2014-01-07

雑感

長いものを書いていたのだが全部捨てて、ふてくされてベランダで煙草を吸っている。つまらないものはつまらないという圧倒的な事実の前に書き手の努力などなんの意味もないのだった。そういえば某氏が言っていたのだが小説を書くときには必ず上書き保存でコピーや異稿は一切残さないらしい。わかると言ったら失礼なので言わないが気持ちがわかるような気がする。ようするに「もったいない」をいかに排除するかどうかが問われているのだ。途中までできあがった器をたたき割ってゴミ箱に入れる勇気が必要になる。と口で言うのは簡単である。なんだって口で言うのはいつだって簡単なのだ。

東欧製らしいクリスタルの灰皿が煙草で一杯になっている。正月の間ずっと机に向かっていたので背中が痛い。少しずつ肉体の老化が進んでいて、体力が少しずつ落ち筋力が落ちてきている。この前も家内を抱えて運ぼうとしたらぎっくり腰になりそうになった。私の祖父が言っていたが人間の体は交換不可能なパーツで構成された機械と一緒だから、大事に無理をしないように使っていかなければならないのだ。本の詰まったダンボールを持ち上げようとして背骨を折って死んだ人間のニュースを読んだがあれは他人ごとではなく慄然とする。

もっとも、荷物の持ち方にはコツがある。いきなり持ち上げると間違いなく筋や筋肉を痛めるので準備として体をほぐしておかねばならない。するとわりとスムーズに持ち上げることができる。毎日そういう努力をするのは大変だが一時間くらい前からウォームアップし、その際指や腕を保護する手袋や長袖等の準備もしておくだけでもかなり効果がある。大きな仕事の前には普段から備えておくことも大切だが、突然やってきた仕事についてもある程度の予備期間があれば一時的に限界を越えた能力を発揮させることができる。もっともその際にも肉体的精神的なダメージは避けられないが。

この冬は新作を仕上げる予定でいるのだがいただいたメールやコメントを見ながらいろいろ考えている。私の書いたものを読むような読者は基本的にそれを口外しない。後になって「実は読んでました」等カミングアウトしてきたりする。もっとはやくいいなさいと言いたくなる。もっともこっそり読むようなものばかり書いているので文句は言えない。私からみると読者というのはいつも見えないどこかとても遠い場所にいて私の声が届いているのかどうかまったくわからない。海にボトルメールを詰めて流すような作業だ。つまらない小さな人間にどんな大きなものが書けるのか、そういうことを自問する日々である。

むかしの読者はみな元気にしているだろうか。少しずつ年を取り、中間管理職ぐらいにはなっているかもしれない。あるいは定職につかずにふらふらしているかもしれない。または大学に残って指導教授に頭をさげながらポストを探しているのかもしれない。それぞれの個別の人生があり、それぞれの困難があり、それぞれの課題があり、それに取り組む自分がいる。この日本社会にいろいろ言いたいことはあるが、その中にいる私たちにとっては、それぞれが孤独なたたかいを続けているのだということだけは共通している。どこか安全な場所から沈む日本に対して石ころを投げるような人間にはなりたくないものだ。それは結局形を変えた子供の自己嫌悪にすぎないからである。