2017-06-10

包丁を磨ぐ(またはそのふりをする)

土曜日なので近くのショッピングセンターまで買い物に出かけた。いつも使っている包丁のメーカーがセールで出店していて、手持ちの包丁を磨いでくれるというハガキが来たのでそれも持参する。毎日毎回使っているので刃こぼれなどがあるが、店の人間に見てもらったところ、さほど鈍っていないとのことだった。以前このメーカーの同じ担当者にまな板は木製でないと刃こぼれしやすいというアドバイスを受けて、それ以来気をつけるようにしておいたのが良かったのだろう。

包丁ももちろんそうだが、道具はきちんと使わないとその力を発揮できない。保管、保存といったメンテナンスもそうだ。わたしも年をすこしずつ取って、自分の肉体を一個の機械としてみなすようになり、どうせ必ず壊れるのだから、これはケアしながら、壊さないように使わねばならないと思うことが増えた。ひとの身体は機械にすぎないというのは祖父がいっていたことだということを憶えているが、ほんとうにその通りだと思う。

壊れたものはもとには戻らないし、下手な使い方をすれば壊れる速度は早まる。包丁が磨がれて手元に戻ってきて、そういうことを思う。道具や機械は、明確な形で、つまり科学的に、だれがやっても同じ条件で、「上手」や「下手」な使い方というものを区別することができる。一方、人生はどうだろうか。人生の上手な下手な使い方を区別することができるだろうか。なにが下手な人生で、なにが上手な人生なのだろうか。そういうことを、磨ぎ上がった包丁の表面をみながら思う。

できれば上手に生きてゆきたい。だが、わたしたちは、きっとみな馬鹿なのだろう。