2017-06-13

ある冬の夜とM・Sさんの思い出

――なんであんたは男なんだよ、と彼女はわたしにいった。あんたが女だったらよかったのに。ともだちになれたのに。

その夜は冷え込んでいた。外を冷たい風が吹きつける音がする。カーテンは閉じられていて、窓はがたがたゆれていた。わたしは仕事を終えて、ヒーターの前でかじかんだ指をあたためている。小さな電気ヒーターは、仕事部屋全体をあたためることはできない。キーをたたきすぎて爪が割れ、指先は麻痺している。作業に集中していると、寒さも痛みもなにも感じないまま数時間が経過していることがある。それらは終わった時、まとめてやってくる。わたしはその夜、部屋が冷え込んでいることにようやく気付き、ぶるぶると震えながら、マウスを操作して、ブラウザで古いメールを開いた。それはちょうど数年前のその日、彼女に送ったメールだ。

ーーあなたがいなくなって、さみしく思っています。

彼女とは、Google+というSNSに参加していた頃に知りあった。わたしと彼女はそれなりに親しくしていた。わたしは彼女の本当の名前や、職業は教えてもらっていなかったが、わたしはなぜか彼女のことを友人だと思っていて、彼女からも無形の好意のようなものを感じていた。ゼロ年代からネットにいるような読者なら経験があると思うが、ネットでは、ひとはふと誰かとめぐりあって、相手の気持ちをなぜか理解してしまったりすることがある。そして名前も知らないまま、いつのまにかほんとうの友達になってしまったりすることもある。彼女とはそういう関係になれるような気がしていた。もちろん気がしていただけで、わたしが間違っていたのだ。

彼女はある日、だれにもなにも説明せず、とつぜんネットからもSNSからも姿を消した。わたし本人も、その後とある恥ずかしい事件があってからGoogle+からは完全に撤退することになるのだが(そのうち書く機会もあるだろう)、当時、彼女がいなくなったことをとても寂しく思った。そして同じように感じているひとが他にもいたことを知って、しばらくしてから彼女にメールを送ったことがあるが、もちろん返事はなかった。これから会うこともないだろう。ひとが付き合いをやめる理由はさまざまなものがある。それを詮索するのは、たぶんやってはならないことなのだ。出会いもあれば別れもある。だが……彼女との別れは、どこか気になって、こころのどこかにひっかかっていた。

ある時、わたしが契約している動画サービスで、趣味のホラー映画鑑賞をしていた時(わたしは居間でこうした動画を見るのが好きだ)、あるアニメ作品を見かけた。それは「僕は友達が少ない」という作品で、その時わたしは、彼女がまだSNSをやっていた頃、何度もこの作品をわたしに見てほしい、ぜひ感想を聞かせてほしい、と繰返しいっていたことを思い出した。ついでにいうと「原作の小説を読むように」と彼女はなんどもくりかえしていて、このひとはなぜこんなに強烈にこの作品を推すのだろう、と不思議に思っていた。結論から言うと、わたしはそれを観なかった。他にさまざまな問題を抱えていた当時のわたしは、それをさして重要なものだとは思わなかったのだ。

わたしはその作品を夜中までぐらいまでかけて観た。それは「友達が少ない」高校生同士が友達をつくるための部活をつくる、という内容のコメディ作品だった。とくに興味を引いたのは、かつては幼なじみだった男女二人の物語だったが、幼い頃、女は自分の性別を隠して男として相手と付き合っていた。つまりその頃二人は「友達」だった。だが、高校生になり、女は女にならざるを得なかった。よって、友達に戻ることはできず、過去の友情も取り戻せず、そこには新たな男女の関係を模索するほかないくるしい現実が待っている、という筋立てで、その喪失感には奇妙な手応えがあった。表向きはコメディを装っているが、これは男女間の友情についての物語なのだ、ということを思った。

わたしは消えたテレビの前に座っている。朝はまだ遠い。もうすこしはやくこの作品をみていれば、彼女は突然消えたりしなかったのではないか、という直感めいた思いがあった。もちろんそれは仮定の話にすぎないが、ひとつだけ間違いないことは、当時わたしはこれを観るべきだった、そして彼女にその感想を伝えるべきだった、ということだった。本を友人に送るということは、その本の記憶を共有したいということ、あるいはそこに書かれた物語についてともに考えるということにほかならないはずだった。それはかけがえのない機会であり、絶対に逃してはならないものだったのだ。

男女の間に友情など成立するはずがない。だがそれを求める気持ちがあって当然ではないか。わたしも当時それを求めていた。わたしが欲しかったのは不特定多数の夜の相手ではなくひとりだけでよい友達だったのだ。そのことをいまある痛みとともに思い出す。性差をこえた理解や共感がなければ、いくら夜の相手がいたとしても、わたしたちは死ぬまでひとりぼっちなのだ。そしていつも、「すべきだったこと」をその時知ることはできない。かならず後になってわかるのだ。自分は、ほんとうはこうすべきだったのだ、と。

窓は曇っている。夜は、いつ明けるのだろう。