2017-05-26

いま夜がはじまる

昼間は雨がふった。すっかりトレードマークと化した白い髪を維持するために美容院にゆき、帰り道に暇そうな顔をした老人がたくさんいるマートでいろいろな食材を買込んで家に戻ると、妻と娘は眠っていた。ベランダには透明な雨が溜まり、そこに夕暮れの光が落ちている。

しずかに机の前に戻って、海外からのメールに対応し、ニュースを眺める。前文部科学事務次官がいわゆる「出会い系バー」なるものに通っていたという報道をよむ。歌舞伎町にそんなバーあったっけ……と思ったが、おそらく登録料と引替えに入ることができる会員制クラブのようなものだろう。男ならだれでも同意すると思うが、服を着た女も、服を脱いだ女もこの世でもっとも尊いものであり、新しい出会いをもとめるのは自然なことだ。だが普通は妻を(大事に思っている場合は)傷つけたくないから我慢する。前に書いたように、むしろ傷つけたい場合は、家庭外にそれをもとめるということになるだろう。

社会的地位がある人物による下半身事案は枚挙にいとまがなく、二十四時間ありとあらゆる場所で社会的規範から犯罪とみなされる行為が繰り返されている。だれしもが下半身に支配されており、下半身の衝動を抑えることができない。できると誤解している人間もたくさんいるが、「できない」と理解した上でそれとあらがうこと/あらがいつづけることも重要だ。ひとの意思の力は弱く、衝動は我慢できず、誘惑にたやすくやられてしまう。そういう前提にたった上で、「できないこと」への無限に遠い距離を縮める努力も必要だ。わたしはその不可能な歩みにこそ人間らしさがあらわれると思う。

下半身が衰えた老人にはそのような衝動はない。だがそれは人間らしさをかくとくしたのではない。ただ性器が弱って衰えたから暴力性を愉しむことができなくなっただけだ。人間らしさとは、下半身起因の衝動とあらがい、これとたたかうことを決めた者にのみひらかれた《契機》なのだ。

だれの上にもいま夜がはじまる。孤立と分断の時代を、人間らしく生きてゆこう。