2014-05-15

傷の在処

コンビニに煙草を買いに来たら雨が降ってきて、軒下で煙草を吸いながら雨を眺めている。前にも同じようなことがあったと思うが、基本的に傘が嫌いでほとんど持ち歩かない。雨の日はできるだけ外出を控えるようにしているのだが、梅雨にかけて大気が不安定なので、まったく雨の気配がなかったのに、突然降り始めて身動きが取れなくなるということがよくある。

コンビニの灯りに照らされた周囲は明るいが、そのあちら側に広がる地方の街は暗闇に包まれている。もちろんあたりの店はすべて閉まっており、近くにあるシャッター商店街の店舗のガラスが汚れひび割れているのが見える。震災直後は東京都内にいたが、節電のため首都高の下の街道が真っ暗だったことを思い出す。このあたりはそうした節電施策をもう取っていないはずだが、やはり震災直後のことを思い出して憂鬱になる。この社会に対する信頼がぼろぼろに瓦解していくのを、多くのひとが実感し、そしてその衝撃からじつは立ち直ってはいないのだと思う。そこでカラ元気を出しても仕方がないのだ。自分たちが弱っていることを認めることがなによりも大切なのだと思えてならない。

弱っている人間は攻撃的になり、ヒステリックになり、他罰的になる。どれもが私たちがネットで毎日のように目撃しているものである。震災直後、かつて知人と思っていた人間から突然毎日のように嫌がらせを受け始めたことがあった。当時その理由はわからなかったが、振り返って考えてみて、あの時は皆完全におかしくなっていたと思える。もちろん、自分がおかしくなっていることがわかっても、それをどうにかすることは難しい。私たちが個性や性格と考えているものは、自分を取り巻く言語環境や社会的要素の圧倒的な影響下にあって、そこから出ることなしには、それを変えることは不可能だからである。

見えない傷、ということを考える。体の傷は目に見えるし治療も簡単だ。しかしこころや誇りが受けた傷はいったいどうやって癒したらいいのか。津波で家や思い出が文字通り瓦礫となった現実に加えて、私たちの世界一安全だと言われていた技術が自然災害に耐えられなかった過酷な事実によって、ただでさえ狭い国土の一部は失われ、行き場をなくした住民は文字通り夢や、目標や、職場や、友人や、家族を奪われている。どこか遠い誰かの不幸ではないのだ。たとえば関東に在住の人間にとって、それは数時間かければ行ける場所に住んでいた人たちなのである。原発事故から三年がたったが、私たちの受けた傷はいえていないどころか、血がだらだら流れ続ける止血すらできない裂傷にみえる。

いま私が唯一使っているSNSはGoogle+なのだが、そこで「自分の国に誇りがもてない」ひとびとがこの社会にはたくさんいる、という書き込みを見かけた。私はひとには自分が所属するふるさとへの愛情、いつくしみ、誇りといった肯定的な感情がなければ生きていけないものと思っている。安心して帰ることができる場所、自分のアイデンティティの寄る辺となる土地がなければ、まっとうに生きることはできないと考えている。それが第三者によって奪われてしまえば、それは戦争である。ふるさとをめぐる戦争はいまも外国で行われている。私たちが直面しているのは、信じていたふるさとの信頼性が根本から揺るがされ、それを信じることが以前のようにはできなくなった不安、怒り、恐怖、悲しみの連鎖であって、こころの問題だ。だがこころが損ねられれば人は限りなく残酷に暴力的になれるのである。

人災としての大惨事によって傷つけられた自尊心や誇りやプライドの悪影響はこれからも続いていく。事故が忘れられたというのは嘘であって、私たちはいまも苦しめられているのである。直接的な被害の有無の問題ではないのだ。私たちは他人と一緒に苦しむことはできないが、他人が苦しんでいることを完全に無視して生活できるほど冷血な生き物というわけではない。それは小さな澱となって私たちのこころに蓄積し、ある閾値を超えれば、たいていの場合、怒りや悪意といった負の感情となって、自分よりも弱いものに向かうのだ。私たちはそれをネットとそれが構築する空気によって支配される現実において目撃している。これを止めるためには、傷ついた人間の悪意を嘲笑したり攻撃するのではダメなのだ。その傷の在処――それは私たち自身の傷である――を明らかにし、それを理解しようとすることが問われているのである。いかにそれが困難であったとしても。

この国にうらぎられてつらいね、くるしかったね、かなしいね。そう、言うべきなのである。信じていた高い技術は津波を十分に想定せず、世界一のロボットは原発に入ることすらできず、大災害にあたって機能不全をおこし停止した行政に官僚主義に政治に、右往左往するだけだったメディアに、他者に八つ当たりし毒をまきちらす道具としてしか機能しなかったインターネットに、いまも傷の存在を認めることができない、弱くて愚かなひとの有り様に、うんざりして、くやしくて、何もかもがいやになって、それでも自分はふるさとがほしいのだと、ふるさとに蘇ってほしいのだと、少なくとも安心と安全があったあのふるさとに帰りたいのだと、もしそれがかなわぬのならば、共にその死を悼み、追悼し、滅んでしまって二度と生き返らないその屍の前で寄り添って手をとりあって涙を流すことが、私たち市井の人間がまずやるべきことなのではないかと、そう、思えてならない。

雨が止んだ。もう、朝である。

(2014年5月15日)