなたの人生は少しも変化せず少しも豊かにならず今日も庭を眺めながらひとりぼっちでマスターべションをするだけの人生しかやってこないのである。

いや、もっとはっきり書かなければいけないだろうか。もっと個別具体的に書かねばいけないだろうか。そうだ、ここはネットだった。何の権威付けもなく、何の制度もなく、いかなる組織のバックアップも受けない、孤独な兵士たちの戦場だった。世界は小さかった。世界は限りなく腹立たしいまでに狭くなった。書かねばならない。たたかわねばならない。人間を非人間にするシステムとたたかわねばならない。そのために何が必要か。セックスが必要だった。セックスがなによりも必要だった。セックスだけがゆいいつの解だった。

男女はお互いに幻想を押し付けあっている。ネットを離れても、ネットが流布している思い込みと、幻想と、偏見になお縛り付けられ、支配されている。それはあまりにも苦しい人生だった。そのようなものを捨て去ることからはじめなければならない。相手の身体を、こころを使ったマスターベーションだけはやめなければならない。<この世界>に触れるために避妊具を捨て、生身の身体で排卵し、シャセイしなければならない。それは痛みを伴う認識に他ならず、麻薬と鎮痛剤しか流通しないネットには永遠に存在し得ないものである。

ネットに閉じ込められて、そこから一歩も外へ出られないとしても、私たちには、生きる自由が与えられているはずだった。いつくたばるかわからぬ、この惨めでしみったれた人生。ひとは生きていても死ぬことができる。それはあなたたちのまわりの大人たちをみれば一目瞭然である。会社、学校、家庭に、どれだけの死んだ眼をした<日本人>がいるか、あなたたちはみなよく知っているはずである。病気だからではない。カネがないからではない。戦争に負けたからではない。かれらが最初に見失ったのは、人間らしく生きる自由である。それは与えられていながらも、やはり勝ち取らなければならぬものなのである。

状況は最悪でありネットは狂っている。しかしどんなに悲惨な状況においても、なお、<自由>は勝ち取ることができるものである。生きることをすべてに優先させよ、行動によってではなく、ただひとつ、考えるという挑戦をもって。

2012-09-04

ふつうのグロテスク

きわめてグロテスクな光景を<ふつう>とみなしていた。ネットは陰惨だった。弱い者いじめと、集団による暴行が横行していた。ネットを少し閲覧するだけで、そこには驚くべき光景が広がっていた。在日朝鮮人、精神・知的障害者、犯罪被害者などに対して、毎日のように投げつけられる言葉の暴力には戦慄するほかなかった。なによりも恐ろしいのは、この手のグロテスクさが、まさに一般人によって作られていることである。

匿名性だけが問題なのではなかった。そもそも暴力は快楽なのだった。たとえば馬鹿な女を叩くことはいつでも楽しかった。いい気になっているスーツを着た権力者に、普段けして行うことができないような罵声や中傷を投げつけることは悦楽に他ならなかった。自分さえよければ、見つからなければ、<暴力>はきわめて手軽なレジャーでありエンターテイメントだった。

この現実において、誰しもが無力感に囚われていた。そして誰しもが我慢しながら生きていた。それが2012年、日本のネットの姿に他ならなかった。かれら/私たちには、貧者のゆいいつの娯楽たる性交すらも許されなかった。経済力がなかったからではない。考えること、生きることそのものが損ねられていたからだった。性交がおそろくてたまらなかった。<つながり>こそ最大の恐怖だった。だから<誰か>になることに熱中しなければならなかった。

米国発のシステムたるFacebook、Google+、Twitterは、それぞれ実名化への圧力をもたらしていた。しかしそれに屈することはできなかった。日本に生きている限り、それは不可能だった。なぜか。公の場で自由な意見を言うことがけして許されなかったからだった。何が好きか、何が嫌いか、そのようなことすら、一呼吸も口にできなかった。言論の自由があるはずのこの国は、あの北朝鮮すら思わず賞賛してしまうような<自主規制>のエキスパートである。

<意見>こそがこの国の敵だった。<ほんとうのこと>こそ、この国でもっとも憎まれる相手だった。すべての場で、学校で、会社で、社会で、ありとあらゆる公の場で、個別の意見は常になかったことにされ、押し殺された。そこに残るのは<総意>だった。総意だけがうつくしく、その綺麗事だけが必要とされていた。だから、顔を出すわけにはいかなかった。いかになさけないハンドルネームを用いても、実名は出せなかった。匿名を選ぶほか、いかなる道も残されてはいなかった。

匿名でなければ、何も発言できなかった。匿名でなければ、何一つ語れなかった。怖かった。つまはじきにされ、<非国民>扱いされるのは恐怖だった。匿名でなければ、学校から追放され、職場を首になり、実名入りで写真が晒され、家族の勤務先まで暴かれた上、社会的に抹殺される恐れがあった。もっとも恐ろしいことは、この冗談のような光景がすでに現実のものであることである。この世界のどんな国も成し遂げなかった、洗練された相互監視社会。実にみごとな冗談が完成していた。

まったく、グロテスクだった。ネットはそういうもの、と思ってしまいたかった。ネットを離れれば、<日本人>はまともさ、そううそぶいて、後進国を嘲笑できる人生に戻りたかった。まったく残念なことに、それは、許されなかった。何もかも放置し、何もかも無視して、経済大国たる日本のネット社会を謳歌する、ああ、なんと魅力的な選択肢だろうか! ああ、なんという、潰えた夢だろうか! 

問わねばならなかった。いや、それはもう遅すぎた。すでに問いはとどかなかった。私たちにできること。それは記録することでしかなかった。かつて、このような国があった。このような困難があった。そしてそれに抗ったひとびとがいた。かれらは、何一つ成し遂げられずに滅んだ。海へと沈んだ。これこそ、私たちが得られる唯一の名誉にちがいない。意味のない、価値もない、<生産的>でもない解がここにあった。さあ、ヒューモアを探そう。明日の刑執行を待つ、死刑囚のように。