2014-01-01

自慰の帝国

今日も自慰ばかりしている。ディスプレイの前で自慰をしている。スマートフォンを片手に自慰をしている。天皇陛下万歳といいながら自慰をしている。日本の技術は世界一で自慰をしている。Twitterで自慰をしている。まとめサイトで自慰をしている。靖国参拝で自慰をしたついでに安倍晋三で自慰をしている。この国の何もかもが自慰をめぐっている。そこにはひとりぼっちの自分しかいない。

夜のベランダから見える地平線は明るい。その方角には様々な外国人から便利で近いねと揶揄される国際空港があり、その上に星がいくつか光っている。この地方では星がどこからでもよく見える。週末になると、宿題から解放された若者が群れてバイクを走らせている。かれらはみな行儀よく信号を守る。そしてヘルメットをきちんとかぶってバイクを乗り回す。愉快で心温まる地方の一シーンである。

ベランダに立つ私からは、反対側の棟の窓がすべて見える。さあ電気を消そう。かれらの営みがよく見える。目を閉じればなおさらよく見える。窓縁に置かれたそれぞれのPC(もちろんWindows PCだ)でかれらが何をしているか。性器に毛が生えたばかりの少年が、仕事もなく頭も薄くなりかけた中年が、子供に見捨てられた老人が、そこで何を見ているか。何をしようとしているか。いまどのような生活をおくっているか。

自慰をしている。自慰を続けなければならない。ひとりぼっちで。誰からも隔離されたこの場所で。ネットのあちら側の「仲間」たちと群れてなおひとりぼっちで。親が、親戚が、知人が、SNSのフレンドが、社会が、いったいかれらに何をしてくれるか。私たちに何をしてくれるか。何もしてくれないので自慰をするしかない。誰もいない場所で精液を放出すること、それだけが趣味である。

女がこわい。ひとがこわい。嫌われるのがこわい。気持ちが悪いと言われたくない。不気味だと馬鹿にされたくない。容姿がまずい。年収も低い。自分のことをゴミだとしか思えない。自分はゴミであるから誰とも関わらずに生きたい。ひとりで生きたい。もしほんとうにひとりで生きることさえできたらどんなにいいだろうか。

自慰をするとき、ディスプレイの表面にはうっすらと自分の姿が映っている。しかしその姿は液晶のけばけばしい光によって常に覆い隠される。そこにいるのは透明になることを強いられた自分である。座っているのはもはや人間ではなく粘液を放出するだけの袋である。窓のないその部屋のゆいいつの出口は、Windowsという奇怪な名前のOSが搭載された箱である。この箱の中に私たちは閉じ込められている。

この2014年もまた、自慰の時代であることは何ら疑いようがない。性器をこするための道具だけは揃っている。箱の中はきわめて快適だ。子宮のようなその箱に閉じこもっていれば、ひたすら暗がりで性器をいじって楽しむ子供時代が戻ってきたような気さえする。外で両親が怒鳴り合っていても、別れた妻から慰謝料の弁護士名義の督促状がこようとも、偽善とおためごかしばかりの社会によって深く傷つけられ、そしてすべての居場所を強奪されていようとも、この箱の中だけは快適であり、そこにはすべてがあるような気がした。

検索すれば0.1秒で女が股を開いている。いやすでに検索は不要だった。頭だけはいいどこかの皆様がつくって提供してくださる便利で偉大なインターネットのおかげで、ブラウザを立ち上げるだけでそこにはアニメ絵または実写の女が股を開き、自慰をし、性交をしている静止画と動画がずらずらと自動的に表示されるのだ。私たちの飢えは、欠乏は、孤独は、こうした利便性の高い給餌機であるネットによって補われる。部屋に閉じこもっていても、「窓」がすべてを与えてくれる。

まったくまるでSFのつくり話のような現実である。2014年、どんな作家も想像しなかったこのシステムはさらに洗練されるだろう。それはひとに自慰の快楽を与え続けそこから出られなくするだけでなく、それが自分たちを閉じ込め隔離する虫かごなのだという事実を徹底的に覆い隠し続ける巨大な機構である。かくして日本人は、動く物にだけ反応する昆虫のような生き物になっていく。肥大化した目と右手と性器。この自画像をグロテスクと思うことのできない連中がクールジャパンなどという白昼夢を見ているのである。

ネットの広告はいまどのようなものか。足をひらいて性器を見せた女が「イクッ」と叫ぶやたら目の大きいアニメ絵(すぐれた自画像だ)に、「指で女の子をイカせてみたいひとはこちら」とキャプションをつけてスマートフォン用の課金サイトへと誘導する。スマートフォンのつるつるした板を必死にこすって、しごいて、こすって、昆虫的な快楽を得る。これは遠いどこかの話ではなく、すべての日本人に対してあらゆる場所にワンクリック圏内で設置されているのが現状である。この広告を英語に翻訳してみたらよい。きわめて愉快な日本論になるだろう。

最近は女子供向けなのか、男同士の絡み合い画像すら増えてきた。スーツを脱いだ男二人が性器をまさぐりあう漫画が公的な場所に平然と設置され、誰でもいつでも閲覧できる。女たちもまた自慰をしている。もはや自慰は男だけの楽しみではない。これらすべてが倫理的に間違っているとかポルノを公の場から排除せよとか頬を赤くして言うのは人間がどんなに低劣な生き物か知らない頭でっかちのスーツを着たご清潔な連中であることは自明だが、なによりも戦慄しなければならないのは男と女がそれぞれ孤立した場所で自慰をひたすら続ける風潮がさらに加速していることである。

自慰の帝国。クールジャパンにおいては、自慰だけが喜びである。ひとりぼっちで自慰をすることばかりが励行される。さらに恐ろしいことに、これは一つまたは複数の「有害」サイトの問題とはとても言いがたい。あらゆる商業主義のすべてのレイヤーにおいて自慰行為が推奨される。日本における構造的な問題とは何か。それはシステムが「成り成りて」自然に造り上げられてしまうということである。この現状を前にすれば、個人を孤立化させたい第三者の意思がどこかに介在しているのではないか、そう思いたくもなる。だがしかしそれは違う。傷や痛みと向きあうことができなくなった個人が、この現状を自ら望んで作りだしている。そのことに慄然とする。

窓のない閉じた世界でひたすら自慰をすること。そしてひとつだけある窓にはいつも美しいまがいものの風景が映しだされていること。このことを忘れてしまえば私たちは虫かごの中の昆虫になってしまう。単なる精液の袋になってしまう。システムによって複製され再生産され拡散される擬似性行為によって緩やかなインポテンツ化が進んでいる。自分自身の手による去勢が進んでいる。生身の女の視線の前では勃起しない男性器が大量生産されている。

うつくしい女はこわい。きれいな女はおそろしい。口が達者な女は憎たらしい。学歴が自分より上の女はゆるせない。自分より下だと思っていた朝鮮人が日本人より偉そうな顔をして儲けているのが許せない。劣等国だと思っていた中国がいつの間にか軍事大国になり世界第二位の座を奪われたのが許せない。何もかもが自分の敵なような気がする。何もかもが自分を苦しめているような気さえする。目を閉じればいい。目を閉じて自慰をすればいい。自分の目を潰してまがいものを本物と思って今日も自慰をすればいい。

それでいいのか。それで生きているといえるのか。自慰をやめよ。いますぐやめよ。同人誌で抜くな。pixivのR-18タグで抜くな。xvideosのamatuerタグで抜くな。ニコニコ動画で抜くな。御真影で抜くな。ブログでインテリのふりをして抜くな。Wikipediaから適当に引用した知識をひけらかして抜くな。自分が幸せだと自分を騙して抜くな。日本が先進国などと思って自分の苦しい日常をごまかすな。日本が大国などという白昼夢にひたって居場所のない自分のどうしようもなくみじめな生活を慰めるな!

自慰を続けなければならない。ひとりぼっちで。自慰だけが人生だった。自慰だけがすべてだった。自慰の時だけ理想の女と出会えた。ああ、違った、違うのだ、何もかもが夢なのだ。ベランダの向こう側で、新婚夫婦がソファで性交している。愛してるよ、ああ、きれいだよと言っていた。うらやましかった。口から血を吐くほど憎たらしかった。愛がほしかった。自分を愛してほしかった。理解してほしかった。しっとりと湿った潮騒の味がするという女性器を舐めてみたかった。何もない。この国には何もない。何もないのだろうか。もう手遅れなのだろうか。もう戦争という巨大な自慰しかないのだろうか。違う、断じて違う、違うのだ、違うのだ……。