2012-11-29

喪失の時代(1)

何もかも失い続けてきた。喪失した、そのことすら忘れてきた。しかし痛みは残った。取り戻したいという思いだけは残った。しかし何をなくしたのか、そのことだけはけして思い出せなかった。いくら考えても、思い出すことはかなわなかった。

いま、語らねばならないことはなんだろうか。いま、考えなければならないことはなんだろうか。そう小さく問うことから、はじめなければならなかった。なぜ、私たち自身が考えなければならなくなったのか。なぜ、金髪や、毒まんじゅうや、としなおや、元アルファブロガーといった連中だけに任せておけなくなったのか。

あなたたち読者は、こう言うかもしれない。雑誌でセンセイ呼ばわりされていい気になっている<作家>や<評論家>に、任せておけばいいではないか? テレビで脂ぎった笑顔とスーツを見せびらかしている<言論人>に、やらせておけばいいではないか?

できれば、任せておきたかった。この手のエゴまみれの連中に任せておきたかった。かれら頭の良いひとびとに丸投げして、この衰退する国の片隅で、カネとセックスだけをよるべとしたつつましくもしあわせな人生を送っていたかった。黙っていたかった。そして、目立たずに余生を送りたかった。

だが、もう時間はない。この国の大いなる<衰退>は、すでに始まっている。いま、この瞬間にもぼろぼろと崩れ去り、失われていくものについて語らなければ、それを明日へと伝えることは永遠にかなわぬ夢になってしまう。だから語ろう。静かに、小さな声で。だがその前に、あなたたちにはっきり言っておく。この世界を描きうるゆいいつのことば、それは、血と肉と痛みを伴った、きわめて個人的な出来事によってしか得られないのだ。

何から語るべきか。そう、それは買春でなければならなかった。女が貨幣と交換可能な世界において、そこに露出しているものは何か。誰しもが眉をひそめ、誰しもが見てみぬふりをする。良識ある世間のひとびとがけして見ようとしない、もっともきたない場所の、もっとも崇高な何か。それについて、語り始めねばならなかった。きれいはきたない、きたないはきれい、というあの魔女のことばとともに、あの場所へと還ろう。そう、それはピンサロ、女が男性器をしゃぶる場である。