2012-12-04

喪失の時代(3)

ピンサロのソファで、<女>と会話をしていた。いや、相手が女かどうかすら、暗がりでは定かではなかった。時折、女が性器を舌でねぶる感触が下半身から伝わってくる。生暖かいその感触だけが、私と世界をつなぐ唯一のつながりであるように感じられた。ふと、あのドイツ人の言葉が頭をよぎる。人間が自分を神様だと思い上がらずにいられるのは、その下半身のゆえである、と。

男にとって買春は極めて安易な娯楽であるはずなのに、ネットには自慰用の道具が溢れかえっている。自慰用のTwitter、自慰用のTogetter、自慰用の評論家どもで溢れかえっている。むせ返るような精液の臭いにうんざりした女たちは、男の真似をして部屋に閉じこもり、男のいない清潔な世界でフィクションに逃避している。そして夜にはベッドで毎晩自慰をするのである。

この二十年、私たちが失ってきたものは、カネだけではなかったらしい。私たちのこころを作る<ネット>の現在の様子を見れば、ひたすら黙って性器をしごいている男たちと、それを憐れむ女たちとの間の距離は絶望的なまでに大きくなってしまっていることは自明だった。砂のように乾いた、焦げた肉のように苦々しい関係。

なぜここまで、私たちはひとりぼっちになってしまったのか。なぜここまで、ばらばらに引き裂かれてしまったのか。この世には男と女しかいないのに、お互いに石を投げつけ合っていた。男女ともに、裏切られることを何よりも恐れ、相手を罵倒して嘲笑しようとしていた。それによって、かれらはもっとも恐ろしいことからこころを守っていた。

たとえば、女が馬鹿だと思えば、女が屑だと思えば、男は自分の小さな性器のことを忘れていられた。男は自分に勇気がないことを忘れていられた。毎日引きこもってアニメと漫画とネットを楽しむ孤独な人生のことを忘れていられた。なぜなら女はどうせ馬鹿で屑だからである。単純な論理だった。そしてこれはもうどこかの誰かの特殊な事例ではなかった。私たちの現実だった。

いくら買春を繰り返しても、女は恐ろしかった。いや、違った。女が怖いからこそ買春を繰り返したのである。女を知ることができればその恐怖から逃れられると思った。しかし何もわからなかった。そのへんの女とも何度も何度もセックスをした。それでも何もわからなかった。わかったこともあるがそれは女は男を許すことができる生き物だということである。女は男の孤独を許してしまう。こんなに恐ろしい生き物は他にいない。

Twitterでわめいている学者や言論人どもの語彙を用いてはならなかった。かれらがよく体現している、頭がいいと思われたい欲望は、教養がなく、貧しく、惨めな生活を送っている現代人にとっては、ほとんど唯一のあまい飴玉であるからだ。この誘惑とたたかわなければならなかった。あなたたちにはっきり言っておくが、一回四千五百円のピンサロで精液を売女の口に放出することは、その戦略のひとつに過ぎないのである。