2014-01-06

日本語の不自由な日本人

日本人なのに日本語ができない。日本で生まれたのに日本語がわからない。日本人同士なのに会話が通じない。なんと驚くべきことに外人のほうがマシな日本語を話している。もうやめようではないか。話せばわかると思うことをやめようではないか。無理なのだ。わからないのだ。どうしようもないのだ。不自由な日本語では何も伝えられないのだ。そこからはじめるしかないのだ。

正月も終わり仕事に入っている。貧乏人なので一日机に向かっている。キチガイなのでこの世のどこにも居場所がない。ひとの悪口を書いてカネ儲けをしている。ひとを騙して裏切ってさらにカネを稼いでいる。そして借りたカネは一銭も返さない。人間の屑なのに人間のような顔をして社会の中で生きている。息子とはもう二年ぐらい会っていない。もちろん今後も会う予定などないのである。

なぜひとはひとを外見で判断するのか。キチガイなのにスーツを着ていれば安心だ。キチガイなのにネクタイを締めるとお金がもらえるような気さえする。不思議な世界であり不思議な国である。どうなっているのか。ひとはひとを何で判断するのか。容姿か。学歴か。収入か。スーツの値札か。インテリのふりの上手さか。ブログのリゾート写真か。アクセスの多さか。ネットでひとを騙すことは容易である。現実ですらそうなのだから。

私は正直に書こうと思う。私は何も知らないのである。なんのために本を読んだか。なんのために外国語を学んだか。少しはマシな人間になれたのか。なれなかった。まったくなれなかった。むしろ前よりも愚かになっていた。前よりも女のことがわからなくなった。女はいつでも謎でいくら愛しても何もわからなかった。いくら騙されてもそれでもわからなかった。

女が大好きだった。女が生きがいだった。何度も何度も浮気をして、愛した女には裏切られ、メールをさらされ、通報され、告訴され、ハメ撮り写真を見せつけられ、財産を全部持っていかれ、子供を奪われ、それでも懲りずに女が好きだった。女がいなければこの世は闇である。女がいなければこの世は無意味である。それだけは正しい理解だった。すべての知識は女だけがこの世に必要なものだという真実に至る道だったのである。

女は嘘つきであり嘘をつく女はうつくしい。いますぐ自慰をやめて現実の女を見なければならない。いつまでもディスプレイの前で女が(笑)のついた表情で股を開く写真を見ながら自慰をすることだけはやめなければならない。現実の、あさましい、嘘つきで、傲慢で、被害者意識ばかりが強くて、ひとりぼっちでくるしんでかなしんでいる、あいくるしい女たちのいとおしい姿を見るのだ。それだけがゆいいつ追い求めるべきものなのだ。ディスプレイをたたき壊して外に出るのだ。

あなたはなぜこのブログを読むのか。ネットには花はない。あるのは花を咲かせる堆肥だけである。なぜネットはキチガイを排除しようとするのか。なぜキチガイに優しくしないのか? やめなければならない。キチガイを病院にぶちこみ「なかったこと」にする清潔な社会の異常さに光を当てなければならない。その非人間的な同調圧力に抗うのだ。人間らしさを取り戻すのだ。どれほどきつくつらい道でも、人間にならねば日本人たる私たちは真に生きることなどできないのだ。それは誰にでもできる。いまディスプレイの前にいるあなたにもできる。歯を食いしばれ、そして見よ、考えよ、生きよ!