2017-05-23

とりもどすことができないもの

iMacのハードディスクが壊れた話は以前日記で書いたが、その交換した元ディスクはどうしたかというと、京都産の噌屋の空箱にしまいこんで、そのまま放置して数ヶ月が経過していた。物事はなんでもこのように放置されるものだ。本日は多少時間があったのでその壊れたディスクからデータを可能な限り回収する作業にあたった。といっても大したことはしていない。別のマシンに接続し、データ修復プログラムを走らせるだけの簡単な仕事だ。幸いまだ動いたので、データはほぼ回収することができた。なかにはさまざまな音声データ等もあり、ブログを書籍化しようとしていた時の文字データなども大量に出てきた。なにもかもが懐かしい。

日記のほうでは過去に何度か書いてきたことだが、現在手元には三本の完成した長編詩があり、これをどうしたらよいか頭を悩ませている。知っているひとは知っているとおり、ほとんどすべての現代詩集は自費出版で、これは「私家版」とも呼ばれる。なぜ企画出版がほぼ見当たらないかというと、商業的に成立しないからだ。こうした本を出すためにはそれなりに資金が必要となるが、わたしはそれについてはすでに準備し、作品をもって複数の出版社に持ち込もうと思っていたのだが……そこで考えがとまっている。どうしたらよいのかわからない、というより……これらの作品ははたして現代詩なのだろうか、という疑いを持っている。

さまざまな第三者に作品を評価してもらったのはうれしかったが、これは卑下ではなく、わたしはしょせんブロガーなのではないだろうか、と思う。それ以上のものになるべきではないのではないだろうか。そういうことを考える。そしてデータ修復プログラムが実行されている液晶ディスプレイの画面をみる。修復できないデータが、「×」印で表示されている。ひょっとしたら修復できないものだけが、あるいはとりもどすことができないものだけが、人生において重要なのかもしれなかった。