2013-04-11

近況

読者からもらったメールを眺めていた。それぞれの生活にそれぞれの困難があり、それはおしなべて平凡で凡庸で、つまり自分の退屈でつまらない人生と同じ時間を、いまこの日本に住むひとびとが過ごしていることを意味していた。空から星が落ちるようなあこがれを抱く瞬間があったとしても、それは例えばテレビでしたり顔をして薄ら笑いを浮かべる政治家たちの顔を見ればその気持ちが乾きそして消え失せていくのだった。

社会参加を声高に叫ぶ活動家たちの女のことしか考えられない顔の紅潮して膨らんだ鼻の穴を見るたびにこの社会に嫌気がさしていく、そう思っているひとびとがたくさんいることを感じてはいたが、それは個別に分断され孤独を強いられる若者や職を失った中年や孫に捨てられた老人たちの共感であり、世代や社会的地位をまたいだ連携は少なくともネットを経由しては不可能なように思われた。

春が来ており、そして嵐が来ていた。表現のために生活費を捻出するだけの生活が続いていた。作家は優れていればいるほどこの社会では孤立するのではないか、そう自嘲してみたくもなるが、日本において組織を離れ、個人として生きるということの難しさは誰もが共有しているはずだった。そういう生き方を自己本位と言った漱石は東大のポストを蹴って芸人とみなされる小説家になったが、社会が提示する堅固な枠組みから外に出るベクトルを持ち続けない限り、その内部に留まる限りにおいてけして理解できない困難や課題を見、それについて考えることができなくなることは自明だった。

性交をしたあと一キロ減った体重計を眺めている。人間の身体は水分と塵芥で出来ているはずなのにまるでそれよりも上等な存在であると考えている。口から食物を取って排泄するだけの糞袋に知性や感情があるということが不思議だった。猫にすら感情があり知性があるのに人間にはそれがないように見えることもまた不思議だった。いつでも性欲と暴力に縛られていて、それを制御できると思っている連中が多いことが強姦と家庭内暴力がいまだに撲滅されるはずもない理由に違いなかった。

机に原稿の山が出来ている。机を買わなければならなかった。うすっぺらく便利な道具をIT屋どもが今日も制作していて、そのほとんどが無価値なガラクタにすぎないことを誰もが薄々気がついていた。ほんとうに必要なものは少なく、それはペンと本、そしてそれを置くための机でしかない。性交に必要なのは女と男とベッドであると言い換えてもよかった。商業的な意図だけに基づき制作される横文字だらけのネットの道具に私たちがいかに毀損され、損ねられ、傷つけられているか、それについて語るべきひとびとはたいてい貝のように口を閉ざしていた。公の場で語ることが無駄で無価値で無意味に傷つけられるだけだと思っているからだ。

窓の外を強い風が吹いている。ペンと本が必要だった。それだけが日本人にゆるされた最後の武器である。