2017-06-02

近所にあった郵便ポストのためのエントリ

近所にある小さなショッピングセンター、というより、小規模小売店が数店舗集まった空間が閉鎖され、ごみ置き場と化してしばらく経過した。噂では閉鎖に関して店舗側と地主はかなり揉めたらしく、おそらく地主が強行手段に出たのだろう、店舗は突然閉店し、現在はその駐車場跡地にごみが散乱し、殴り書きで「立ち入り禁止」と書かれたブリキ板が道の入口に放置されている。地主はなにかしらの病気なのかもしれない。

わたしがたまに利用していたイタリア料理店、床屋、八百屋、パン屋も、立ち退きを余儀なくされたようだ。地方のよくある一シーンでもある。コンビニチェーンと大規模店舗(またはアマゾン)のみが生き残ってゆく光景だ。これで今後地主が更地にする努力をしなければ(そしてごみの放置を見るとなにもされない可能性は高いが)、立派なシャッター商店街のできあがりというわけだ。

コンビニと大規模ショッピングモールとアマゾンしかない社会は便利で悪くないといえば確かにその通りで、わたしも便利に使っているわけだが、地元の個人事業主がやっている店で見知った顔と交流できる昭和的な空間が現実から次々に消失してゆくことに一抹のさみしさも感じる。だがもちろん、フェイスブックやツイッターがあれば、実のところ雑談相手には困らないのかもしれない。おそらく探せばいまは行方不明の店舗のひともネット経由で見つかるだろう。

だが閉鎖によって一番困ったことは、つい先日気がついたのだが、ショッピングセンターの敷地内にあった郵便ポストが撤去されたことだ。S誌やY誌に原稿を送るとき、「こんな経済的には価値のない作品を、載せてもらったしてなんの意味があるのだ」と、いつも思っていた。自分にとっては価値がある作品が、社会に投擲したとき、それは無価値なものとして扱われてしまうからだ。

現代詩に限らずシリアスな書き手は、社会の「おまえは無価値だ」という声とたたかわなければならない。わたしがとくにこの数年、そのたたかいの中で何千枚もの原稿を書き上げることができたのは、このポストが偶然近所に設置されていたからだ、といえる。雨の日も、晴れの日も、雪の日も、常にそこでわたしの原稿を待っていてくれた。さようなら、郵便ポスト。さようなら、たたかいの日々。