2013-03-29

追憶311

311は、様々なものをこの国から奪っていった。だがしかし、毎年数千人が死亡する交通事故に加え、さらに数万人が自殺するこの国で、なぜ311だけが特別視されるのか。毎日のように、家で、病院で、ラブホテルで、路上で、ドブの中で、ありとあらゆる場所でひとが死んでいく、この死亡率100%の人生において、なぜその日付だけが特例として語られなければならないのか、そう問わなければならない気がしていた。自然災害によって死ぬことは、普段私たちの生活でどこかの誰かが死ぬことと、いったい何が違うのか? むろん何も違わないと言わねばならなかった。違ったのは、それが人災だったからである。それは夢の終わりだったからである。あの日死んだもの、それは日本という国の過去と未来にほかならなかった。

原発事故は、私たち国民から、生きるために必要なすべての誇りを奪っていった。日本人がもっとも得意としていたはずの、世界で最高レベルの技術力は、イレギュラーな問題が発生したとき、何一つまともに対処することができない、未熟で稚拙な運用が露呈することによって、完全に地にまみれた。そのクライマックスは、ヘリコプターで原発建物に水を撒く、あまりにも滑稽で、あまりにも情けない「メイド・イン・ジャパン」の技術力だった。私たちは過去、国内外で、様々な外国人から文字通り尊敬されてきた。アジアで、アラブで、欧州で、米国で、ありとあらゆる国で、日本の技術力がいかに優れているか評価をされてきたはずだった。そしてそれを少し面映ゆく思いつつも、こころのどこかで小さな灯りのような誇りをあたためていた。

それがまったくの間違いで幻想だったことが、なすすべもなく立て続けに爆発する原発を見た瞬間、ふっと理解できてしまった。上っ面だけの先進国、きちんと物事を考えてこずにごまかしてきた怠惰な精神、アジアの盟主などと思い上がってきた自分たちの姿こそが、戦後、必死に先進国になろうとしてきた日本の結末だということを、誰しもが理解した。誰しもがそれに気づかざるを得なかった。当時、無意識の集合体であるネットは、原発事故にセンシティブに応答した。しかしそこにいたほとんどのひとびとが気がつかなかったことは、私たちが目指してきた理念としての<日本>が終わったということ、そして長い間続いた自己欺瞞の中で、ちっぽけな自分の姿を直視しなかったこと、そんな理解を強いられてしまった認識の激しい痛みに自分たちが苛まれているということだった。現実はあまりに過酷で、そこから眼をそらす何かが必要になった。それが現在激しさを増す、弱者叩きとマイノリティ叩きの大きな原因である。

私は、私たちは、自分たちの国に、立派であってほしかった。愚劣な軍部主導の戦争を経て巨大な領土と、可能性と、人命と、文化を根こそぎ失った後、再び立ち上がったこの国の人間として、誇りをもって生きていたかった。この国に生きる誇りを、胸に秘めて生きていたかった。誰でもそう思う。しかしそれは裏切られた。それは他ならぬ自分たちに裏切られた。かつてそうであったように、私たちは自分自身がなしたことに裏切られ、踏みにじられた。原発事故の原因は一言で表現すれば問題が発生しないと信じる無謬性であり、思い上がりであり、そこから来る怠惰だった。またしても、私たちは思い上がってしまった。つまり過去の巨大な失敗から何一つ学ぶことができない民族であるという事実を全世界にさらけ出した。国外から寄せられていた期待と信頼を、またしても裏切った。

私たちが目指してきたもの、それは原発にヘリコプターで上から水をかける技術である。私たちが目指してきたもの、それは事故が起きないと無邪気に信じる思い上がりである。私たちが目指してきたもの、それは、それは……。津波で、多くのひとが亡くなった。人災で、多くのひとが、人生を、思い出を、家族を、夢を、何もかも奪われた。かれらの代わりに誰が怒るのか。誰が責められるべきなのか。それは私たちが信じてきた<日本>という理念のもたらす誤謬そのものである。もしこの世に日本的な美徳というものがまだ残されているのであれば、それはこの日本的なる愚かさと徹底的にたたかうことである。しかしそれは欧米人の仕事ではない。しかしそれはアジア人の仕事ではない。しかしそれは韓国人や中国人の仕事ではない。それは誰の仕事か。それは誰がなしうるか。みじめに生き残った、夢も、理念も、カネも、誇りも、何もかも失って、隣人が弱者叩きや民族差別に励む中、それでもなお、人間らしくありたい、そう思う、ひとりの個人たる私たちの仕事である。

あらゆる腐った権力と、権威主義者どもと、自らの誤りをけして認めない為政者どもと、悲劇をうつくしい物語で化粧しようとする薄汚い語り手どもが、私たちの行く手をはばみつづける。自由などどこにもない。どこにも希望などない。ただひたすら続くシジフォスの坂道である。あなたはどこにいて、何を考えているか、何とたたかっているか、何のために生きるか。私は、ここにいる。