2017-07-02

夏の大きなお世話

七月になった。だんだん暑くなってきて、夏が好きなので精神的に高揚してくる。どんなものでも書けるし評価もされるような気がする。もちろん気がするだけでまったく評価されない のだが別にいいのだ。なぜならそもそも場が疲弊しており、社会が疲弊しており、個人が疲弊しており、「読む」という営為が縮小しマーケットが滅びつつあるのだから、みなが同じことにくるしんでいて、わたしもまた例外ではなく、その認識自体はそんなに悪いものではない。みな読まれないという困難な時代を生きているということだ。ネットで共感や理解を排除した上でさらになにか書こうとすればそうならざるを得ない。それでいいのだ。

と、いっても別にわたしは悲壮感にあふれているわけでもなく、きわめて楽観的に生きているし今日も書いている。ただ同業者たちの顔は暗く、もっというならネットで明るく振るまう笑顔や「お世話になっております」は暗い。まあ、それはそうだろう。だが敵を間違えずにゆこう。敵は自民党でも、安倍政権でも、都民ファーストでも、民進党でも、共産党でも、ネトウヨでもサヨクでもなく、さらにいうならばそれは親でも、共同体でも、世間体でも、うつくしい国でも、この世に存在するありとあらゆる事象でもなく、それらがあらわすものではない。敵はおもしろいものを書こうとするものを邪魔するなにかであり、多くの場合それは鏡に映った(またはけして映らない)自分自身の像だ。

あなたもまたなにもかもに《この社会》におまえは無意味だといわれているのだろうか。
ここで「汝の隣人を愛せよ」、ということばにジジェクはどう返したか思い出そう。「大きなお世話(ノー、サンクス)」だ。