2013-12-04

親たちの顔

日本を代表するゴシップ誌である週刊文春が、中国の歴史はプロパガンダ、韓国の歴史はファンタジーだと批判しているのを見かけた。それならば日本はどうなのかと考えると、すぐにヒポクリシー(偽善)ということばが頭をよぎる。みんながんばろう、絆で生きていこう、という鼻につく偽善が横行する社会が強いる圧力。これに耐えられないひとびとが、「本音」を言える場として、名前と顔のない悪意の吹き溜まりたるネットを生成している。しかしこれは第三国がいちいち口を挟むことではない。自らが生きる社会の諸問題は、その内側から対峙すべきものだ。

かつて海外の学校にいた頃、非常に仲良くしていた韓国人のK君という生徒がいた。国際校では、英語を第二外国語として扱う生徒たちが集められるクラスをESL(English as a Secondary Language)という。日本の学校で言うと、成績が低い生徒のための補習クラスみたいなものだ。要するにはやく「ふつう」の授業に出たいので、英語を必死に勉強することになる。私もK君もこの中の生徒だった。まだ覚えたての単語を使っていろいろな話を試みているうちに仲良くなり、いつも成績を争う関係になった。かれは非常に発音がうまく、それに悔しい思いをしたが、筆記や作文は私のほうが上だった。

韓国語は、日本語とあまりにも似ていることが当時不思議だった。洗濯機、計算機は、それぞれ音も似ており、ハングル意味はまったく同じだとかれは言った。私はなんでこんなに似ているんだろうね、と言った。その無邪気で無神経な見解を平気な顔で述べていた自分は当時15歳で、そもそも日本が戦前にどのような国だったのかまったく知らなかった。やはり海外在住の子どもであっても義務教育ぐらいは受けさせたほうがよい。かれの母親が作った弁当からいろいろくすねた韓国料理の数々が私の舌にはまだ残っている。そのうちで一番気に入ったのは海苔巻きであって日本のものと一見似ているがまったく違う。たいへん美味なので旅行に行かれる方は大衆食堂でぜひ試してみてほしい。

1991年の秋、かれがアメリカに行くことが決まった。国際校では親の都合で、学期単位でたいてい誰かが帰国したり、別の国へと旅立つことが多いのだ。私たちはクラスで集まり、近くにある島までお別れ会として遊びに行った。写真もいろいろ撮ったのだがいまそれがどこにあるのかわからない。K君は近々アメリカに行くので、私は空港まで見送りに行くことを約束した。しかし出発の前日、かれから私の自宅に電話があった。「見送りにはこなくていい」とかれは言った。大丈夫だから、とかれは繰り返した。いまでも覚えているのは、その苦しい声だった。何か事情があるのだろうと思った。だからそれ以上の質問はできなかった。

予定が変わることはよくあることだが、K君の苦しい声がひっかかっていた。誰かが止めたのだろう、と後になって思った。国籍の件について思い至ったのは、だいぶ後になってからの話だ。いま私の手元には、慰安婦に関する謝罪を行ったアジア女性基金の資料があり、金学順が戦後初めて慰安婦としての身分を明かして被害を訴えたのは1991年8月とある。それはK君出発の少し前のことだった。思い返してみれば、K君が帰国した頃から、韓国人グループと仲良くすることが難しくなった。よりはっきり言うと、様々な嫌がらせを受けるようになった。当時はその理由がまったくわからなかった。いまそのことをある痛みとともに思い出す。私たち日本人の過去に関する無知と無関心と残酷さに深く傷ついたかれらの姿は、親の犯罪は子供の責任なのか、という問いを想起させる。K君は私を一度も責めなかったし、かれは私をフェアで対等なライバルとして扱ってくれたことを思い出す。言いたいことがいろいろあっただろう。しかしそれをすべて飲み込んで黙っていたのだ。

私たちは、「親」の素顔を知らねばならない。そしてそれはこの国の偽善的な政策とはなんの関係もない。