2014-01-09

冬の驟雨

季節外れのあたたかい雨が降っている。いつでも雨が降っているような気がした。一仕事終えてベランダで煙草を吸っている。私は一日の一割の時間をこのベランダで過ごしている。アジアの団地と違ってきわめて清潔なこの団地では、暴力とも、悲鳴とも、犯罪とも無縁だ。誰もかれもがおとなしく飼い犬のような顔をしている。先日も初詣に出かけたが機動隊が百人ほど集まって交通誘導をしていた。ご苦労なことである。市民を園児か何かだと思っているのだろう。

なぜかいつもベランダのある家に住んでいる。最初の妻と生活していた時はベランダのある一軒家に住んでいた。すぐ裏手に公園と林があって、自然の多い郊外だったが、夜になると自分の心臓の音が聞こえるほど静かだった。私たちの周りの家の住人はみな老人ばかりで、子どもがいる夫婦はほとんどいなかった。ある日、そのベランダに蜂の巣が作られた。アシナガバチだ。まだ小さい蜂の巣をたたき落とし、中にいた蜂の子をすべて殺した。季節は秋で、雨が降っていた。

熱帯の島国にいた頃は確か18階に住んでいて、いつも海がみえた。暴力は比較的身近なところにあった。それは注意深く隠されているだけで、フィリピン人のメイドがアイロンで雇用主に顔を焼かれたり、ジャングルでは強盗殺人があって死体が焼かれたりとニュースには事欠かなかった。いつだったか、マンションの近くで女を殴りつける男の姿を目撃したことがあった。女は悲鳴をあげていて血が道路にたまっていた。家族が通報し警察官が大量に集まってきて女の姿は見えなくなった。そのたまった血のことをおぼえている。その後激しいスコールが降ってきて血は洗い流された。

ラブホテルの窓は常に閉じられていた。カーテンを開くとそこには板が打ち付けられた壁があった。閉じ込められた水槽のような部屋の中で虫のような性交を終えると、そそくさとガラス張りの風呂場でシャワーを浴びた。女たちには様々な物語があったがそのほとんどは忘れてしまった。父親を無くして年老いた母親と二人暮らしの女がいた。母親に優しい女は好きではなかった。家庭的な雰囲気の女も苦手だった。行為の最中に母親にメールをするような売春婦のほうがまだずっとマシと思えた。ラブホテルでは雨の音がほとんど聞こえない。そこには窓がないからだ。

ベランダから見える街は暗い。この時間帯車はほとんど走っていない。雨水はぬるい。遠くの街灯が雨に霞んでみえる。家庭裁判所でも取調室でも雨が降っていたような気がする。人生の節目節目になぜかうっとうしい雨が降っていた。ひとに暴力をふるってきたむくいを様々な形でうけている。自分の脇を通りすぎていった誰かの暴力は、結局自分がその後ふるうことになった怒りと暴力を予言していたように感じられた。意思や努力で人間になろうとした。しかしできずに後悔をしていた。いつまでも後悔をしていた。団地の入り口に、ペンギンの親子の絵が描かれている。雨に濡れたペンギンは手をつないでいる。それは幸せな光景に見えた。