2013-12-28

料理あれこれ

仕事納めを報道するニュースを横目にイカを入れたお好み焼きを作っている。私は子供の頃同級生が海鮮料理にあたって入院し卒業が半年伸びた経験から、家では海産物を使った料理はなるべく避ける主義だったのだが、日本の気候であればそんなにひどい症状にはならないということがわかってきたので、最近はマグロやブリのアラと骨を使ったカレーや、エビの天ぷらなどに挑戦してみている。おかけで冷蔵庫の空きスペースがさらに少なくなってたいへんだ。巨大な冷蔵庫がほしいところだがさすがに高い。最新型のPCが購入できてしまう。

イカの切り身に臭みを消すための香味野菜をまぶし、塩を振ってしばらく置いておく。その間に野菜を切る。基本的に好きな食材を入れるだけだが、私のところでは干しエビは必ず入れる。干しエビは韓国の港町でまとめ買いしたものだ。東南アジア系の香辛料はシンガポールの知人からもらったものが大量にある。アジアの食材がなければ生きていけない胃袋ではある。日本の食事はどれも甘い。甘いばかりで刺激が少ない。もともと刺激が強いものも、この島国にくると角が取れて丸くなってしまう。それはこの国の思想そのものでもある。

もともと料理だけがゆいいつの趣味である。趣味が仕事になってしまった今私には趣味といえるものは何もない。下手の横好きとはよく言ったもので色々な調理器具が欲しくてたまらない。今日は地元では年末セールをしていたのでついに料理用温度計を買ってしまった。ローストビーフを焼くとき串で毎回確認していたのだがより正確に計れるようになる……といいのだがたぶん使わないまま終わりそうな気配だ。ミキサーも少し前に買ったが結局バナナヨーグルトを作るときにしか使っていない。主婦の友人に言わせれば「料理は科学」だそうだ。そうなのだがつい面倒になって適当につくってしまう。

私のところではお好み焼きの上に豚肉を一枚一枚広げて載せ、生地に火が通ったらひっくり返したあと強火で炙り、豚肉をカリカリにして食べる形式でやっている。豚肉は多少焦げるぐらいが一番うまいと思うのだが、半生が一番うまい牛肉とはえらい違いだと思う。食材によって最適な火の通し方はまったく違うので、複数の食材を使う料理はそれぞれ配慮しながらつくっていくことになる。それが科学的というものだが、いいかげんにつくってもそれなりに美味いものには仕上がってくれる。そのぐらいには自信がついたが、よりいい食材に手を出したくなってきていて困っている。いい食材はどれもかなり高いからである。

そういえばこの国の八百屋では、泥だらけの野菜というものをほとんど見かけない。衛生上の理由もあるだろうが、この国で一番重んじられるのが「外見」であることを想起する。ドブネズミ色のスーツ着用が強いられる社会では、野菜また現場の「汚れ」を綺麗に洗いとした清潔な形で提供することが強制される。その際忘れ去られるのは、たいていの野菜は小動物の糞尿の混ざった泥にまみれている事実であり、自然はそもそもそういう豊かな場所であるということだ。

かくして日本ではコンビニだけが普遍化する。清潔で、小奇麗で、何もかもが画一的な空間が創出される。これは貧しさだと言わざるをえない。利便性を高め多くのひとに総合的な「豊かさ」を提供しようとすること自体はよいのだ。問題はその時に忘れ去られるどうでもよいとみなされているもの、形式的で表層的な美しさを保つためだけに捨てられてしまうものなのである。画一性のもたらす貧困に対してどうたたかっていくのか、そういうことが私たちに突きつけられた問いなのだ。

お好み焼きは割と上手に焼けた。しかし煙草が切れたので私は便利なコンビニに足を運ばねばならない。読者のみなさまにおかれましては、風邪など引かぬようよいお年をお迎えください。書くとは知ること、知るとは生きること。来年もまたこの場所でお会いしましょう。

2013-12-26

私は馬鹿じゃない

本日は私用があって昼間に久々に六本木に行ったのだが、ビルの壁は排気ガスで真っ黒、道は唾と吸殻とガムだらけ、薄汚いヒビだらけの高速道路はガアガア音を響かせていて、私が以前好きだった東京はこんなに汚い後進国の見本のような場所だったのか、と思わずにはいられなかった。しかし夜になるとそうした汚れがすべて見えなくなり、ネオンと街灯が薄い霧の中にかすむ叙情的な風景が戻ってきた。このことから様々なことを考える。

昼間はすべてが白日の元にさらされている。私がかつて東京で仕事をしていたころは、常に日が沈んでからの活動だった。だからこの街の夜の側面しか知らなかったのである。売春宿では、女の肌のシミや妊娠線を隠すために極力照明を落として営業をする。東京とはまさに売春婦であるということに思い至り苦笑せざるを得ない。照明を落とした状態でのみ鑑賞に耐えうる小汚い社会、それが私たちの得た国である。

それも悪くない、と思う。喫茶店の窓からはミッドタウンの灯りが見える。久々に店で淹れてもらった珈琲はうまかった。東京の喫茶店のレベルの高さはいつも思うが異様なものがあり、私もかなり素材や道具にこだわったことがあるが、一度も店の味を再現できたことがない。いま私の自宅兼職場にあるのは、一グラム一円に近い出所不明の謎ブランドの豆とボタンを押せばいいだけのコーヒーメーカーだ。ひとは自分の舌の貧しさを自覚しなければならないが、それもまたほんらいむずかしいことだ。

しょせん後進国にすぎない社会が先進国のような顔をして威張っている。アジアの盟主だとかナンバーワンだとかいうたわごとを吐かずにはおられない。こうした態度のすべては本当の自信を勝ち得たことのない負け犬根性からくるということは自明だが、それは「本音」があふれるネットを見ていてもよくわかることだ。どうしようもなく苦しくて劣等感に毎日のように苛まれ孤独を誰かに何とかしてもらいたくてそんな馬鹿げた白昼夢でもすがりたくてたまらないのである。

鏡を見ることはつらいことだ。誰しもが理想的な自分を見たがっている。たとえば馬鹿と思われるのが怖くてたまらない。何がなんでも小利口な頭のよいインテリのふりがしたいと常々思っている。不思議なのはネットのすべての人間がこうした欲望を抱えているように見えることだ。よっぽど不幸で精神的に貧しい生活をおくっているのだろう。Twitterやまとめサイトで頭がいいふりをしなければ耐えられないほどみじめな人生が、ブラウザを閉じた先に待っているのだろう。ほんとうにかわいそうでならない。

「目標を失った私たちはどうしたらよいのか」という問いを読者からいただいている。眼下に見える六本木に集まるひとびとはひきつった顔をして下をむいて歩いている。この偽善の帝国においては真剣な問いすら貴重なものである。阿呆な政治家とスーツ連中が大好きな横文字と漢字だらけの理念は無価値であり長続きしないことは自明だ。甘い甘い離乳食ばかりを口にしてきたかれらには人間というものはどういう生き物なのかなんの理解もないのである。先日も床屋で文藝春秋を読んでいたら金ピカのスーツの高齢者が集まって「日本は大丈夫ハハハ」みたいなことを書いていた。もちろんそう見えるに違いあるまい。

問いに答えねばならない。眼の前の女と、子供と、障害者と、老人と、外国人に、積極的に優しさを示しなさい。弱者のふりをした弱者ゴロのことではなく、またどこかにいる大文字の他者のことではなく、手に触れられる距離にいる、実在する弱者に対して優しさを持ちなさい。あなたのめぐまれた人生が、すべての人間に対して与えられているわけではないという想像力を持ちなさい。偽善者と幼児だらけの社会で、それがいかにむずかしいことか知った上で、なお不可能をこころみなさい。

2013-12-25

クリスマス優待販売のお知らせ

クリスマスから年末にかけて、「マージナル・ソルジャー」を45%オフの価格で販売しています。
もう少し値引きしたかったのですが、すでに買っていただいた読者の方々に申し訳ありませんから、この価格となりました。年末優待販売ということで。

こちらからご購入くださいませ。

2013-12-24

土人の国のクリスマス

地方には様々な人間がいる。よく見かけるのが髪を茶色く染めて赤ん坊を連れた若いカップルだ。母親はだいたいヒョウ柄の何かを着用している。ブーツだったりタイツだったり様々だ。この地方ではなぜかヒョウ柄が流行しているらしい。父親のほうはどうかと言えば、背中に金色の龍の刺繍をあしらった合成皮のジャンパーなどを着用し、しばしば奇声をあげながら道端でしゃがんで煙草を吸っている。こうした光景の愉快さはネットの現状と奇妙なまでに類似しており、これからこの社会がどこへ向かおうとしているのか示唆してくれる。原始的な衝動を制御できないひとびとがこれからも増え続ける。かれらはそもそも避妊具の存在を知らないのであって地元の産婦人科によるとこのあたりは古い性病が蔓延しているそうだ。

まったく面白い世の中になったものである。東京にいたらこうした地方の現状を目の当たりにすることはなかったことだろう。それはたとえばフェイスブック等身内だけで固めたSNSの中にいればいわれのない中傷、罵倒、あてこすり等を受ける危険性が少ないのとまったく同じである。ヤンキーは日本の古層だということを痛感せざるを得ない。それは性欲と食欲と物欲だけが重視される世界であり、メンツや上下関係がなによりも価値をもつ土人文化の一種である。この社会のことを先進国などと公言しているひとびとがほんとうに哀れだと思うことが増えた。むろんこの国が後進国だという事実は、個人が土人として生きなければならないことを強制するものではない。しかし疲労がたまるものである。そしてこの疲れを保つことが重要なのだと思う。

一日机に向かう仕事でありそれ以外はテレビを見ている。NHKを見ていて思うのは一日何度も「世界一」の何々という単語が繰り返される事の恥ずかしさである。一度数えてみたことがあるがひとつの報道番組でひどい時には三回は使われていた。こうした夜郎自大的な言い回しはお隣りの中国・韓国と全く同じだ。そもそも一番とは自分が言うものではないのだがそれを誰も指摘しない。本当にそう思っていたら単に阿呆であって、また信じていないのならばそれは痛々しい敗戦国である。聞くだけで元気が奪われる。しかし無理に元気を出そうとすること自体が間違いなのだろう。隣にヒョウ柄のストッキングをベランダに吊るす愉快な隣人がいる現実を受け入れなければならない時代がやってきているのである。ネット的に言えばそれはキチガイがまわりじゅうにいる空間ということだ。

キチガイは自分たちのことを正気であり正義だと思っている。もちろんそれこそがキチガイをキチガイたらしめる条件である。地元の話に戻れば避妊具なしの性行為は気持ちがいいので善であり推奨されるものであってさらにいえば後先を考えない行為は「かっこいい」のである。そうした行為が励行される空間において人間らしくあることはきわめてむずかしい。ネットで横行する暴力行為を見ていても思うが、最近増えているように見えるこうしたひとびとはこの社会に最初から存在していたのであり、むしろかれらこそがマジョリティでありほんらいの日本人ではないのかということである。共同体が崩壊し歯止めがなくなったのである。つまりこの国はしょせん土人の国であって、先進国のふりをしていただけなのである。しかしこうした認識こそが必要なのではないか。

社会全体が低年齢化し、言語的、肉体的な暴力が横行するようになる。これは当然のことである。幼稚園を想起しよう。力の強いもの、声の大きいものがお菓子を一番多く食べられるのである。弱者を保護するのが立法府たる政府の役目であるはずだが、そもそもかれらはこの状況に対してなんの行動も起こすつもりはないようだ。そもそも弱者とは何か生まれてから一度も考えたことがないのだろう。結果としてまず地方からゆっくりと崩壊がはじまっている。もちろん崩壊しているのは「先進国日本」という虚構のことである。しかし真実ばかりがむき出しになる現状はなかなかつらいものである。疲労がたまり、元気が奪われ、やる気が損ねられる。これがまともな精神を持つ日本人が閉じ込められている現実である。

80年代、日本は経済成長を達成し目標は失われた。いろいろな原因はあるだろうが本質的なのは目標の喪失だと思える。米国に追いついたあとのことを何も考えていなかったのである。NHKの番組構成を見ていると、かれらは地方の生活や一次生産者である農家にスポットを当て、それを礼賛し日本の新しい目標を模索しようとしているように感じられる。その気持ちはよくわかるがおそらくこの凋落は止められない。そもそも目標なくして私たちは一歩も生きられない弱い生き物だからである。ほんとうは理念なくして生きられないのである。夢や理想をなくしてしまえば、いくらたくさん性交したところで、いくら贅沢な食事をしたところで、何も満たされないのである。それを奪われてしまえば、ひとを罵倒して傷を癒そうとするしかできなくなるのである。

夢も理念も希望もない社会でひとはどうして生きたらいいのかという問いがあった。もちろんそんなものがなくても腹は減るし性交も必要である。しかしこの苦しさは構造的なもので解決できないだろう。この苦しさを解決するために様々なものが創出される。そのなかには天皇陛下万歳があり、アニメーションがあり、ニコニコ動画があり、ネット右翼があり、Twitterがあり、まとめサイトがあり、そして猫動画のG+がある。しかしそのどれもが代替品にすぎない。まがい物の人工甘味料で我慢するしかないのである。今日も明日も明後日もまがい物を味がなくなるまでしゃぶって、涙も出なくなった眼で今日もPCの前に座っている。PCに自分の顔が映っている。それは名前のない土人の顔である。メリー・クリスマス、土人のみなさん。メリー・クリスマス、私たち。

2013-12-04

親たちの顔

日本を代表するゴシップ誌である週刊文春が、中国の歴史はプロパガンダ、韓国の歴史はファンタジーだと批判しているのを見かけた。それならば日本はどうなのかと考えると、すぐにヒポクリシー(偽善)ということばが頭をよぎる。みんながんばろう、絆で生きていこう、という鼻につく偽善が横行する社会が強いる圧力。これに耐えられないひとびとが、「本音」を言える場として、名前と顔のない悪意の吹き溜まりたるネットを生成している。しかしこれは第三国がいちいち口を挟むことではない。自らが生きる社会の諸問題は、その内側から対峙すべきものだ。

かつて海外の学校にいた頃、非常に仲良くしていた韓国人のK君という生徒がいた。国際校では、英語を第二外国語として扱う生徒たちが集められるクラスをESL(English as a Secondary Language)という。日本の学校で言うと、成績が低い生徒のための補習クラスみたいなものだ。要するにはやく「ふつう」の授業に出たいので、英語を必死に勉強することになる。私もK君もこの中の生徒だった。まだ覚えたての単語を使っていろいろな話を試みているうちに仲良くなり、いつも成績を争う関係になった。かれは非常に発音がうまく、それに悔しい思いをしたが、筆記や作文は私のほうが上だった。

韓国語は、日本語とあまりにも似ていることが当時不思議だった。洗濯機、計算機は、それぞれ音も似ており、ハングル意味はまったく同じだとかれは言った。私はなんでこんなに似ているんだろうね、と言った。その無邪気で無神経な見解を平気な顔で述べていた自分は当時15歳で、そもそも日本が戦前にどのような国だったのかまったく知らなかった。やはり海外在住の子どもであっても義務教育ぐらいは受けさせたほうがよい。かれの母親が作った弁当からいろいろくすねた韓国料理の数々が私の舌にはまだ残っている。そのうちで一番気に入ったのは海苔巻きであって日本のものと一見似ているがまったく違う。たいへん美味なので旅行に行かれる方は大衆食堂でぜひ試してみてほしい。

1991年の秋、かれがアメリカに行くことが決まった。国際校では親の都合で、学期単位でたいてい誰かが帰国したり、別の国へと旅立つことが多いのだ。私たちはクラスで集まり、近くにある島までお別れ会として遊びに行った。写真もいろいろ撮ったのだがいまそれがどこにあるのかわからない。K君は近々アメリカに行くので、私は空港まで見送りに行くことを約束した。しかし出発の前日、かれから私の自宅に電話があった。「見送りにはこなくていい」とかれは言った。大丈夫だから、とかれは繰り返した。いまでも覚えているのは、その苦しい声だった。何か事情があるのだろうと思った。だからそれ以上の質問はできなかった。

予定が変わることはよくあることだが、K君の苦しい声がひっかかっていた。誰かが止めたのだろう、と後になって思った。国籍の件について思い至ったのは、だいぶ後になってからの話だ。いま私の手元には、慰安婦に関する謝罪を行ったアジア女性基金の資料があり、金学順が戦後初めて慰安婦としての身分を明かして被害を訴えたのは1991年8月とある。それはK君出発の少し前のことだった。思い返してみれば、K君が帰国した頃から、韓国人グループと仲良くすることが難しくなった。よりはっきり言うと、様々な嫌がらせを受けるようになった。当時はその理由がまったくわからなかった。いまそのことをある痛みとともに思い出す。私たち日本人の過去に関する無知と無関心と残酷さに深く傷ついたかれらの姿は、親の犯罪は子供の責任なのか、という問いを想起させる。K君は私を一度も責めなかったし、かれは私をフェアで対等なライバルとして扱ってくれたことを思い出す。言いたいことがいろいろあっただろう。しかしそれをすべて飲み込んで黙っていたのだ。

私たちは、「親」の素顔を知らねばならない。そしてそれはこの国の偽善的な政策とはなんの関係もない。

2013-11-08

ピザを焼く

無職の事を韓国語でペクス(白手)という。要するに仕事がなく時間だけは余っている人間のことである。あまりにも暇なので、最近は料理に力を入れている。ここひと月挑戦しているのは練り物である。最初は餃子の皮や麺類を作っていたのだが、ここしばらく発酵ものに手を出してピザ生地などを作っている。これが信じられないぐらい美味いのである。イタリアではもともとビール酵母を使っていたらしいが、うちでも常備しておきたくなる。そして冷蔵庫がどんどん狭くなって何も入らなくなりつつある。そろそろ四人家族用の冷蔵庫を買わなければならないと思っている。

ピザは高温で一気に焼きあげるのだが普通のオーブンでは250度が限界である。うまく焼けないなと思っていた時、オーブンの説明書を10年ぶりぐらいに読み返してみた。実は300度のグリルモードというものがあって、事実上ピザ専用の温度設定が存在していた。要するに自分が買ったものの能力や機能について自覚のないまま長い間使ってきたのだ。このことから様々なことを考える。要するに私たちは自分が何をできるかよく知らないことが多々あるということである。そうやって自分の怠慢を一般論にすり替えてとりあえず満足し、ピザ生地の発酵にとりかかっている。

イーストによる発酵では生地は二倍ほどに膨らむのだがこの時の香りがたいへんによろしい。練った手に生地の香りがついてしばらく取れないのだが、これが食欲を非常にかきたてる。発酵させるのにだいたい一時間ぐらいかかるが待ちきれなくなる。二人前なら小麦粉は150gで十分だ。ここにドライイースト、塩、オリーブオイル、水75ccを加える。私はちなみに薄力粉だけを使っている。練った後は一時間、数十分の二回に分けて発酵させる。その後は伸ばし、好きな食材を載せて余熱しておいたオーブンで焼くだけという単純な料理だ。アンチョビとオリーブだけ忘れなければ何を載せてもいい。

一応私の住む町にもピザ屋はいくつかあるのだが、すっかり外で食べる気がなくなってしまって、ますます書斎に引き篭もる日々だ。いや正確にはキッチンと書斎を往復する日々である。親に感謝することがあるとすれば、それは子供の頃海外でめぐり合った食材と料理の数々だろう。子供の頃味わったものの味はけして忘れない。かつて行ったイタリア料理店では、毛むくじゃらのシェフがピザを焼いていた。あの時食べたあの一皿というものがあり、それを再現するためにキッチンに向かうことは楽しい。もちろん、記憶の中のシェフが作った料理にはけして辿りつかない。それでいいのだ。美味いものだけが人生である。

2013-11-01

キーボードを洗う

珍しく読者からお手紙をいただいて、返事を考えている。だいたい私はいつも家にいるので、近所の人間から無職の呑んだくれなどと思われているに決まっているのだが、窓を開ければ涼しい風が入り込んできて、それを差し引いても快適な日本の秋である。そもそも去年のこの時期は日本にいなかったので二年ぶりの秋といえる。

荷物の整理をしていたら、箱の中から古いキーボードが出てきた。「マージナル・ソルジャー」に掲載したブログを書いていたとき、毎日のように使っていたものだ。驚いたのは、控えめにいって、それがひどく汚れていたことだ。あまりにもひどいので、キーボードを分解し、一つ一つのキーをすべて消毒することにした。

キーをひとつひとつ外し、洗剤を薄めた液体に数時間漬ける。その間、キーを外した本体を掃除する。本体には埃とゴミが積もって固まっており、実におぞましい眺めだった。息を止めて、薬剤を含んだ布で繰り返し何度も拭きとる。その下から、ヤニで黄色く変色したプラスチックが姿を表す。これをさらに漂白剤を使って殺菌脱色する。

結局、キーボードの掃除には一日を要した。不思議なのは、これほど汚れた機器を使っていた自分が、人生のある期間において、そのことにまったく無自覚だったことだ。正直に言って、箱から取り出し、かつて愛用していたキーボードを見たとき、私はほとんど吐き気をもよおした。しかし当時、私はそれになんの違和感も感じず、不潔とも思っていなかったのである。

目があるのに見えない。目の前で起こっていることを、ひとの目が捉えられない。それは見るという行為に、そもそもある限界があるからだ。ひとの目は見たいものしか見えないようできていて、考えるということは、まずその難しさを知ることなのだと思えてならない。汚れているのはキーボードだけなのか、そう問わなければならないのだ。この世はめくらの王国である。

2013-10-10

豚のことば

ネットの何もかもがうんざりだった。まずはここから始めよう。誰しもがそう思っている。しかし黙っていることから始めよう。なんのよろこびもたのしみもないこのネット。ネットがどんな場所になりつつあるか、まずはそこから語り始めよう。だがそのことばをよくよく注意して選ばなければならない。ネットの汚れと悪臭と暴力から、自由で安全な場所がある、そうした錯誤に陥らないよう、狭く細い道を歩いていかなければならない。

ネットから自由な場所などない。山にこもって、電気もガスも水道もない場所に住んでいたとしても、なお私たちの思考様式と生の条件はネットにがんじがらめに縛られそこから一歩も出られない。つまり私たちに必要なことはむしろネットにどっぷりと首まで浸かることである。スマートフォンを五分ごとにチェックし、2chのスレを日々閲覧し、Twitterでエゴサーチし糞を投げつけ、フェイスブックで成金スーツどもの写真や化粧まみれのパーティ写真にいいね! し、G+で猫画像を集めてハードディスクに保存しながら、なおこのネットについて語らなければならない。

「ソースのない」「科学的根拠のない」直感に基づいて考えよう。なぜならネットから失われたのは<こころ>だからである。こころは数値化されず当事者の胸の中にしか存在しない。しかしこころが損ねられれば人は死ぬことがある。このことを忘れてしまえば私たちは人間であることをやめそれ以下の存在になってしまう。ネットが毀損しているのは私たちの胸の中の深い部分の価値であり、そのことを見えなくさせてしまうのもまたネットである。こころを取り戻さねば私たちは生ける屍であるほかない。

私たちは、ネットに囲まれネットによって呼吸をしネットによって生かされている。人から個として生きる自由を常に剥奪しようとする日本社会において顔を隠して参加できるネットはすでにそれだけでも貴重な避難所である。この国が抱える核心的問題を、いくつかの社会現象から推測することができる。それは慰安婦であり、特攻隊であり、ブラック企業であり、女性蔑視であり、格差社会であり、あるいは露骨な性暴力表現であり、大人のふりを強いられる未成熟な子供の苦しみである。言い換えれば人をモノとして扱う社会であり、誰もがここから逃れたいと思いつつも我慢している。「みんな」が我慢しているからである。

そうした抑圧的かつ閉塞した状況下においてネットは麻薬に違いない。自分の命がかかっている極限状況である大災害のさなかにきれいに列をつくって配給品を待つことができる国民性を海外の人間が無邪気に賞賛している事が私たちの問題の在処を端的に示している。他人の顔色を伺わねば怖くてたまらない。人と違ったことができない。なぜなら共同体から排除され殺されるからである。自分だけが生きたいというきわめて人間的欲求が下劣なものとして排除され綺麗事だけがまかり通る。それはたとえば踏切で老人を助けて死んだ女性に勲章を出すという政府の姿勢にもよくよく現れている。誰もかれもが綺麗事を求めていて、そして、それにどこかうんざりしている。

なぜ自分だけが助かってはいけないのか。なぜ自分だけが生き残ってはいけないのか。あの勇気ある女性は、老人を見捨てて逃げてはいけなかったのか? そう問うことすらタブーとなり、皆がきらきらした目をしながら自己犠牲の尊さについて語っている。そして裏では2chやTwitterで匿名で朝鮮人は死ねと書きこむ。これは極めて自然なことであり当然の帰結といえる。清濁なくして人は生きられない。嫉妬、悪意、憎悪、怒り、こうした負の感情を出す場所がどこにも社会に存在せず結果として幼稚な極右勢力の台頭を招いている。これが現状である。

形をあたえねばならない。この非人間的な状況において私たちの苦しみと悲しみと切なさに形をあたえねばならない。「日本人に生まれてよかった」と無邪気な顔をして吹聴しそれを少しも恥ずかしいと思わない若いひとびとの逃避先に堆積している汚穢を明らかにせねばならないし、いまだに「日本の技術は世界一」と恥ずかしげもなく公言している哀れな中高年の一人ぼっちの夕食の光景について語らねばならない。ああ、つらい。ああ、くるしい。そう言うべきなのだ。そう、書くべきなのだ。誰もそのようなことを言わなくなった、そして言えなくなった結果がこの現状なのである。

醜いものを直視せねばならない。なぜそうか。私たちは、たとえいま幸せであったとしても、明日にはそれが奪われるかもしれない日常のただ中に生きている。ある日恋人に裏切られ、警察に通報され、性癖をネットにさらされ、動画サイトに性器写真が実名入りで公開される。親族の借金や犯罪で理不尽に職を失う。順分満帆だった事業が友人の裏切りによって潰れ借金を抱えて逃げまわる。この社会は私たちを傷つける悪意たる<偶然>によって構成されている。これは誰しもが逃れられない生の条件である。このことを知らねば、人は再現なく他人に冷たくできるのである。星の数ほどあるまとめサイトを見ていれば人の不幸を笑う人間がどれぐらいいるか慄然とする。しかし、かれらは知らないのだ。明日、それが自分のものになるかもしれないという想像力を持ち得ないからである。

いつでも、人は傷を誰かのせいにしたいと思っている。誰でもそうなのだ。自分が悪くないと思いたいのだ。だから与党が、民主党が、朝鮮人が、VANKが、アメリカ人が、大日本帝国が、共産党が、スタジオジブリが、みのもんたが、津田大介が、創価学会が、家族が、東京都が、北京が、マスコミが、これらすべてまたはそのどれかのせいにして、自分の傷を癒したいと思っているのである。2chやTwitterで安易で表層的な共感を得てその晩だけの安眠をかくとくできると思っているのである。共感してほしい、わかってほしい、同情してほしい、自分だけが苦しんでいるのではないことを知ってほしい……それを願うのは人間らしい、しかし傷や痛みを誰かのせいにしてはならないのである。たとえネットですぐに「加害者」が見つかり、一緒に罵倒できる「仲間」が見つかったとしても、そこで一歩踏みとどまらなければならないのである。

人は安易な救済を求めてネットをさまよっている。だがそれはどこにも見つからない。私はすべての読者に対して予言するがそれはネットには見つからぬ。個別な不幸はただネットで消費されるだけである。より具体的に言えば彼氏に裏切られた女の不幸は、その物語を自慰のために消費しようと待ち構えている男たちの甘い菓子になるだけである。そしてそれは当たり前なのだ。なぜなら男というのは、そもそも目の前に座って泣いている女の前ですら、その悲しみを理解したり共感したりすることができない不完全な生き物だからである。ネットでそれが可能だと思いたい気持ちを私も共有している。どうしようもない現実の前に膝をつき挫折して赦しを請いたい気持ちを抱くことは誰にでもある。しかしそれは赦されないし癒されないし理解され得ないのである。すべての願いを一度捨てる以外に赦しや癒しはありえないのだ。それがネットで可能だというのは滑稽である。

だが私たちはすぐにその夢に縋りたくなる。だから今日もネットを巡回し自分より不幸な人間を探してまとめサイトで他人の不幸な物語を読みあさる。そして一時的に癒され自分のみじめな日常に戻っていく。それは例えば両親が怒鳴りあう家の自分の狭い部屋だったり、家賃が払えなくて大家から出て行けと手紙をはられたアパートの一室だったり、夫に浮気され子供に暴力を振るう妻がひとりで食べる昼食のテーブルであったり、突然リストラされて行き場を失った夫が毎日通う公園のベンチであったりするだろう。そこから逃れるためだけにネットという麻薬が機能している。綺麗事ばかりのテレビ、新聞、ラジオといったマスコミは、何もわかってくれない。だからネットに「真実」があるように思える。しかしネットにあるのは別の露悪的な虚構だけである。

私たちはどうすればいいのか。私たちは何から始めればいいのか。私は、読者のためになんの解ももっていない。あるのは自分の体験と経験から勝ち得た世界のスケッチだけである。私はあなたたちに何も教えない。私はあなたたちに何も伝えない。私はこの現実についてしか語りえない。死刑執行を待ちわびる囚人のように、残された日々を数えながら、窓も、出口も、入り口すらないこの閉塞した現状の中で、自分がいかに正気を保っているか、その方法について語る以外になんのすべももっていない。しかし、自分がどこにいるのか。自分が強いられるこの奇怪な<場所>がいったいどこであるか。それを見ることはなお可能である。そしてそれを見なければ、もはや私たちは生きることすらできないのである。

ネットが登場した頃、ネットには夢や希望があった。いいかえればこころがあった。個人的なことを言えば、私は愛人も、恋人も、新しい妻も、尊敬すべき先輩も、名誉も、そして自分の職業が何であるかという認識も、すべてネットで手に入れた。すべてがこの閉じられたディスプレイのあちら側にあった。ことばすらここに存在していた。だからいまネットにそれがないかといって、ネットを愛していないというわけではない。死んだ恋人であっても墓標には花を手向けるものである。そして私は知っている。同じように思っているひとびとが、この国にたくさん存在していることを。むろんそれはネットをいくら探しても見つからない。かれらはみなネットから離れたからである。これはだから妄想である。しかしそもそも書くとはそのようなことではないか。ボトルに詰めた手紙を海に投げ込むような行為でしかないのではないか。希望をもつとは宛先のない手紙を記すことではないか。そう思えてならない。

私が住む片田舎の旧公団住宅には、ほとんど人の姿がない。借金取りもめったに来ないし、貧乏人が住むには生活コストも安い。そして自然だけはいつも余っている。田舎での住まいは快適というほかない。別れた妻や子供のことを考える機会も少ない。ことばの通じない外国人のふりをしていれば孤独を保てる快適な居住環境である。東京には二十年ほどいたが繋がりがあるようでまったくない。礼儀正しく民度が高いと自画自賛するひとびとの表層的なやりとりがあるだけである。いま振り返ると、東京は具現化したネットそのもののように思える。嘘と建前で塗り固めた金メッキの巨大で虚ろなメトロポリスである。

ネットでは愚かさばかりが可視化され、弱さと不幸由来の誹謗中傷が毎日のように繰り返される。それは抑圧的な社会がもたらす当然の帰結というほかない。当初ネットが引き受けなければならなかったこうした弱さ、醜さ、さもしさは、こうした社会に疲れ疲弊したひとびとの唯一の逃げ場だった。そこではじめて人は自分の弱さを見つめることが可能だった。ただそれが暴力に転化したいま、倫理的であろうとし、かつ弱い人間の居場所はこの社会のどこにもない。反社会的活動に手を染める勇気もないまま今日のネットを黙って閲覧してひとりで笑う生活があるだけである。

暴力行為はますます悪化し、それに歯止めをかける方法はまったくなく、国民から徹底的に侮蔑されている政治家たちは理念と志を失っていき、二世議員ばかりで生まれてから一度も生活に困ったこともない無邪気なひとびとにはこころを守るための法案のひとつも考えうるはずもなく、途方にくれるばかりである。純然たるテキストによる暴力はあらゆる場所で繰り広げられ、それは「表現の自由」というすでに無意味な金科玉条によって保証される。ブラウザを開くたびに女を暴行する男の漫画の広告が何かしら表示される現実は、暴力に無自覚な私たちの鈍感さそのものである。<ことば>への理解の不在は、システムを作っている連中だけの責任ではない。それを受け入れてしまっている私たちの責任でもある。

小説家や評論家のような語り口を捨てなければならなかった。ただの浅学菲才な豚が一匹、ニンゲンのふりをして日本語を喋っている。そう思っていただいてまったく問題ないのである。なぜなら文章の価値は本質的にそれ自体にのみ内在するからだ。しかしネットにはなぜ同じような日本語を語っているものがいないのか。学歴、教養、カネ、倫理のすべてを欠いた醜い豚にしか、語ることができない何かがあるとでもいうのだろうか? 豚だけが語る資格をもつという背理が成り立ってしまう現状に苛立たざるを得ない。豚には誇るべき何ものもない。ただ食用に供するだけの血と、肉と、日本語等を解することができる灰色の脳細胞があるのみである。よって、豚はこのまま語ろうと思う。豚のまま語ることが、私の誠実であり方法である。聞け、豚のことばを。

2013-10-09

無窮花下

女が別の男と撮影した性行為動画を眺めている。窓の外は霧が深い。このあたりはかつて蝦夷が住んでいたという。かれらは大和朝廷に滅ぼされ、近くの森で虜囚の辱めを受けた。勝者が建てた石碑がその跡地に残されている。女とそこを訪れたのは今年の初夏だった。うっとうしい蝉の声に囲まれ、汗をだらだら流しながら、先の見えぬゆるやかな坂を登った。坂の上には入道雲が見え、道は長く、人気はなかった。熱い風が空から吹き下り、私と女のあいだを吹き抜けていく。

夜の道路は、白いもやがかかっていてほとんど何も見えない。その白い霞の中を、亡霊のようなライトがゆっくりと通りすぎていく。やや肌寒いベランダに出ると、街は完全に霧で覆われていた。精液のように濁ったモヤが、湿気として全身にまとわりつく。女は、セックスに疲れて眠っている。夜のこの時間は、二番目の妻のいない自由な時間だった。五階のベランダから見える旧公団住宅はいつも静かだった。老人と、猫と、私たちだけが、この街に生きているように感じられた。

女が男に送った動画は数種類あった。男の要請に応えるべく、女はいつでも股を開いていた。男はいつでも貧しくみじめで嫉妬心に苛まれ、泥の中を這いずり回りながら、女をその中へと引きずり落とそうと黄色い目を光らせていた。男を理解することは容易だった。しかし、男に積極的かつ自発的に騙され利用され捨てられる女たちの優しいまなざしを理解することは、いつでも難しかった。女は、男に復讐するためだけに、優しさというものを作り出したのではないか、そう思えてならなかった。

自慰のためのつるつるした板」に代表される小型化された端末の普及によって、あらゆるところで女の裸が撮影され、自慰や性行為が録画され、流出し、拡散し、それらが顔のない男たちの自涜のために消費される時代がやってきていた。女たちは女であることをすでにやめ、触れれば崩れる砂のようなデータとなって、複製に複製を重ねられるモノとなった。携帯やハードディスクに記録された過去は可視化され、まるでそれが再生可能であるかのような妄想が垂れ流され続けていた。

女は、当時は愛していた、とする男との性行為に関して、相手が下手だったから毎回達するフリをしていた、と主張していた。それを信じる男がいるだろうか。市ヶ谷で自殺した作家が言うように、姦通の核心とは性行為そのものにあるのではない。つがいの男女によってひそかに共有される絶頂の記憶こそがその秘密である。どうして女は、こんなに嘘がうまいのか。そう思いながら信じると言わねばならない。別の男と関係を持ちながら笑顔で新婚旅行に出かけた女の写真の笑顔のうつくしさ、やわらかさ、愛情のこもったまなざしにめまいを覚えながら、なお、女を信じると言わねばならなかった。

何もかもがアーカイブ化され、可視化されると鼻息荒くするIT屋どもが作るこの21世紀の社会において、けして記録されないもの、再生されえないものを見なければならなかった。かつて、既存メディアにおだてられいい気になって滅んだブロガーたちの死臭に鼻をつまみながら、今のネットを見てみよう。カネと名声がここにあると喧伝する連中が、鼻をひくつかせながら右往左往する様子を観察できるだろう。可能性の場としてのブロゴスフィアは滅び、連帯の可能性は失われた。残ったのは、個別に引き裂かれ、それぞれの孤独を癒すために例えば「愛国者」になったひとびとが、まがい物の自己満足では癒せない苦しみを癒す麻薬として、弱者に石つぶてを投げる光景だけである。

どこかで、老人が咳き込む声がする。人は死ねば糞袋である。動画の女が口でし始めるのを横目に、私は窓の外を見た。相も変わらぬ夜明けがやってきていた。この時間帯、夜はうつくしいオレンジ色の光に引き裂かれ、七色のスペクトラムを空に描いていく。この世でもっとも好きな時間帯だった。人の顔色を伺わなければ、息をひとつするのも困難な、この閉鎖的で画一的な土人社会は、同じ程度に劣悪で貧しいネットを作っていた。その自由がもたらしたものは貧困と暴力と自慰行為だけだった。もし、それでもなおこの場に信ずるに足る何かがあるとすれば、それは、書くということでしかないはずだった。女の小さく赤い舌が、男の尖った乳首を舐め上げている。ころしてやるよお、この、売女があ!

2013-06-18

ジャパニーズ・ドリーム

夏風邪をひいて、一日横になっている。私の家は、郊外にある旧公団住宅の最上階で、北西に面した窓からは地平線とそこに沈む太陽が、南東の部屋の窓からは朝日がのぼる丘陵が見える。私は北西側の寝室で、先日妻が干したばかりの布団に横になっている。あたりは静かで、物音がしなかった。住宅には半分ぐらいしか入居者がおらず、駐車場を挟んで向かい側の棟には、シャッターで閉鎖されたベランダが目立つ。つい最近も、家賃値下げの通知が来た。よっぽど住人がいないのだろうと思うと同時に、この国が文字通りゆっくりと衰退へと向かっていることを実感する。そして、それをすでに受け入れている自分がいることにも気がつく。いつだっただろう、いつから、衰退を受け入れたのだろう。窓の外に、銀色の針のような雨が降っている。音はしなかった。何もかもが死につつあった。だが、かつてはそうではなかった。かつてはこの国にも、夢や希望があったはずだった。

1989年、昭和天皇が死んだ。私は当時東南アジアにいて、その訃報を英語のラジオ経由で聞いた。何かが終わったのだ、という漠然とした予感があった。単に一人の個人の死ではない、大きな時代が終わったのだ、という事を、私は子供心にぼんやりと感じ取った。ほどなくしてバブル経済は終焉し、様々なものが奪われ続ける20年間が始まった。まず何が失われたのだろうか。一番最初に奪われたのは誇りだった。あるいはちっぽけなプライドだったと言い換えてもよかった。アジアを牽引する新しい盟主たる日本は滅んだ。アメリカで不動産を買いあさり黄色い猿と揶揄されながらもカネの力で平気な顔ができた、その幸福な時代はすぐに終わったのである。いまの韓国人や中国人の多くが、当時の日本人とまったく同じ横顔をしていることに戦慄を禁じえない。あの威張り散らしている様子に、あの恥知らずな言動! 赤面するばかりである。その末路が想像できた。

80年代、私がまだ日本にいた頃、私の生家の近辺の水田には蛍がたくさんいた。銚子に近い房総半島の東の端である。そもそも誇るべき文化もなにもない土地柄だったが、自然だけはうつくしかった。夏の日の朝の爽やかさ。うだるような暑さの中、時間とともに移り変わる複数のセミの声、そして夜には鈴虫やコオロギが鳴いていた。生家は小道に面しており、その前を小川が流れていた。道に面した縁側に座って川の水面を眺めていると、たくさんの人々がそこを横切っていった。チンドン屋、豆腐屋、紙芝居屋、そして何を売っているのかわからないよろず屋。川はより大きな水系に接続していて、その水門にはいつも花が手向けられていた。毎年子どもが溺れ死ぬのだ。その川から水を引いた水田には、夜になると蛍の群れがあらわれた。いま思い出すと、それはもう取り戻しようのない、夢のような光景だと感じる。何もかも奪われ、損ねられた私たちの、二度とかえることのできぬふるさとである。

90年代になって日本に戻って来たとき、すでにバブル経済は終わっていた。ソビエト連邦とアメリカとの冷戦は終わり、昭和は終わって久しく、そして、拡大する貧困が、私の生まれた街も蝕んでいった。個人店舗がつぶれ、古いデパートは閉店し放棄され、あちこちに空き家ができ、私の生家は老朽化という名目で取り壊され、水田は効率化のための農薬で汚染され蛍が全滅し、あちこちに画一的なコンビニやショッピングモールが建築され、街は小奇麗で清潔になっていった。祖母が死んだ後、私はかつての生家の場所に立ち寄ったことがある。そこにはアメリカ風の趣味の悪い一軒家が建っていた。しかし、それを悲しむ暇もなかった。私は東京で結婚し、子供を作って、生活を送っていたからだった。この時代に生きた皆と同じように、私もまた、様々なものがいつの間にか失われていくのを、何もできずに、傍観者として生きることを強いられた一人だった。何もしなかったし、できなかった。傍観者である間に、この国はこうなってしまった。この国にゆいいつないものは希望であると書いた作家がいたが、それが消えたのは奪われたからだ。誰に? 他でもない、私たち自身の手によってである。

私たちの社会は、100円でおにぎりが全国どこでも買えるコンビニでできている。コンビニは、利便性である。コンビニは、近代である。コンビニは、クール・ジャパンである。コンビニこそ、日本をもっともよく表すことばであり、いまや私たちのこの画一的な生活をなによりも象徴している存在にほかならなかった。いつでも、どこでも、まったく同一の製品が、痛むことも、腐ることも、劣化することもなく、全国どこでも、まったく同じ味で、同じ包装で、同じ価格で、購入ができる。この利便性こそがジャパニーズ・ドリームの具現化である。つまり私たちが見た夢と希望の結末こそがコンビニであった。人間はどうであったか。まったく同じだった。ドブネズミ色のスーツを着て画一的な行動を強いられ、グローバル化と言われれば全員が揃って文句も言わずに英語を学ぶしかない。独立自尊心のかけらもない、歯車の自覚だけはあるが反抗することだけはけしてできない奴隷の王国である。

なぜこうなったか。誰がこうしたか。日本人はとてもがんばった。日本人はとても努力した。日本人は誰よりも誇り高かった。なぜこうなった。なぜ誰もが頑張ったのにこうなった。なぜだと、皆がそう問いたがっている。皆がそう叫びたがっている。血を吐くようなみじめな生活の中、生まれてから一度も衣食住に困ったことがない政治家の連中が吐くきれいごとにプロパガンダ、そして大日本帝国バンザイと懲りずに叫ぶしか趣味のない哀れな総理大臣の戯言を横目に、ひたすら我慢して、耐えて、出来合いの金型にはめ殺されながら、生きていくしかないと、誰もがあきらめている。あきらめてどうするか。暇つぶしである。あまりにも生きるのが辛いから暇つぶしをし、ネトウヨになり、社会活動ごっこに興じ、TwitterやTogetterで吹きだまり、誰かの足を引っ張るためだけに毎日ブラウザに向かう日々を過ごしているのである。弱者の逃避というのは別の弱者を作ることである。

夜になると、雨は止んでいた。星が光っていた。ひとが減るということは、照明が減るということだった。星だけは近く感じられた。街のあちこちに、未開発のまま放置された森林が、真っ黒な姿を夜空にさらしている。そこかしこにコンビニがぽつぽつと立ち、煌々とした光を放っていた。子供の頃、生家の近所に、叫び声をあげる狂人が住んでいた。市役所が流す時報に合わせるようにして、獣のような叫び声がどこかから聞こえてくるのである。それは地元では有名な名家の一人息子で、どこかの土蔵に閉じ込められているという噂だった。私は、その狂人のことをたまに思い出す。家族に、共同体に、社会に、日本に裏切られ、踏みつけられ、どこかの牢獄に閉じ込められ、叫び声をあげることでしか自らの怒りを、悲しみを、苦しみを伝えるすべを持たない、狂った男のことを。かれにもきっとふるさとがあったはずである。私たちはふるさとを自分の手で捨てた。ひょっとしたら、奪われたほうがまだましであったかもしれない。奪われたのであれば、まだ憎むことができる。憎む相手がいる限り、いつか取り戻せるかもしれぬという夢を抱くことができる。苦しめるだけ、かれは幸せだったのではないか。そう、思わずにはいられない。窓の外から、狂人の叫び声が聞こえる。この、うらぎりものがあ、この、ひきょうものがあ!

2013-06-12

刊行によせて/読者への手紙

先日、「マージナル・ソルジャー」の発売を行いました。
皆様ご購入ありがとうございます。長大な作物ですから、寄稿している他の作家の方々の文章(そしてあのすばらしい扉絵も!)を含めて、末永く手元においてお楽しみください。

2013-06-08

K氏への手紙

献本ありがとうございました。

いま頂いた本を読んでいて、全然違うことを考えているのですが、そもそも私たちはいったい何のために考えたり書いたりするのか、と、あらためて自問してしまいました。

2013-06-01

「マージナル・ソルジャー」刊行のお知らせ

2013年6月1日、本日より発売となりました。こちら(Amazon Kindleストア)です。

2013-04-11

近況

読者からもらったメールを眺めていた。それぞれの生活にそれぞれの困難があり、それはおしなべて平凡で凡庸で、つまり自分の退屈でつまらない人生と同じ時間を、いまこの日本に住むひとびとが過ごしていることを意味していた。空から星が落ちるようなあこがれを抱く瞬間があったとしても、それは例えばテレビでしたり顔をして薄ら笑いを浮かべる政治家たちの顔を見ればその気持ちが乾きそして消え失せていくのだった。

社会参加を声高に叫ぶ活動家たちの女のことしか考えられない顔の紅潮して膨らんだ鼻の穴を見るたびにこの社会に嫌気がさしていく、そう思っているひとびとがたくさんいることを感じてはいたが、それは個別に分断され孤独を強いられる若者や職を失った中年や孫に捨てられた老人たちの共感であり、世代や社会的地位をまたいだ連携は少なくともネットを経由しては不可能なように思われた。

春が来ており、そして嵐が来ていた。表現のために生活費を捻出するだけの生活が続いていた。作家は優れていればいるほどこの社会では孤立するのではないか、そう自嘲してみたくもなるが、日本において組織を離れ、個人として生きるということの難しさは誰もが共有しているはずだった。そういう生き方を自己本位と言った漱石は東大のポストを蹴って芸人とみなされる小説家になったが、社会が提示する堅固な枠組みから外に出るベクトルを持ち続けない限り、その内部に留まる限りにおいてけして理解できない困難や課題を見、それについて考えることができなくなることは自明だった。

性交をしたあと一キロ減った体重計を眺めている。人間の身体は水分と塵芥で出来ているはずなのにまるでそれよりも上等な存在であると考えている。口から食物を取って排泄するだけの糞袋に知性や感情があるということが不思議だった。猫にすら感情があり知性があるのに人間にはそれがないように見えることもまた不思議だった。いつでも性欲と暴力に縛られていて、それを制御できると思っている連中が多いことが強姦と家庭内暴力がいまだに撲滅されるはずもない理由に違いなかった。

机に原稿の山が出来ている。机を買わなければならなかった。うすっぺらく便利な道具をIT屋どもが今日も制作していて、そのほとんどが無価値なガラクタにすぎないことを誰もが薄々気がついていた。ほんとうに必要なものは少なく、それはペンと本、そしてそれを置くための机でしかない。性交に必要なのは女と男とベッドであると言い換えてもよかった。商業的な意図だけに基づき制作される横文字だらけのネットの道具に私たちがいかに毀損され、損ねられ、傷つけられているか、それについて語るべきひとびとはたいてい貝のように口を閉ざしていた。公の場で語ることが無駄で無価値で無意味に傷つけられるだけだと思っているからだ。

窓の外を強い風が吹いている。ペンと本が必要だった。それだけが日本人にゆるされた最後の武器である。

2013-04-09

これから女になるあなたたちへ

これから女になるあなたたちへ、よく言っておかなければならなかった。これから男に抱かれるあなたたちへ、よく伝えておかなければならなかった。男がどのような生き物か。どうしてかれらが<人間>になることができないのか。どうしてかれらのごくごく一部だけしか女を理解しえないのか。理解しようとすらしないのか。

苦しいのだろうか。女が怖いのだろうか。しかり怖いのである。なによりも怖いのである。男はいつでもつまらないプライドにすがっている。親のカネでせこせこ勉強して得た学歴に、ママに買ってもらった金ピカの時計、日本という共同体がばらまく世界一という妄想。あるいは、女をモノとして戦利品としてしか見ない貧困な精神。それを、女に見抜かれてしまうのが、骨の髄まで震えるほどおそろしいのである。

いつでもセックスをしたがっている。女を泣かせるのが、隷属させるのが、足で踏みつけるのがなによりも快楽だ。なぜ、そんなことを言わねばならぬか。なぜ、そんな当然で自明の事実をこの私がいまさら語らねばならないか。妻がいる身で、愛人を何人も作り、繰り返し繰り返し買春をし、ことばの暴力で弱者を傷つけ、子供を捨て、借りたカネも返さず、裁判所の出頭命令は無視し、サツの皆様におかれましてはご迷惑をおかけし、親類一同の恥さらし、落伍者の貧乏人の根本正午が、なぜいまだに言い続けなければならぬのか。いつも不思議だった。いつもおかしいと思ってきた。

男にとって女はモノでありかつ自慰の道具だった。人間未満の男にも、女を騙すぐらいの直感は備わっていた。母親におべっかを使うことで学んできたまるで人間のような高度な教養がそこにはあった。女のカラダはいつでも自慰の道具だった。なぜ男は女の写真を撮りたがるか。なぜ男は動画を撮りたがるか。答は自明だった。自慰のためであり、土人のように戦利品としてスマートフォンで見せびらかし自慢するためである。おべっかと甘言を弄すれば、女がそれを許してしまうからである。元彼女が、元妻が、元愛人が、今日もハードディスクで精液にまみれている。あなたたち女はそれをよくよく想像しなければならない。

男の、男のための、男による日本社会。今日も女を道具にしようと、男たちが小さな脳味噌を絞って考えている。会社では命令権を持つ上司が圧力と空気を使って部下を愛人にし、大学では教授室で弟子に性器をしゃぶらせている。男のための制度を使って、女をいつでもモノ扱いする。インポテンツの老人のための政治ばかりが繰り広げられる社会で、女は軽んじられ、踏みつけられ、妊婦と母親と老人がまるで邪魔者扱いされる。何もかもが性欲をめぐっているのに、女の味方をするフリだけはうまい男たちがきれいごとを吐き、その口の悪臭はもはや耐え難かった。

あなたたち女はなぜそれでも男を信じようとしてしまうのか。私は自分の手がやったことについて語らねばならない。私が信じるに足る人間なのか、あなたたちが自分の目で確かめねばならない。セックスが、セックスしか、セックスだけの人生だった。女を裸にし、剃毛し、縛り、浣腸し、処女を奪って、何度も何度も性交をして、別の男との性行為をひとつひとつ聞き出し、女の別の男との性行為動画を、写真を、すべて見て、確かめて、まだ足りなかった、まだ全然足りなかった、女はきたなくそしてあまりにうつくしく、この世のすべてのカネが、栄光が、誇りが、神が、ちっぽけで、つまらなくなった。女のおまんこにはその力があった。燃え上がる嫉妬の炎の中で女の姿を真正面から見つめている間だけ、私は<人間>になることが許されるような気がした。

SNSで女子中学生です友達ほしいですと書くだけでメッセージが百通届く世界。金額が、ゴムの有無が、十万円ホテル別という条件が、金ピカのスーツを来た連中がうなるようにもっている札束で、女が買われ、女が踏みにじられ、そして、そして、同じぐらい、男もまた損ねられ虫けらになっていた。わからなかった。どうしてもわからなかった。どうしたら女を愛することができるのか。カネだけはあった。カネなら手に入った。なぜ女を愛せないのか。なぜ眼の前で泣いている女を自分は何もできないで黙ってみているしかできないのか無力でしかたなく、苦しくて苦しくて死にたくなり、自殺できず、それでも何もできず、暴力をふるい、女を追い出し、女を捨てて、そうして生きてきただけのゴミのような人生がここにあった。

あなたたち女はそんな男たちをどうするのか。自慰の道具でしかないのにさらに写真を取らせ動画を取らせ性欲処理の道具に甘んじるのか、あなたたちの誇りはどこにいったのか、私たちはあのナザレの男のように汚れた女を許すことなどできぬ、ちっぽけな、汚い、嫉妬心と、猜疑心と、悪意と、傷ついたこころを持たされて、それをひとに転嫁しないわけにはいかない、自分よりも弱者を叩くしかない、そんなちっぽけな虫けら以下の存在なのに、あなたたち女は男たちの道具になることを選ぶのか、あなたたち女は、どうしてそう愚かなのか。あなたたちのめぐまれたカラダをなぜ自慰の道具に貶めようとするのか。どうしていつまでもつまらない夫をもってしまったと愚痴ばかり言っている老いた母親の言いなりになっているのか。女として生まれた、そんなしあわせなことを、どうしてあなたたちは軽視するのか。

男のようになりたいのか。精液を出すためだけに生きるみじめな虫けらになりたいのか。女の知人はすべて性欲対象であり、親友の妻だろうが、妻の高校の後輩だろうが、上司の娘だろうが、恩師の孫だろうが、ありとあらゆるすべての女に、性欲を持たされてしまう、男みたいな生き物になりたいのか。カネがあれば好きなだけ買春をし、隙あらば生でしたがり、プライドばかりが肥大化して、女に馬鹿にされてしまうことが、自分のほんとうの姿を見抜かれてしまうことが、恐ろしくて、恐ろしくて、日々恐怖におびえながら生きている、なさけなくて、つまらなくて、まずしくて、哀れすぎる男のような生き物になりたいのか。母の子宮の中で選び取った女という性を、あなたたちはなぜ大切にしないのか。

ああ、このようなことを言いたいのではなかった。このようなことを書きたかったのではなかった。女の裸の足指が、膝が、太ももが、陰毛が、肛門の皺が、臀部の丸みが、背中の稜線が、柔らかい二の腕が、草原のような腹部が、きらきらと光る星のような目が、かぐわしい髪の毛が、この世のどんなものよりも、いとおしくうつくしくにくらしい。女どもが、女どもがいなければ、男はこんなに苦しまなかった。女たちがいなければ、男はこんなにしあわせには生きられなかった。一匹の虫けらなのに、生きる価値の何一つない、精液を吐き出すだけの糞袋なのに、生きていて、よかったと思ってしまった、女に、負けてしまった、女があまりにも、あまりにも。

今日も夜空だけがあった。泥まみれの汚らしい私に、やはり、星が何かを示していた。弱者を踏みつけ、ルールを押し付け、カネだけがいつも正義で、薄ら寒いきれいごとばかりをテレビが、新聞が、ラジオが、雑誌が、Twitterが、Togetterが、そこに群がる言論人どもが、いつでも、どこでも垂れ流していた。女たちはどこにいるのか。女たちはどこにいったのか。いつでも女の姿を求めていた。いつでも女を探していた。女が光であったならよかった。願わくば私の両目を焼きつくしてくれ、私のこころを焼き尽くしてくれ、これ以上女たちに嫉妬せずともよいように、私がこの糞のような人生から、ほんのいっときの平穏を得られるように、女よ、女たちよ、これから女になるあなたたち、きっと自らを愛せよ、そして私を、憎んでくれ。

2013-04-06

幕間

雨が降っているような気がした。葬式は、いつもそんなふうに感じられた。洋子は自殺だったと、知人たちは噂していた。喪主は頑健そうな男で、強張った顔をしてパイプ椅子に座っていた。男は一度も会ったことがない洋子の夫だったのかもしれないし、あるいは父親だったのかもしれなかった。洋子は、自分の両親の話を一切しなかった。私も、自分の家族の話はしなかった。過去には興味ないのよ、と洋子は言っていた。だから写真もきらいなの。シャッター音がするたびに、自分が削られているような気がして、少しずつ死んでいくみたいな、そんな気がするのよ。

親のすすめる相手と洋子が結婚したのは十年ほど前のことだったらしい。洋子とは過去短い間、十代の頃につきあっていた。もっとも、当時はキスもろくにできないような年代で、手を握るぐらいのことしかできなかった。大人になって再会してたまに会うようになってから、洋子がその後結婚し、数年間夫と海外で過ごした話を聞いた。私が洋子と再会したのはまったくの偶然だった。世界は広くて狭いなあ、と洋子は言っていた。同じ日同じ場所で、高校時代の恋人と東京で再会する確立はどれぐらい低いのか。でも、また会いそうな気がしてたよ。なんで、と聞くと、なんとなく、と洋子は笑った。

新宿にはいきつけの喫茶店がいくつかあった。洋子と使っていたのは、やたら高くてサービスが悪く、珈琲がまずく、調度品は金ピカで、およそ考えうる限り最低の店だったが、ふたりはそこがわりと気に入っていた。私はとある日本の詩人の逸話を、おもしろおかしく脚色して話して聞かせていた。和式便所にまたがりながら星を見て思わず涙を流したというくだりで洋子はひとしきり笑った後、ふと真顔になった。鎖があるとね、出られないのよ、とつぶやいた。だからね、そのフランスに行きたかった詩人さんは、きっと、逃げられなかったのよ、どこにも行けなかったのよ。洋子はタバコをもみ消すと、私を見た。なんで怒るんだよ、と私は言った。

洋子との性行為は、あまり楽しいものではなかった。性器が生まれつきなのか小さく、性交痛もひどかった。色々なことを試したが、どうしても解決できなかった。私の失望を洋子は知っていたし、私もまた、洋子がそれに気がついていることを知っていた。だから何度か乾いた性行為をした後は、ふたりで古本屋めぐりや、美術館をハシゴしたり、某詩人の悪口をひとしきり言ったりする時間を過ごすようになっていった。まるで恋人みたいだね、と洋子が言った。私たちは上野公園のベンチに座って、桜を眺めていた。私たち、これからどうしようか。そう、洋子が言った気がした。返事をしようとして、別の女からのメールが着信する。他に女がいることは、洋子には隠していなかった。私が携帯で返事を書いている間、洋子は靴で砂に円をいくつも描いていた。

どんなものにも理由があるはずだった。洋子が隠していた何かは、ほんとうは私に聞いてほしいことなのだということを、私はよく知っていた。きっと洋子は、答えてくれただろうと思う。しかし私は聞かなかった。洋子と親しくしていた当時、私は前妻との離婚調停の真っ最中で、ひとの人生に踏み込む勇気がなかったのだ。しかし、それが言い訳だということはなによりも自分が知っていた。その日、洋子が入った棺は、とても小さく見えた。花々に囲まれた写真の中の洋子は、いつか見たことがある作り笑いをして私をじっと見下ろしていた。写真、あるじゃないか。私はそうつぶやいた。そしてなぜか、胸が焼けるような、激しく暗い怒りを覚えた。あなたは、やっぱり、うそつきね。

2013-04-05

生き腐れる桜の木

道をゆく女性たちから、不審者を見る目で見られている。私は徹夜明けの身体を引きずって、コンビニでタバコを買い、そばの公園で桜が散るのを眺めていた。平日の昼間から、仕事もしないで何をしているのかと思われているのだろう。髭も剃れない貧乏人は、この街から出ていけと女たちに言われている気がして苦笑する。まったく、その通りかもしれなかった。

一般社会の枠組みから外れたひとびとに対し、世間はいつでも冷たく、よそ者は徹底的に排除される。いつもの光景だった。最近はネットでもそのような現場を見ることができるようになっていた。これを進歩と言わなければならなかった。落伍者にも生きる資格がある、そう励ましてくれる社会は、この先進国には存在していなかった。弱者はいつまでも弱者であることを強いられ、かれらはこうしてどこにも居場所がなくなってゆく。

どこかをまた右翼の街宣車が走っていく。最近はネットでもあの手の連中をよく見かけた。そしてそれは弱者を見えなくする清潔な社会がもたらす当然のひずみだと感じられた。居場所がなくなれば、何かにすがるしかない。いかにそれが金メッキされたくだらぬゴミの山であろうと、何か信じるものがなければひとは生きていけない。何かたたかうに値するものがなければ、とてもではないが、ひとは発狂して首を吊るしかなかった。

公園の土に、散った花びらが堆積して腐っている。桜の大木は、根っこから腐り始めているように見えた。反対側のベンチに、老婆が一人で背中を丸めて座っている。上辺だけ近代化する郊外の街で、長距離を移動するすべを持たない老人たちは、買い物する場所をじわじわと奪われている。震災直後、笹塚のコンビニで見た光景がよみがえる。年寄りたちがコンビニに押し寄せ、米や水を買いあさっていた。かれらは誰も頼りにしない。かれらを助けるべき若者もまた、居場所を奪われている。

物書きは、ことばという凶器をもった強者だ。社会から疎まれ、唾を吐きつけられ、誹謗中傷を星降るように浴びていても、なお、やはり一個の凶器だ。それを寄る辺としてものを考え、書いてきただけのちっぽけな人生があった。ますます狂っていく社会を、誰もおかしいと思わない、いや、おかしいと言うことが許されない空気の中、誰のために書けばよいのか。そんな陳腐だが切実な問いが、こころに冷たい石のように沈んでいる。潔癖症のネット社会に閉じ込められた私たちは、一歩も外に出られないまま、こうして生き腐れるだけなのかもしれなかった。

枯死する桜の木の下で、老婆は眠りに落ちている。あなたたちの眠りが、せめてしあわせなものでありますように。目覚めたとき、かつてここにあったうつくしい何もかもが、滅んでしまっていたとしても。

2013-04-02

豚と星

私たちは、みな職業を持っている。みな生業をもっている。たとえ職がなくとも、何がしかの役割を果たすために生きている。そう考えなければ、そもそもこの世には絶望しかない。だが、ネットでは私たちは匿名である。ネットで私たちは何者でもない。だからこそ、<平等>が実現できたはずだった。だからこそ、<フェアネス>を求めることができたはずだった。しかしそれはなしえなかった。しかしそれは失敗した。匿名であること、いかなる公権力からも自由であること、あるいはしがらみから自由であること、ほんらいこのことに大きな価値があったはずだった。

どこで、誰がいつ間違えたのだろうか。まがいものの平等は、単にひとを傷つける機会の平等にすぎなかった。いくらでもひとを騙し、自分を騙し、気に入らない相手を中傷するだけの人生が偉大な2.0的ネットによって可能になっただけだった。現実において虐げられた弱者たちが群れて集まり、さらに弱いものを叩くだけの空間に、もはや語るべきなにものも存在しえないことは自明だった。ネットにはありとあらゆる「課題」が提起されるが、そのほとんどが隣人の食卓についてのものでしかなかった。自分が座ることを強いられる貧しき食卓について語るものは誰もいなかった。すべてが他人ごとだった。

日本語について考えざるを得なかった。日本語はなぜ利用者から<自由>を奪う言語なのか。日本語を用いる集団が群れをなし、弱者やよそ者を効率的かつ徹底的に排除する空間のなかで、誰しもが息苦しく、誰しもが疲労を強いられていた。教師が生徒を殴り、上司が部下を殴り、夫が妻や子供を殴っていた。日本語が用いられる場でいつもけして語られないタブーこそが、多くの暴力を誘発する源泉となっていた。共同体のバランスと調和を守るためによそ者を排除する、このことは別に珍しいことではなかった。この国独特の問題とはそれが「善意」によってなされることであり、それをあなたたちもよく知っているはずである。

ネットが弱者だらけになって久しかった。日本語でものを考え、日本語によって縛られた言語空間のなかで生きている以上、それがもたらす非人間性から完全に自由になることなどできはしない。ネットにしか居場所がないのは、現実がさらに過酷だからに違いなかった。弱者たちがいつまでもひとを罵って、自分たちのどうにもならない生活をなんとかしてくれ、助けてくれと言っている。かれらは自分が助けを求めていることに無自覚だ。むしろかれらが中傷は快楽であり「メシウマ」だと思っている。それはあまりにも痛々しかった。ひとは傷ついた時にだけひとを傷つけようとする、そんなことすら忘れてしまえば、私たちはコンビニ飯を喉に流しこまれる豚とかわらなくなってしまう。

雨が降っていた。ひとはふつう、帰る場所があると思っている。しかし家族が、共同体が、国家が、<人間>の帰るべき場所であったことがあるだろうか。それこそが間違いだったのだ。帰る場所も、行く場所もなかった。日本に人間が住むべき場所などない。そしてそのことが常に覆い隠され続ける。家畜を育てる牧場と、肉をつくる屠殺場にはことかかなかった。たたかう人間の足を引っ張り、星を求める人間を泥に引きずりおろす。上下関係ばかりに足をとられる日本語の特性によって奪われるのは考えるということそのものだった。21世紀になって久しく、身分制度がなくなっても、隣人の顔色ばかりをうかがう田舎者根性は治癒し難く、ちっぽけな世界でしか通用しない硬直した制度だけが鋼のような堅固さで私たちを閉じ込めていた。星はどこにあるのか。どこにも見えなかった。

2013-04-01

僕は性器が小さい

財布がゆるす限り、いつでも新しい女が必要だった。社会が認めるなら、何人でも家に飼っていたかった。しかし女にそのひそかな欲望を知られてはならなかった。しかし女の前では良い人のフリをしなければならなかった。カネが、学歴が、社会的地位が、すべてが女と寝るための道具でしかなかった。それを隠すために様々な綺麗事が毎日のように創出されていた。システム屋どもがつくるコミュニケーションの道具が、数日で出会い系ツールへと変容する理由がそれだった。男の脳は男性器にあり、それは極めて矮小で、どこかしら昆虫のそれを思わせた。

今日も煮干で出汁を取っていた。仁川に短期滞在していた頃、老婆が路上で煮干を売っていた。そこではじめて出汁を取ることを覚えた。料理をしている間は性欲を忘れることができた。いやむしろはじめて人間になれるような気がしていた。猫画像だらけのG+で料理の写真を披露すると、あまりにも優しいひとびとから「おいしそうですね」というコメントをもらうことができた。しかし実のところ性交だけが趣味だった。性交しか生きがいがなかった。年を取ってもアメリカ人女を抱いていると豪語しているどこかの老人作家を思い出してしまう。性器が幼児のように小さく柔らかくなってしまった後、男にはあんな生き方しかできないのだろうか?

私のような貧乏人の人間の屑にも、かつて面倒を見ていた若手が何人かいた。海外に留学してしまった早稲田のA君は、私の趣味について「最低ですね」と吐き捨てるように言っていた。実に正直な若者だったと思う。ほんとは書くことしか興味がないんでしょ、と言い残して私の元を去っていった上智のTは、いま某局で英語ナレーターとして活躍しているらしい。私のような疫病神から離れることでみなが幸せになれる、そう気がつくことは悪いことではなかった。妻も、子も、従妹たちも、私が関わったすべての人間が、じつのところ性交にしか興味がない男をいつも誤解してきていた。かれらの頭の中では、私はまるでいい人であり、優しい人であり、あるいは頭のいい人間だった。まったく馬鹿馬鹿しい誤解だった。

性交するために必要になるカネは大好きだった。きっとむかしは綺麗事ばかり口にしていたのだ。かれらが誤解したのも無理がないことだった。読者もまた作者をいつも美化するきらいがあった。そのような思い込みを作者本人が自ら壊していくことが必要とされていた。菩薩のような女性器を、毎日のように床に伏して拝んでいた。それだけがゆいいつの日課だった。そしていつでも汚くカネを集めていた。ひとからカネを借りて一円も返さなかった。ひとでなし、ろくでなし、ごくつぶしと言われ続けて、親類縁者の集まりに居場所がなくなり、虫けらのような人生を歩んでいた。ひとに嫌われることが必要だった。ひとに憎まれることが必要だった。もっと、もっと憎め、そう叫びたい気がした。

スーパーで買い物をした帰り、散りかけた桜が、夕暮れの風に揺れている。矮小な人間にも、自らが生きるこの世界のうつくしさを感じるこころは残されていた。陽が沈む方角に、枯れかけた巨木が一本たっている。ぼろぼろの家の庭に、その木は放置されていた。家には誰も住んでいないのかひとの気配がなかった。巨木の枝は、まるで細かい血管のように空に逆向きに喰い込み、その一本一本が、あちら側にある夕日の光で焼かれて見えた。あなたは、ほんとうはいいひとじゃない、と女は言っていた。あんたみたいな屑となんで結婚したんだろ、私がこうなったのは全部あんたのせいだ、と一番目の妻が言っていた。父さん、父さん、と子が言っていた。ドブをはいまわる一匹の虫けらとして、なお、生きねばならなかった。

2013-03-30

五十人の女たち(12)

息をするように浮気する男たちを、女たちは今日もなじっていた。いつも変わらぬ光景だった。会社の帰りに、出張時に、妻と子供が実家に帰っている間に、いつでも、どこでも、ありとあらゆる場所で男たちが浮気をしていた。性欲が満たされないのではなかった。妻と一日何度も性交した後も、Twitterで、Facebookで、G+で、男たちは新しい女を探していた。鏡を見ればだらしなく口元を緩めた男の顔がいつでもそこにあった。ネットで女を探すのは極めて容易だった。女がSNSに貼りつけたプロフィール写真を拡大し、顔やカラダの具合をチェックして、カタログ化して相手を物色するのだった。


新宿はラブホテルが近く性交にはいい街だった。女は小説を書いていた。作家志望のほとんどがそうであるように、それは圧倒的な村上春樹の影響下にあった。女と私は地下にある薄暗い喫茶店Rの席にいて、机に女の原稿を広げてこれがダメあれがいいと、お説教を繰り広げていた。そもそもお前は小説家じゃないという内面の声を無視しながら、女からの熱っぽい視線をこころよく感じていた。この世で一番気持ちがいいことは、自分が作家だと嘘をついて女を騙すことに違いなかった。ふと、女の小説のある行が気になった。主人公の女が、冷たい床に横たわったまま、ガラスのあちら側の空を見つめている描写だった。唐突に挿入されたその部分が妙に気になった。そう言うと、女は答えなかった。奇妙な空気が流れ、私はその描写は特別な実体験なのだろう、ということに思い至って、口を閉ざしてタバコを探した。しかしタバコは切れていた。

詩や小説を書きたい女はどこにでもいた。自分が作家だ、と吹聴すればいくらでも女がよってきた。才能の有無が問題なのではなかった。自分に才能がある、そう信じる愚かさや厚顔無恥さだけが必要とされていた。作家を名乗ることは女を抱くもっとも効率的な方法であることは、別にこの国の文学をほとんどいやまったく読まずとも理解しうることだった。SNSアカウントを作って「作家」と書くだけで事足りた。仏文学や国文学から適当な作家を一人か二人選び、その作家からの引用を続けるだけの簡単な仕事だった。女とはそうして出会った。女は天青というハンドルネームで活動していた。なんて読むんだ、と聴くと、恥ずかしがって答えなかった。女とは三度目に会った時にセックスをした。女は処女だと言ったが私は信じなかった。そもそもそんなことはどうでもよかったのである。奇妙なアジアの香が漂うラブホテルが、女との性行為の拠点となった。

女は、強姦されたのは高校生の頃だったと言った。輪姦された後、部屋に放置され、その冷たい床から見上げた空がとても青く透き通って美しかったそうだ。その空の色がどうしても忘れられないのよ、と女は言った。それを小説に書けばいいじゃないか、と私は吐き捨てるように言って、自分がなぜか苛立っていることを奇妙に感じた。それは女には書くべき何かがあるのに、自分には何もないと思ったからだった。カネも、社会的地位も、何一つなかった。書くべきことすらない。家族も私のもとを去っていった。自分が誇るべきものは何ひとつなく、作家だという矮小なプライドがあるだけで、実際のところは日雇い労働を繰り返して、みじめに頭を下げて誰かに寄生して生きていくしかない、親戚一同から唾を吐きつけられる存在でしかなかった。しかしかつては違った。かつては書くべきことが確かにあった。私は女に乱暴に服を投げつけて、帰れよと言った。女とはそれから会っていない。

2013-03-29

追憶311

311は、様々なものをこの国から奪っていった。だがしかし、毎年数千人が死亡する交通事故に加え、さらに数万人が自殺するこの国で、なぜ311だけが特別視されるのか。毎日のように、家で、病院で、ラブホテルで、路上で、ドブの中で、ありとあらゆる場所でひとが死んでいく、この死亡率100%の人生において、なぜその日付だけが特例として語られなければならないのか、そう問わなければならない気がしていた。自然災害によって死ぬことは、普段私たちの生活でどこかの誰かが死ぬことと、いったい何が違うのか? むろん何も違わないと言わねばならなかった。違ったのは、それが人災だったからである。それは夢の終わりだったからである。あの日死んだもの、それは日本という国の過去と未来にほかならなかった。

原発事故は、私たち国民から、生きるために必要なすべての誇りを奪っていった。日本人がもっとも得意としていたはずの、世界で最高レベルの技術力は、イレギュラーな問題が発生したとき、何一つまともに対処することができない、未熟で稚拙な運用が露呈することによって、完全に地にまみれた。そのクライマックスは、ヘリコプターで原発建物に水を撒く、あまりにも滑稽で、あまりにも情けない「メイド・イン・ジャパン」の技術力だった。私たちは過去、国内外で、様々な外国人から文字通り尊敬されてきた。アジアで、アラブで、欧州で、米国で、ありとあらゆる国で、日本の技術力がいかに優れているか評価をされてきたはずだった。そしてそれを少し面映ゆく思いつつも、こころのどこかで小さな灯りのような誇りをあたためていた。

それがまったくの間違いで幻想だったことが、なすすべもなく立て続けに爆発する原発を見た瞬間、ふっと理解できてしまった。上っ面だけの先進国、きちんと物事を考えてこずにごまかしてきた怠惰な精神、アジアの盟主などと思い上がってきた自分たちの姿こそが、戦後、必死に先進国になろうとしてきた日本の結末だということを、誰しもが理解した。誰しもがそれに気づかざるを得なかった。当時、無意識の集合体であるネットは、原発事故にセンシティブに応答した。しかしそこにいたほとんどのひとびとが気がつかなかったことは、私たちが目指してきた理念としての<日本>が終わったということ、そして長い間続いた自己欺瞞の中で、ちっぽけな自分の姿を直視しなかったこと、そんな理解を強いられてしまった認識の激しい痛みに自分たちが苛まれているということだった。現実はあまりに過酷で、そこから眼をそらす何かが必要になった。それが現在激しさを増す、弱者叩きとマイノリティ叩きの大きな原因である。

私は、私たちは、自分たちの国に、立派であってほしかった。愚劣な軍部主導の戦争を経て巨大な領土と、可能性と、人命と、文化を根こそぎ失った後、再び立ち上がったこの国の人間として、誇りをもって生きていたかった。この国に生きる誇りを、胸に秘めて生きていたかった。誰でもそう思う。しかしそれは裏切られた。それは他ならぬ自分たちに裏切られた。かつてそうであったように、私たちは自分自身がなしたことに裏切られ、踏みにじられた。原発事故の原因は一言で表現すれば問題が発生しないと信じる無謬性であり、思い上がりであり、そこから来る怠惰だった。またしても、私たちは思い上がってしまった。つまり過去の巨大な失敗から何一つ学ぶことができない民族であるという事実を全世界にさらけ出した。国外から寄せられていた期待と信頼を、またしても裏切った。

私たちが目指してきたもの、それは原発にヘリコプターで上から水をかける技術である。私たちが目指してきたもの、それは事故が起きないと無邪気に信じる思い上がりである。私たちが目指してきたもの、それは、それは……。津波で、多くのひとが亡くなった。人災で、多くのひとが、人生を、思い出を、家族を、夢を、何もかも奪われた。かれらの代わりに誰が怒るのか。誰が責められるべきなのか。それは私たちが信じてきた<日本>という理念のもたらす誤謬そのものである。もしこの世に日本的な美徳というものがまだ残されているのであれば、それはこの日本的なる愚かさと徹底的にたたかうことである。しかしそれは欧米人の仕事ではない。しかしそれはアジア人の仕事ではない。しかしそれは韓国人や中国人の仕事ではない。それは誰の仕事か。それは誰がなしうるか。みじめに生き残った、夢も、理念も、カネも、誇りも、何もかも失って、隣人が弱者叩きや民族差別に励む中、それでもなお、人間らしくありたい、そう思う、ひとりの個人たる私たちの仕事である。

あらゆる腐った権力と、権威主義者どもと、自らの誤りをけして認めない為政者どもと、悲劇をうつくしい物語で化粧しようとする薄汚い語り手どもが、私たちの行く手をはばみつづける。自由などどこにもない。どこにも希望などない。ただひたすら続くシジフォスの坂道である。あなたはどこにいて、何を考えているか、何とたたかっているか、何のために生きるか。私は、ここにいる。

2013-03-26

猫を飼う

本をつくっている。貧乏人の落伍者の身にありあまる贅沢、性交しか趣味のない人間の道楽などと言われていた。ベランダでタバコを吸っていると、星が見えた。文字通り意味の見いだせない人生にも星はつねに光っていた。そして星座はつねに道を示している。物書きの知り合いは、たいていうつ病などの疾患に苦しんでいるらしい。自分はそういう病気とは無縁だった。したり顔で処方箋など出されたら医者の顔をぶん殴りかねないと思っていた。どこかで、鳩が夜なのに鳴いている。ベランダに鳩の糞が落ちて乾いている。ひとは一匹の糞虫にすぎないのに、こころというものはいつもやっかいだった。

ペットを飼うのは好きではなかったが、最初の妻はどうしても猫が飼いたいと言ってゆずらなかった。近所で猫の子どもが生まれたという話があって、妻はその家から猫をもらってきた。ある日、私が会社から帰ると、妻が子猫をあやしていた。小さな、毛だらけの獣を抱いている妻を見て、自分がどう思ったのかよく思い出せなかった。その次の日、猫が家から逃げ出した。息子が開けっ放しにしておいた扉の隙間から、外に出てしまったのだ。もちろんすぐに見つかったが、困った妻が里親に連絡していたのがまずかった。里親は、「あなたに猫を預けるのは不安だ」と言って、猫を回収していったそうだ。私が家に帰ってくると、妻はひとり居間で泣いていた。

どうせ死ぬ虫けらが、他の虫けらを可愛がる。なんという矛盾だろうかと思っていた。フィリピン人と国際電話で話しながら、妻のことを考えていた。自分が何を言うべきだったのか、よく理解できていなかった。私は適当に電話で相槌をうちながら、ペンで無意味な絵をメモに描いた。猫は可愛かったが、自分の気持ちの面倒もみられない人間が、ペットを飼うことなど許されるはずもないと思った。そもそも愛するということがいったいどういうことなのか、まったく理解できなかった。泣いている女の傍で、何もできない自分の姿が滑稽だった。フィリピン人へ伝えることは終わっていた。しかし電話を切った瞬間に涙が出てくるような気がした。猫が飼いたかったのよ、と妻は言った。

二番目の妻は眠っている。妻の友人は、私を評して「自分の家族を平気で捨てられる男」と私を批判したらしい。他人というものは、何も知らないからこそ、端的な事実をつかむことができる。よく知っていると思い上がっている人間だけが、自分に騙されるのだ。あたりは静かだった。この街には何もない。死にゆく老人、子供のいない夫婦しか住んでいない住宅地だった。夜になると、誰一人として外を歩くものはいない。窓に、自分の顔がうっすらと映っていた。新しい妻は、子供がほしいと言っていた。どこかで、猫が鳴いている。愛することが不可能であれば、そもそも結婚などしなければよい。猫が逃げ出したのは、誰のせいだったのか。答は明らかだった。他人の顔は、とてつもなく醜かった。

2013-03-25

シジフォスの街

駅前で労働者のように背を丸めてタバコを吸っている。ロータリーにはいじけた花々が咲き乱れ、泥で汚れた花びらが風に揺れている。どこかで街宣車がスピーカーをがならせている。国を愛するこころがあ、国を守るこころがあ、なによりも大切なのであるう。どこかで咲いているはずの桜の木々は見当たらなかった。空は鈍色に曇り、その反対側にある太陽を隠している。街は荒んでいた。日本のどの地方都市もそうであるように、老いて死にかけていた。子供たちの姿はどこにもなかった。老人と老婆だけが、何かの罰のようにのろのろと坂道をのぼっていた。

久しぶりに訪れた新宿の変わり様に驚いていた。山手線から見える通りは薄汚れた灰色に染まり、女の裸が貼りつけられたピンク色の看板が立ち並び、その下をドブネズミ色のスーツを来た男たちが歩いていた。男たちは皆一様にうつむき、その上に埃っぽい陽の光が降り注いでいた。建物は小さく醜くせせこましく、無計画な都市設計の末路か、道はぐねぐねと曲がりくねり、空を電線がいびつに引き裂いていた。ここに、私は住んでいたのだ、と思った。こんな街を故郷と思っていたのだ、と思った。失望しかなかった。そしてその失望には自分に対するものも含まれていた。ドブネズミが走りまわる街の悪臭が、身体にどこまでもまとわりつくような気がした。

机に座って、ネットを眺めている。原発事故の恐るべき痛みから回復しつつあるひとびとが、ネットの中でしか通用しない内輪のくだらない話題にまた夢中になっていた。そのようなくだらない話題に熱中し、我を忘れて意見を交わしたら楽しいだろうかと思う自分もどこかにいる反面、そうしたことにまったく興味を失い、苛立ちも怒りも何もない静かな無関心がこころの大部分を占めていることにも気づいていた。ネットの負の側面を批判することに、何の意味があるだろうと思わざるを得なかった。弱者を叩いているひとびとはさらなる弱者に過ぎなかった。かれらの叫びは、コップの中の大騒ぎにとどまり、そこから一歩も外に出られないだけではなく、システムや制度によって一瞬で微塵に粉砕されるだろう。

ネットにほんとうのことばあった時代は確かにあった。いまネットは現実の延長線上にある何かでしかない。美辞麗句と、偽善と、おためごかしと、猫画像しかないネットに、私たち居場所のないひとびとが、いったいどうやってふるさとを見出したらよいのだろう? 無関心な知人だらけの学校があり、慇懃無礼な同僚だらけの職場があった。誰もかれもが作り笑いをし、みんなで仲良く我慢して生きることが美徳とされる強迫的な社会で、ほんとうのことばの居場所などどこにもなかった。どんな掲示板も、どんなSNSも、もうふるさとなどではありえなかった。新しい<ふるさと>を作りたいと願う前に、私たちはネットを正しく埋葬すべきではないだろうか。そうしなければいつまでも死者が生者のような顔をして、その腐った身体から害毒を撒き散らし続けるだろう。

一日二回の性行為が一回になり、体力の衰えを感じていた。社会は、いつでもひとを道具にしたがっている。軍人の士気向上のために女を慰安婦としてあてがうかつての発想は、女をモノとして扱う社会としてかたちを変えて生き延びている。もちろん女がモノであれば男は消耗品に過ぎない。そんな社会で私たちは文字通りの歯車として生きることを強いられ、ひとの顔色をうかがわなければ一言もしゃべることができない息苦しい空間が、現実とネットを覆い尽くしている。ほとんどの場合、まっとうなことを考え、口にすることには覚悟が伴い、たいていの場合それは職や身分を失う危険と隣り合わせである。だからあらゆる人間が口を閉ざしている。だからすべての人間がきれいごとを言っている。だからいつでも日本人は礼儀正しく謙虚でうつくしい。

ネットでまともなことを書こうとしていたひとびとはみんな死んだ。それは書くということがある程度社会の敵ならざるを得ない行為だからだが、その覚悟を持ち得なかったことを責めるべきだろうか。かれらはいま何をしているか。あるものは砂糖で薄めた文章を書き、あるものはお茶をにごして日和り、あるものはひとを叩くだけの芸人になり、あるものはメイド喫茶を運営するようになった。かれらはみなこの茫漠とした現実の前に敗北し、<書くべきだったこと>を失った。生きながら死んだのだ。くたばったのだ。そうして多様性を失ったネットの末路が、いま2013年私たちが目撃しているこの画一的な空間に他ならなかった。

扉の外で、誰かが泣き叫んでいる。――この、ひとでなしがあ、なんでお前だけがのうのうと生きてるんだよ、なにしあわせに女と結婚して暮らしてんだよ、そのカネはどこから盗んだんだよ、この泥棒があ、かえせよ、カネをかえせよ、盗んだカネをかえせよ、このろくでなしの、人間の屑があ!