2014-01-05

まとめサイトに私たちのこころはまとめられない

誰もかれもがまとめている。頼んでもいないのにどんどんまとめる。ブログでまとめる。Wikipediaでまとめる。Togetterでまとめる。毎日のようにまとめる。なぜかれらはまとめるのか。なぜかれらはまとめることをやめられないのか。答は誰でも知っている。しかしさしあたっては、かれらを批判するよりも大切なことがある。それは、まとめられないものについて語ることだ。

たとえば妻の浮気が今日もまとめられている。驚くような内容ばかりだ。妻と間男がホテルから出てきた。携帯をチェックしたら浮気相手とのハメ撮り画像が出てきた。云々。これらはどうでもいい他人の不幸なのだがなぜかそれらがまとめられてしまう。そしてここには妻のこころが欠けている。妻はなぜ浮気に至ったのか、その動機は一行も書かれない。

浮気した妻ばかりが責められ男が被害者ぶって苦しんでいる。どこかで見たような「トラウマ」や「傷」が男のよく滑る舌と口によって語られる。そこには少しの反省もない。自分だけが被害者であって、子供の親権がどうのこうのという内容を、2ちゃんねるのスレ住民に相談する。住民は親切に教えてくれる。みな正義感にあふれているからである。いいひとのフリがなによりも大切な偽善的な国民性が匿名の場でさえ強力に機能している。

そして妻のこころは忘れ去られる。妻はなぜ浮気するか。満たされていないからである。妻はなぜ間男と性交するか。普段満足していないからである。妻はなぜ孤独か。夫が妻を孤独にしているから以外の理由がどこにあるのか。そもそも妻は夫を愛していないのか。夫を愛していながら浮気することはまったく矛盾しない。そうでないと考える「清潔」な人間理解がネットのすべてを覆っている。これはきわめて異常なことだ。

浮気した芸能人の私生活をおもしろおかしく紹介する週刊誌とまとめサイトは極めてよく似ている。というより後者が前者の技術を盗んだのだ。そしてネットに自分の身に起こった「事実」を書き連ねるひとびとはすでにまとめられることを前提にしてそれを書く。そこにはもう作為しかなくそれを読んだところで何一つ得るものがないことは自明だった。得るものはないが時間は失う。そうまとめサイトは時間つぶしの道具なのだ。

まとめられないものの側に立たねばならない。つねに隠されるものの側に立たねばならない。妻はなぜ孤独かもう一度問わなければならない。女がなぜひとりで苦しまなければならなかったのかそれを問わねばならない。浮気をした女を責めてはならない。それを強いた人間や環境があることをきれいに忘れて清潔な物語に安住してはならないのだ。被害者は常に加害者でもありその構造を忘れてしまえば私たちは人間ではなくなってしまう。それはただのモンスターである。

まとめるのをやめるのだ。まとめて理解するのをやめるのだ。そもそも理解などできないのだ。あきらめるのだ。簡単な理解や一方的な加害者などは存在しないのだ。現実はおそろしくグロテスクで歪んでいて一歩足を踏み入れれば自分がどこにいるかすらわからなくなるのだ。どれが正しくてどれが間違っているかさえわからない海の中で羅針盤もなくさまよっているのだ。男女関係においては傷ついた自分だけが苦しいのではない。相手もまた苦しんでいるのである。

今日もまとめている。明日もまとめている。明後日もまとめている。眼をそらしている。お金がほしくてまとめている。みんなからほめてもらいたくてまとめている。自己満足のためにまとめている。妻のことを忘れたくてまとめている。浮気した相手の写真を見ながらまとめている。妻がいない部屋でひとりでまとめている。自分は悪くないと思いながらまとめている。妻だけが悪いのだと思いながらまとめている。まとめるな。理解していないものをわかった気になるな。わからないと言うのだ。なぜこうなったのか全然わからないと口にするのだ。そして苦しいというのだ。くるしくてつらくてかなしいと口にせよ! 

誰もかれもがまとめている。あなたたちの人生をまとめる動きに抵抗せよ。わかったような口をききそれを短く140文字以内でまとめようとするネットの動きから抜け出るのだ。わかってはいけない。わからないのだ。わからないことばかりなのだ。学歴も所得もスーツの値段もほんとうは関係ないのだ。それは単に記号にすぎないのだ。ひとたび服を脱げば、剥き出しの裸の人間がそこにいるだけなのだ。あやまちを犯した人間をゆるすのだ、ゆるせなければ理解しようとするのだ。まとめられないものを見るのだ。そしてもしできるのであれば、ネットから離れた場所で、一緒に泣いてあげなさい。