2013-11-01

キーボードを洗う

珍しく読者からお手紙をいただいて、返事を考えている。だいたい私はいつも家にいるので、近所の人間から無職の呑んだくれなどと思われているに決まっているのだが、窓を開ければ涼しい風が入り込んできて、それを差し引いても快適な日本の秋である。そもそも去年のこの時期は日本にいなかったので二年ぶりの秋といえる。

荷物の整理をしていたら、箱の中から古いキーボードが出てきた。「マージナル・ソルジャー」に掲載したブログを書いていたとき、毎日のように使っていたものだ。驚いたのは、控えめにいって、それがひどく汚れていたことだ。あまりにもひどいので、キーボードを分解し、一つ一つのキーをすべて消毒することにした。

キーをひとつひとつ外し、洗剤を薄めた液体に数時間漬ける。その間、キーを外した本体を掃除する。本体には埃とゴミが積もって固まっており、実におぞましい眺めだった。息を止めて、薬剤を含んだ布で繰り返し何度も拭きとる。その下から、ヤニで黄色く変色したプラスチックが姿を表す。これをさらに漂白剤を使って殺菌脱色する。

結局、キーボードの掃除には一日を要した。不思議なのは、これほど汚れた機器を使っていた自分が、人生のある期間において、そのことにまったく無自覚だったことだ。正直に言って、箱から取り出し、かつて愛用していたキーボードを見たとき、私はほとんど吐き気をもよおした。しかし当時、私はそれになんの違和感も感じず、不潔とも思っていなかったのである。

目があるのに見えない。目の前で起こっていることを、ひとの目が捉えられない。それは見るという行為に、そもそもある限界があるからだ。ひとの目は見たいものしか見えないようできていて、考えるということは、まずその難しさを知ることなのだと思えてならない。汚れているのはキーボードだけなのか、そう問わなければならないのだ。この世はめくらの王国である。