2012-09-23

病院にて


救急隊の狭いストレッチャーは、人間をモノにするための道具だった。その上に縛り付けられ、反吐を撒き散らしながら、混濁する意識の中、カネは下ろしておけ、意識が戻らなかったらX氏に連絡しろ後はうまくやってくれる、などと家人に怒鳴りつけていた。

いや、正確には怒鳴ってはいなかった。きわめて普通に話しているつもりだった。自分の声帯がまるで壊れたスピーカーのように感じられた。ろれつの回らない口調に、救急隊員のひとりが家人に「外国籍の方ですか?」と訊ねていた。笑いたかったが、吐瀉物で喉がつまり、笑うどころの騒ぎではなかった。

救急車のサイレンを、車内で聞いたのははじめてだった。五感が少しずつ遠ざかる中、ひとは<モノ>にすぎないと理解した。それをごまかすためにだけ様々な文化が存在するのだった。そう考えた後、一瞬意識を失って、気がつくと病院のベッドに横になっていた。

遠くで、誰かが泣いていた。私が横になっているベッドは、どこかの部屋の隅にあった。腕にはわけのわからない点滴が何本か刺さっている。頭を動かそうとするが、一ミリも動かせず、動かそうとしただけで強烈なめまいに襲われた。脳の障害かもしれませんね、と、そばに立っている誰かが言っている。

その場合は死ぬかもしれないな、と考えた。眼を動かすことすらできなかった。気持ちが悪かったのだ。天井だけが、私の眼の前に広がっていた。身体の感覚があちこちなくなっていた。指は動かなかった。足は小刻みに震えていた。目玉を動かそうとすると頭痛とめまいが激しくなった。

どのぐらいそうしていたのか、よくわからない。医者がやってきて、CTスキャンしましょう、と言っていたような気がした。同意したかったのだが、声が出なかった。何時間か経過したはずだったが、記憶と意識が混濁していた。めまいが少し軽くなり、手だけは動かせるようになったので、ボタンを押してナースと家人を呼んだ。

CTスキャンのベッドに移動するだけでさらに二回嘔吐した。それでもなんとか検査を終えると、ふたたび病室に戻って横になった。家人が赤い眼をして私の手を握っている。私は少し笑ってから、眼を閉じた。五感がすべて狂っていたが、死なずにすんだようだった。次の日、結局、三半規管の異常で、脳腫瘍や脳梗塞ではない、と診断された。少しは安心したが、めまいは今後また再発する可能性はあると言われた。

退院してからも、何度か同じようなめまいに襲われるようになった。慣れてくると、世界がぐにゃりと歪む様子をおもしろいと感じられるようになった。医者からは車の運転はダメですと言われたが、身体そのものは健康なようだった。単にセンサーの異常なのだ。それが狂うだけで、身体が健康であったとしても、世界の認識が変わってしまう。まっすぐなものが曲がって見えるようになる。それは確かに異常な病気だった。

いま、机の前に座ってその時のことを思い出す。二回ほど、死を覚悟した。一度目は突然めまいがして倒れ、激しい嘔吐と痙攣に襲われたとき。二度目は、病院のベッドの上で意識を失いそうになったときである。身体にあるスイッチが、ひとつひとつオフにされていくような感覚だった。そうして何も感じられなくなり、それが死ぬということなのだろう、と思った。そしてそれは、どことなく、安心できる故郷のような気がした。

おそらく人生は、私たちが思っているほど長くはないのだと思う。そして世の中には、ほんとうに無意味きわまりない死であふれている。そんなことで死んでしまったのか、と思うような死ばかりである。だから私たちもまた、突然、無意味に死ぬのだろう。すべてが中途半端なまま、何一つ成し遂げず、自分の人生だけは無意味ではなかったという、間違った確信だけを胸に抱いて。そんなことを考えながら、おまんこを舐めている。生きていた。