2017-06-22

優しくないものたち

仕事の合間に買い物に出かけて夏物のスラックスを何本か仕入れて、職場に戻ってきて自民党の女性議員が暴言で辞職したというニュースをみている。テープも一部聴いてみて、あまりのひどさに正気を疑ったが、いったいふだん職場たる自民党ではどんなひどい目にあっているのだろうと思ってしまう。プライドや尊厳をあらゆる意味で踏みにじられる非人間的な職場に勤めていなければ、自分よりも弱いものをここまで執拗に攻撃しようとはしないだろう。人間、自分がやられたことしか、ひとにできないものだ。

こうした負の連鎖は止めることができないし、たとえば自分が誰かに寛容にしたとしても、それを相手が感謝するかというとほとんどそんなことはなく、むしろ舐めてかかってくることがほとんどで、さらにいえば「優しさ」に甘えてもたれかかってくることがほとんどではないだろうか。つまり人間、嫌なやつになって、自分のいいたいことだけをいって、相手のいうことはいっさい耳を貸さず、怒鳴り散らしてひとにいうことを聞かせる人生がいちばんお得……ということかもしれない。そう思って苦笑してしまう。

上記と矛盾するようだが、わたしは、どこかの作家が言っていたが、優しいひと、が最終的には勝つと思う。舐めているひと、思い上がっているひと、馬鹿にするひとを打ち負かすと思う。現実をみればそんなことはない、と読者はいうかもしれない。それはわかる。だがそれでも、わたしは優しさを守り抜けるひとこそが強いと思うし、人生の究極的な一面において、優しいひとこそが最終的に幸せに生きられるのだ、と思っている。ひとを傷つけることでしか自らの傷をいやすことができないひとたちは、端的にいってかわいそうなのだ。