2014-01-02

主夫的生活

まるで日本人のような顔をして正月用の雑煮を作っていた。自分でもよく忘れるが私は日本生まれで江戸幕府ができる前から関東に住んでいる一族の人間だ。もちろんすべての親族に蛇蝎のごとく忌み嫌われている(「この人間の屑が!」)ので、正月に出すような顔はないのだが、季節物を料理するのは結構好きだ。クリスマスにはケーキも焼く。

今年は韓国の港町で買った煮干と昆布が大量に余っているのでそれを使うことにした。煮干の頭とワタを取るかどうかで以前京都の元編集者――「マージナル・ソルジャー」を手伝ってくれたM氏――と論争になったことがあった。氏いわく「ワタや頭を取るなんて上品だし軟弱な感じ」だそうである。大きなお世話だ。

しかしいろいろ試したところ、頭は入れたほうが独特の風味が出て美味いように感じる。ただワタはどうしても雑味が出てしまって、結局頭だけは使ってワタは取るという方法になった。かくして京都と関東人の間の不毛な論争には妥協点が見出されたのだ。人生たまには妥協も必要である。

アジアではごく普通のことだが、食材というものはそのまま食べられる形では売っていない。まとめ買いした煮干には全然違う魚が混じっていたりするし、海藻の切れ端などが混入している。料理の前にベランダに新聞紙をしき、煮干をばらして選り分ける作業からはじめなければならない。日向でこれをぷちぷちやるのは結構楽しいものである。

そういえば先日買った料理用温度計もようやく使い始めた。私の亡くなった祖母がむかしよく日本茶を淹れてくれて、それが好きだったのだが、先日同じお茶を地元の同じ店で買ってきた。地方でほとんどの店が潰れていたがその店はまだあったのだ。しかし家に帰ってきて淹れてみたのだが、なぜか同じ味にならない。何回淹れてもダメである。それがお湯の温度だということに気がついたのは五回ぐらい失敗してからのことだ。

沸騰したお湯を使えばいい珈琲や紅茶とは違って、祖母のお茶の場合はだいたい85度が適正温度だった。そしてこれは祖母が愛用していた電気ポッドのお湯の温度だったのだろうと思う。改めてこの温度でやってみると、お湯を注いだ瞬間その表面にクリームのような泡ができた。これが信じられないぐらいうまかった。一番安い、貧乏人が飲むお茶である。涙が出そうになった。