2017-06-15

意味のない千の夜

今日もずっと机に向かう通常通りの一日だった。暑くもなければ寒くもない。わたしもすべてのひとと同じように仕事はしているがそれ以外にはなにもあたらしいことはなく、なにも古いものもなく、ただ時間が浪費されている、ような気がする。もちろん時間というのは浪費できるものではない。そんなことをいえば人生そのものが浪費にすぎず、ただ生Aから死Yへ向かう動きの影にすぎないはずだが、いつでも意味を求めたがるものだ。

赤ん坊をみているとこの子はどこから来たのだろうと思うしどこか敬虔な気持ちになるが、しょせん死んだら土になるだけでありそれは道で死んでいる猫や犬となにが違うのかと自問するとなにも違わないという答が自分のこころからかえってくる。冷蔵庫の中には獣を殺してさばいた肉がたくさん冷蔵保存されていて夕食には豚肉を食べた。殺して食べる。食べなければ死ぬ。食べても死ぬ。赤ん坊はミルクを飲まねば死ぬが飲んでも病気で死ぬ。

ニュースでは、幼稚園で二人の子供が感染症で死んだ、と伝えている。自分が親だったらどうするか。いや、自分は果たして親なのだろうか。そんな資格があるのか。戸籍上は親だがいつから親のような顔をしはじめたのか。あなたにそんな資格があるの、このひとでなしとわたしを責める声がきこえる。

窓を閉める。なんの意味もなくとも、仕事をしなければならない。