2017-07-24

理解や共感のあちら側

午前に永田町で打ち合わせ、それから帰りに銀座のアップルストアに寄った。例のワイヤレスイヤフォンは全部売り切れだったがサンプルがあったので視聴はさせてもらった。耳につけて頭を動かしても不思議と落ちない。かなり購買意欲が向上したがこれからお金がかかるイベントが目白押しなので自粛して家にまっすぐ戻る。帰宅してすぐに手などを消毒し、子供を風呂に入れて、机に戻ってきてメールを何本か書く。それからひさしぶりに知己のブログをまじめに読むとおもしろかったので感想を書きたいと思ったのだが……ネットにおける文章のおもしろさが「わかる」や「共感」であるならば、わかりもしない、共感もされえない感情の居場所はどこにあるのだろうか、ということを思う。もちろんどこにもない、ということが回答であり、どこにもない、ということを書く人間がもっと必要かもしれない、ということを思った。より具体的にいうならばこの清潔なネット(と社会)には醜いものの場所が相変わらずない。「ないならつくればいい」などという希望を語る前に、まずその現実が共有され理解されていなければその希望とやらは単なるたわごとにすぎないのではないか。だがそれについて書くには疲れすぎたので明日以降にすることにする。疲れた。