2013-04-06

幕間

雨が降っているような気がした。葬式は、いつもそんなふうに感じられた。洋子は自殺だったと、知人たちは噂していた。喪主は頑健そうな男で、強張った顔をしてパイプ椅子に座っていた。男は一度も会ったことがない洋子の夫だったのかもしれないし、あるいは父親だったのかもしれなかった。洋子は、自分の両親の話を一切しなかった。私も、自分の家族の話はしなかった。過去には興味ないのよ、と洋子は言っていた。だから写真もきらいなの。シャッター音がするたびに、自分が削られているような気がして、少しずつ死んでいくみたいな、そんな気がするのよ。

親のすすめる相手と洋子が結婚したのは十年ほど前のことだったらしい。洋子とは過去短い間、十代の頃につきあっていた。もっとも、当時はキスもろくにできないような年代で、手を握るぐらいのことしかできなかった。大人になって再会してたまに会うようになってから、洋子がその後結婚し、数年間夫と海外で過ごした話を聞いた。私が洋子と再会したのはまったくの偶然だった。世界は広くて狭いなあ、と洋子は言っていた。同じ日同じ場所で、高校時代の恋人と東京で再会する確立はどれぐらい低いのか。でも、また会いそうな気がしてたよ。なんで、と聞くと、なんとなく、と洋子は笑った。

新宿にはいきつけの喫茶店がいくつかあった。洋子と使っていたのは、やたら高くてサービスが悪く、珈琲がまずく、調度品は金ピカで、およそ考えうる限り最低の店だったが、ふたりはそこがわりと気に入っていた。私はとある日本の詩人の逸話を、おもしろおかしく脚色して話して聞かせていた。和式便所にまたがりながら星を見て思わず涙を流したというくだりで洋子はひとしきり笑った後、ふと真顔になった。鎖があるとね、出られないのよ、とつぶやいた。だからね、そのフランスに行きたかった詩人さんは、きっと、逃げられなかったのよ、どこにも行けなかったのよ。洋子はタバコをもみ消すと、私を見た。なんで怒るんだよ、と私は言った。

洋子との性行為は、あまり楽しいものではなかった。性器が生まれつきなのか小さく、性交痛もひどかった。色々なことを試したが、どうしても解決できなかった。私の失望を洋子は知っていたし、私もまた、洋子がそれに気がついていることを知っていた。だから何度か乾いた性行為をした後は、ふたりで古本屋めぐりや、美術館をハシゴしたり、某詩人の悪口をひとしきり言ったりする時間を過ごすようになっていった。まるで恋人みたいだね、と洋子が言った。私たちは上野公園のベンチに座って、桜を眺めていた。私たち、これからどうしようか。そう、洋子が言った気がした。返事をしようとして、別の女からのメールが着信する。他に女がいることは、洋子には隠していなかった。私が携帯で返事を書いている間、洋子は靴で砂に円をいくつも描いていた。

どんなものにも理由があるはずだった。洋子が隠していた何かは、ほんとうは私に聞いてほしいことなのだということを、私はよく知っていた。きっと洋子は、答えてくれただろうと思う。しかし私は聞かなかった。洋子と親しくしていた当時、私は前妻との離婚調停の真っ最中で、ひとの人生に踏み込む勇気がなかったのだ。しかし、それが言い訳だということはなによりも自分が知っていた。その日、洋子が入った棺は、とても小さく見えた。花々に囲まれた写真の中の洋子は、いつか見たことがある作り笑いをして私をじっと見下ろしていた。写真、あるじゃないか。私はそうつぶやいた。そしてなぜか、胸が焼けるような、激しく暗い怒りを覚えた。あなたは、やっぱり、うそつきね。