2016-03-11

衰退のつらさ、私たちの責任について

「鎮魂せよ、いや無理である思いださねば
 鎮魂せよ、いや不可である呼び戻さねば
 鎮魂せよ、死んだものを死んだものとして
 鎮魂せよ、新しき呪いの成就のために」

私は日本の古い街で生まれ、アジアの小国で育った。現地は先の対戦で日本軍によって一時的に占領されていた島で、街の中心部には虐殺された人々の魂を鎮めるための巨大な慰霊碑が立ち、日本人墓地にはからゆきさん(日本より売られた売春婦)の墓が並び、塹壕など戦争の遺構があちこちに残されていた。もっとも、当時の私は、外国語を覚えるのにせいいっぱいで、その歴史を何か遠いものとして眺めるほかなかった。日本に戻り、大人になってから、詳しくあの戦争について、調べたり読んだりした時、自分が住んでいた島で何が行われたのか知った。そのときの衝撃はちょっとことばにはできない。

ネットでは、そしてネットの生み出す空気に支配される現実では、総体としてのいわゆる行動する保守と、これを支持する人々の草の根的なブログとSNS活動が幅を利かせている。ここはブログであり私は正直に書かなければならないが、私はかれらと心情的な共通点を持っている。これをより具体的に腑分けすると、(1)衰退する日本に対する強い苛立ち、(2)アジア唯一の先進国だった地位が消失しつつある/したことについての不安・恐怖、(3)これらのどうにもならない現実に対する無力感と感情的反発、の三つにおおきく分けられると思う。私もこれら三つの感情を確実に持っている。

端的にいうと、これは「自分の国が弱っていくのを見るのはつらい」という感情だ。やっかいなのは、このつらさは、本人にとって受け入れがたいことであり、それを指摘することがさらなる怒りと反発を招くからだ。私もこれを書きながら、こうしたことを告白することのきつさを噛みしめている。私たちはやはり、自らが所属する土地や共同体や国が、ある程度は強くあってくれないと、あるいは、「将来はよくなる」という希望がそこに感じられないと、誇りと呼ばれる何かを持ち難くなるものらしい。だが、まずはここからはじめよう。自分が生まれた国が弱っていくのをみるのは、つらい。

少し世代を選ぶ話になるが、私が子供の頃、日本製品は文字通り世界を席巻していた。アジアのショッピングモールに行けば、そこに陳列された家電製品はほぼすべて日本産だった、といえば、ある程度は当時の空気が伝わるだろうか。こうした現実の中で、アジア人たちから羨望のまなざしを浴びながら生活をしていた。いまはどうだろうか。実はそれなりに羨望される底力のある国(と、信じるぐらいには私も愛国者だ)だが、ここ二十年ばかりの凋落に関しては、正直、それをまともに考えてみると、こころのどこかが損ねられるような、そんな気がする。そしてこの感情は、いまこの国に生きる多くの中高年(と、おそらく一部の若者)が共有しているものであると感じる。

そうしたどうにもならぬ喪失感、無力感に付け加えて、前回も書いた擬似共同体としての会社、イエのゆるやかな崩壊があり、そこに所属できないものが共同体より放擲されて、不安定な雇用という経済的条件に加え、正社員とそれ以外の間に格差と断絶をもたらし、後者はイエから疎外されて、つよい孤独感を深めている現状があるだろう。さらにつけくわえるならば、男女間の断絶はもっとひどくなり、男も女もお互いにあちこちで石を投げつけあい、会ったこともない相手への憎しみをつのらせている。しかし、ほんらい、共同体に所属できない人間が、ゆいいつ救われる可能性が高いのは、伴侶や家族を持つことなのだ。それもなければ、もうどうしようもないではないか。

個人的な話をすれば、2011年の原発事故は、ここ20年ばかり感じていた喪失感の最終幕だったように思う。いま思いだしても、原発にヘリで水をかける様子をテレビで見たときのどうしようもない絶望感は強烈に焼き付いて離れない。あの時、多くのひとのこころのうちで、誇りのひとつであった「技術大国」が死んだ。そしてそれはいまも回復していないし、今後も、技術大国の驕慢が作り出した小さな燃える地獄を今後何十年かに渡って見続けることになることは確かだ。だが私は誰か第三者に責任を押し付けてそれを批判したりしたいわけではない。それは政治家と政治屋の仕事であり、さらにいえば、そもそも原発を推進してきたのは私たちが選挙で選んだ(または、無為によって当選させてしまった)自民党であり、さらに、その電力を使って豊かな生活を享受してきたのもまた私たちであることは、疑いようのない事実だからだ。

私はむしろ、私たちの責任とは何か、という問いをここで立ててみたい。それは前の戦争についてもそうだ。いわゆる総体としてのリベラルが主張する謝罪や反省ではなく、私たちひとりひとりの取るべき道義的な責任とは何か、という問いを立ててみたい。なぜなら政治家が謝罪しても、あるいは国家が謝罪しても、死んだ人間は帰ってこず、奪われた人生はかえってこず、とりかえしの付かない現実はかわらない。必要なのはこれらを弔うことばであり、そのことばを作りだすこころであり、それは目に見えない倫理的な姿勢によってしか生み出されない。一般的には、裁判であれば謝罪にはあまり意味がない(なぜなら、誰でも口先で謝罪できるからである)ので、金銭による賠償が行われる。それはあくまで司法上の「反省」であって、責任を取る、ということは、それとは違うはずだ。

私たちの責任とは、私たちがやったことを直視すること。ことばにすると陳腐きわまりないがその一言に尽きると思う。そしてさらに、現状を直視すること、であると思う。私たちが政治に興味を持たず(そして、政治関与についての忌避感情には歴史的な経緯があることを承知しつつ)長い間自民党政権を野放しにしたことによって、国のあちこちに過剰な数の原発が作られ、そのうちのひとつが事故を起こし国土が失われたが、これを一方的に責める資格を有するわけでもなく、電力を享受して生活を送ってきたという本質的な矛盾を直視すること。そして衰退する国のなかで、そのつらさ、くるしさから眼をそむけ、いわゆる「うつくしい国」に代表されるような、自画自賛・夜郎自大な言い訳によって自らの閉塞感を欺いてきたこと、少しも幸せではないのに、「日本はいい国」とうそぶいて、みずからの涙を隠してきたこと。

この国に参画する/してきた一人の市民として自分は何をしてきたのか。あるいは、過ちをおかした二世代前の者たちのやってきたことの上に自分たちの安寧な生活が成り立っていることをどう受け止めるのか。そして衰退する国のうちにいて、そのつらさとどう向き合ったらよいのか。こうしたことに自分なりのことばを与えることが現在における私たちの根本的な責任として考えられる。責任とは、きつく、つらいものだ。そして私が思うのは、そうした思索はプライベートで内的な問答によるほかなく、そこに自らがかくとくした納得がなければ、そこより出でるどんなことばも空虚に響くであろうということである。

(2016年3月11日)

*引用は『詩と思想』2015年10月号所収「骨の海」より