2017-07-03

わからないもの

夕暮れが近い。蒸し暑いが、様々なことが片付き、気持的には爽やかな午後だ。某紙の編集長から書評依頼がハガキで来たのでその文面を眺めながら窓の外をみている。

それは「やさしい言葉でわかりやすく書くことを心がけた」という詩人の本だという。やさしいことばでわかりやすく書く、とはどういう意味だろうか、と考える。やさしいことばでわかりやすい文章が、たとえばネットにはあふれているのではないだろうか。読みやすく「共感」しやすい文章が、たとえばネットにはあふれているのではないだろうか。

だがそうすることによって、もっとも大事なことが失われているのではないか。それは「わからない」ことをわかる、というシンプルなことなのではないか、ということを思う。そしてもちろん、「難解な言葉でわざと分かりにくく書く」衒学的な作品のつまらなさ、ということも同時に想起する。どちらがよいのか。

誰でも知っていることばで、わかりやすく書こうとすることは必要だ。だがその結果、文章は必ずしも「わかりやすく」なるとは限らないのではないか。困難に困難を重ねて必死に書いたものが、やはりわかりにくくなってしまう。そういうことはあるのではないか。そういうことを思う。難解さが必然であるような作品はある。そういうものを読みたいし、そういうものを評したい、ということを思う。

思っているうちに日が暮れる。自分のこともわからないのに、わかった気になるものだ。