2017-07-12

外へのプロトコル

子供が生まれてから朝方の生活にシフトしている。親が深夜まで起きているとそれに伴い子供も起きているようになり、子供の生活リズムが作れなくなる。自分は深夜がいちばんすきな時間帯なのだが、なかなかそうもいっていられないようになった。携帯電話も一日の半分はオフにするようにして、自分の時間のコントロールをとりもどしてゆく作業を粛々と行う。こうして生活というのはどんどん変化してゆくが、かつて大事にしていたものが変化ともにうしなわれていく感覚はそんなに悪いものではない。空隙を埋めるなにかが手に入っているからだ。自分の時間はいちばん大事な仕事と、それから子供のためのものであり、それ以外のいかなる第三者または組織の利益のために使うべきものではないということを思うようになった。そして思うだけではなくそれを実現してゆく、そして実現するためにまずはことばにしてゆく、というプロトコル=手順がある。わたしにいわせれば世の中のありとあらゆるもめ事はことばを軽視すること、あるいはことばの力をナメていることから生じているが、より具体的にいうならばそれは「曖昧模糊としたみえない概念をことばにする努力をする」ことでもある。ライオンはライオンと名付けられる前はジャングルに潜む不気味な怪物だったが、ライオンという名前が与えられたことで単なる動物に貶められた、と書いたどこかの哲学者の例をあげるまでもなく、ことばにできないものをことばにしようとすること自体は容易なものではないが、一度成功すればその効果は大きい。ことばにあふれているようにみえる2017年のネット空間に足りないものはことばにしなければならないものたちであり、この場にあふれているのは手あかにまみれたクリシェと閉鎖的な村社会でしか通用しないジャーゴンばかりであるということはいえる。《いまこの場》に存在しないものにことばを与えなければならない。つくづく生きるのが難しい時代だということを思うが、その難しさについてかたちを与えるために、蛸壺化した限られた場所にとどまることなく、ブログという誰にでも表面上は読める形式を大事にしてゆきたいと思っている