2017-05-20

ファースト・ショッピングと戦争の午後

よく晴れている。平日は毎日早朝より作業に入る。土日祝日は一応休みという設定にしてあるため相対的にのんびりと過ごす。

本日は赤ん坊と買い物に行くためにベビーカーを出した。生まれてからまだ一度しか使っていない。定期検診以外で二人で出かけるのは初めてだ。日差しは強く、多少心配だったが、サンシェードが意外と機能的だったこともあり、起伏の少ない歩道にでると、すぐに娘は眠った。その顔をシェード越しに眺めながらいろいろなことを考える。そして黙って路上をあるく。

老人たちはにこにこしながら赤ん坊をみる。小学生や中学生はものめずらしそうにちらちら見る。そしてわたしと同世代の人間たちは目をそらすか、うつむいてなにも見ずに歩いてゆく――ひょっとしたら舌打ちしながら。それぞれの反応をみると、さまざまな思いが胸をよぎる。そして「戦争」とはなにか、と思う。戦争とは、「この人生」をリセットできる、あるいは価値観が逆立し、社会にまったく認められない自分が、死という献身を通してはじめて社会より認められるかもしれない救済の可能性のことだ。

英雄的な死によって、あるいは「金持ち」や「成功者」に平等にふりそそぐ死によって、ひょっとしたらこのどうしようもない自分も救われるかもしれない、というこころの動きがある。そう考えるわたしを前に、娘はわらっている。わたしは戦争を求めてはいない。だが、もとめる気持ちは理解できる。さらにいえば、ロスジェネ世代は戦争をもとめている。それをこの世のいかなるものもとめられない。