2014-01-08

ネットの新しい作法

何からはじめればよいのか困っている。何から伝えればいいのか悩んでいる。しかしはっきりしていることがある。しかし言わなければならないことがある。居場所がないからネットをしている。鬱憤がたまっているからネットをしている。嫉妬で狂いそうになりながらネットをしている。自分がかわいそうで仕方がないからネットをしている。やめなければならない。沈黙しなければならない。通り過ぎなければならない。ネットを。

左を見ても右を見ても差別主義者と中傷ばかり。Twitterを見ればFacebookを見れば偉そうなひとびとのスーツを着た写真ばかり。テレビをつければヒョーロン家がえらそうな顔をして説教しているばかり。「意識の高い」ひとびとばかりが表に出てきてその裏にいるふつうのひとは無視される。忘れられる。存在しないように扱われる。透明であることを強いられる。もうどうしようもなくうんざりだ。ネットもこの社会も。

自分たちが虐げられているのに誰も何もしてくれない。ネットにいればそう感じる。ネットにいればそう腹がたつ。もうやめたらどうか。こんなネットからは離れたらどうか。逃げるのだ。こんな異常でグロテスクで気持ちがわるいネットからは逃げ出すのだ。こんなところにまともなこころの持ち主がいられるはずもない。右を見ても左をみても弱者叩きばかり。左を見ても右を見てもいがみあいばかり。もうどうしようもないではないか。

今日あったことを書いたら叩かれる。今日したことを書いたら不謹慎だと怒られる。今日ひとと会ったことを書いたら妬まれる。何がおもしろいのか。叩くのがおもしろいからである。いじめるのが楽しいからである。暴力はエンターテイメントだからである。自分が苦しいから、ひとをいじめるのが快楽なのだ。そんな人間の仲間入りをするな。そんな人間たちと同じ顔をするな。ネットから離れるのだ。この暴力の空気から逃れるのだ。

ああ、わかる。私は小さくしょうもない人間だからわかる。えらそうな顔がしたいのだ。うらやましいのだ。うまくやっている連中の真似がしたいのだ。うまいものを食って、えらそうな講釈を垂れて、金持ちどもと一緒に写真を撮って、自分がえらい、自分は格好いい、自分は頭がいい、自分はしあわせだと全世界に自慢したいのだ。わかる。超わかる。わかりすぎるほどわかる。私もそう思う。私もそう考える。私も自慢したい。私がどれぐらい格好よくて頭がよくてお金があって「意識が高い」か自慢したい。超したい。

だがダメだ。ああいう連中のまねをするな。ああいう連中と同じになるな。したいけど我慢するのだ。何もかも我慢しているのにネットでぐらいでかい顔がしたい、そう思うところをぐっと堪えるのだ。ぐっと我慢して友達を探すのだ。仲間を探すのだ。女(男)を探すのだ。トモダチを欲しいと言うのだ。恋人が欲しいと口にするのだ。ネットではない。このくだらないネットではない。現実で、そう口に出すのだ。現実で、そう言うのだ。願うのだ。自分の居場所をさがすしかないのだ。ネットではなくその外で探すしかないのだ。

ふつうのひとがふつうに生活したいだけなのに。ふつうに努力してふつうに生きてふつうに結婚したいだけなのに。ネットがすべての邪魔をする。スーツを着た偉そうな連中が嫉妬心を煽る。意識の高いひとびとがドヤ顔で夢を自慢する。ヒョーロン家が今日も自分が世界でいちばん頭がいいだろという顔をして威張っている。うんざりだろうか? うんざりである。いますぐネットをやめるのだ。やめられないなら通りすぎるのだ。もうそれしかないのだ。社会がキチガイならばそこから身を守る方法は沈黙しかないのだ。

ネットが狂っていれば自分だっておかしくなる。誰もがひとの悪口を言っていれば自分だってそう言いたくなる。「みんなやってるから」と言いたくなる。やめるのだ。ひとにふるった暴力はかならず自分に返ってくる。それは自分がおぼえているからなのだ。自分がひとにしたことを悪いと思った瞬間、それは強烈なとりかえしのつかない後悔となって自分の身に降りかかってくるのだ。そう気がついてからではすべてが遅いのだ。いまいい気になって粘着して叩いてひとの悪口を書いている自分は、将来の自分に復讐されるのだ。だがまわりが狂っていればそんなこともわからなくなるのだ。

みんな狂っている。「空気」が狂っている。みなが頭がおかしくなっているときに正しいことを言ってはいけない。みなが狂っているときにまともな人間になってはいけない。真正面からマジョリティ(多数派)を批判すればあなたは傷つき孤立しひとりぼっちになって自殺するしかなくなるのだ。誰もたすけてくれない。誰も手伝ってくれない。それはみんな自分も仲間はずれになるのが怖いからだ。それは仕方のないことなのだ。かれらを責めてはいけない、自分だって生きるのに必死だからだ。だから沈黙するのだ、狂った時代には沈黙するしかないのだ。少なくともネットでそれをやろうなどとは思ってはいけない。

沈黙しよう。ほんとうの気持ちを隠そう。狂人から身をまもるために本音を隠そう。黙って何も考えていないフリをしよう。馬鹿のように生きよう。ふつうの幸せをめざそう。それから間違っても私のブログを読んでいるなどと公言してはいけない。無視され、仲間はずれにされ、疎まれるだけである。こっそり読むのがよろしい。TwitterでRTしてはいけない。2ちゃんねるでスレに貼って賛同者を集めようとしてはいけない。ブログで「私もそう思う」などと書いてはいけない。空気に逆らえば殺されるのだ。空気を読むのだ。空気はこの国の最高権力者なのだ。空気に逆らえば、自殺させられるのだ。

くるしいだろうか。かなしいだろうか。居場所がなくてつらいだろうか。恋人がいなくてさみしいだろうか。夫(妻)が理解してくれなくてひとりで泣いているのだろうか。わかる。その気持ちがわかる。だがわかってくれるひとをネットで求めるな。ネットにはひとの不幸をおもしろがる連中がいるだけである。生身の人間をもとめるのだ。生身のあたたかい触れられる他者をもとめるのだ。「便利」で「簡単」だからといってネットでトモダチを探すことをやめるのだ。ひとりぼっちになるだけである。さらにひとりぼっちになるだけなのだ。もっともっと孤独でどうしようもない生活が待っているだけなのだ。

沈黙するしかない。黙りこくるしかない。喋れば殺される。そういう時代になりつつあるのだ。そしてそれは誰にも止められない。あなたには止められない。私にも止められない。もちろん政治家にも止められない。ヒョーロン家にも止められない。意識の高いひとびとにも止められない。ふつうに生きてふつうに結婚してふつうに生活したいだけのふつうの希望はますます貴重なものになっていく。つらい、かなしい、どこにも居場所がない。わかっている。わかっている。排除されのけ者扱いされ存在しないと思われているあなたたちと同じ場所にこの私も立っている。

ネットでわかって、ネットで理解して、ネットでトモダチをつくる。無理なのだ。不可能なのだ。もうそんな幸福な時代は終わったのだ。だから沈黙しなければならない。だまってこの狂った時代をやり過ごさねばならない。いつだって自分より低い弱者を探している連中の仲間入りだけはやめなければならない。やめるのだ。いまやめるのだ。今日からやめるのだ。このブログを読むのもやめるのだ。何しろキチガイが書いているブログなのだ。ブログぐらいしか書く場所がない負け犬なのだ。ルーザーなのだ。川に落ちた犬なのだ。ぶうぶう鳴くしか能がない豚なのだ。

あなたはなぜここにいるのか。読みたいのか。そんなに読みたいのか。沈黙できるのか。沈黙できるなら読むのだ。ただし賛同するな。意見を言うな。黙って読むのだ。けしてひとにこのブログを読んでいるなどと言ってはダメだ。勧めてもだめだ。仲間はずれになりたくなければ黙っているのだ。空気に逆らうな。社会から外れた人間をほめるな。社会から外れた人間には眉をひそめて通りすぎればいいのだ。私にもし言いたいことがあるなら手紙でも書くのだ。返事は私の名にかけて必ず書くそれは私とあなたとの約束である。いいか、黙っているのだ、沈黙するのだ、黙って読むだけでいいのだ、それ以上のことはしてはならない、狂ったネットから自分の身を守る事を最優先にするのだ……。