2017-06-19

真剣な病気

書くのは楽だが校正はつらい。夜になって、ふたたび机に向かっている。それしかできないので、家事以外の時間は机に向かうしかない。印刷し、再読し、間違いがあるかどうか確認する……のだが、読み返す気にならない。もっとはっきりいうと読み返したくない。

だが仕事なので仕方なく読み返す。携帯端末で読める文章を書くのもいいが、手に取れる物理的媒体としての紙の雑誌や本もやはり必要だ。過去十年、わたしは紙媒体にする努力をどちらかというとさぼってきた。そのつけをいま支払っているということになる。

努力、というものは、正しい方向でやらなければ、ただ時間が浪費されてしまう、と頭の表層では思うが、「無駄」とか「浪費」といった単語に過度に反応してしまうことこそが避けなければならないことで、むしろ無駄なものこそがおもしろいといわなければならないのだろう。

机で原稿を読み返していると、外を十代の少年たちがなにやら奇声をあげながら走ってゆくのが聞こえる。おそらく楽しくて仕方ないのだろう。だが外からみればそれは病気にすぎない。真剣に無駄なことをする、それもやはり病気というほかない。