2017-06-17

勝嶋啓太の詩を紹介します

薄曇りの道を予約したケーキをぶらさげて帰ると、郵便ポストに、某クラブで知り合った詩人・勝嶋啓太氏より朗読会の招待状が届いていた。わたしは氏の作品が好きで、ゼロ年代に青春を過ごした、あるいは現在進行形で青春をおくっているひとびとのこころに鋭く刺さるのではないかと思う。招待状には詩がひとつ、新作と思われるものが同封されていた。

ぼくたちは もうずいぶん長いこと 歩いてきたのだ
だけど
いまだにどこにたどりつくのか
さっぱりわからない
わからないまま

ぼくたちは もうずいぶん長いこと 歩いてきたのだ

(///)

ずいぶん前に 誰かが
そろそろ もどった方がいい と言ったが
ぼくたちは それは間違ってる と思っていたので
無視して 前に進んできた
でも

今は もう もどりたい とぼくたちは思っていた

(///)

もう みんな 前に進むことに うんざりしていたのだ
しかし もどろうと 後ろをふりかえったら
そこには なにも なかった

ぼくたちは もう もどれなくなっていたのだ

勝嶋啓太 「ぼくたちは もうずいぶん長いこと 歩いてきたのだ」


「前」はどこか。それにむかって進むことはわたしたちを幸せにしたのか。前にたどりついたわたしたちは幸せになったのか。そして前にすすむために犠牲にしたものたちはどうなったのか。よそ見をしないでまっすぐ進んできたときえらばなかった脇道にはどんなうつくしいものがあったのか。この詩はそういう問いをわたしたちになげかける。氏の作品にはどれも、「いま・ここ・わたし」についての同時代性が色濃く出ていて、読んでいてつらく、直接こころに届く平易な(意図的に選択された)文体は、幅広い共感を得られるのではないかと思う。

詩を音読して、「そうだ、なにもなかったな」とつぶやく。そう、そこにはなにもなかった。そしてもどることもできない。そのつらさは、現代に生きる(そしてひょっとしたら他の先進国に生きる)数多くのわたしたちの人生に共通するものではないかと思う。いきることは失うこと。そして失ったことそのものを失うことなのだ。