2017-07-29

負けてみせる

都心にて某編集部のOさんと打ち合わせ。わたしが好きな作家が自分の半分ぐらいの背丈の女性詩人にこてんぱんに口論でやられたという話をきけておもしろかった。きちんと負けることができる人間は好きだ。いろいろごまかして言い訳をして取り繕うのはみっともない、というのは美意識の観点からのみ考えた話で、負けを認めるためには知性や勇気や覚悟といったさまざまな人間性の諸要素が問われ、それができるというのはたいしたものである。

いまわたしが思い出すのは、何年か前、過激な発言で知られる某作家がコメント欄で若者にぼろぼろに挑発され論破されていた時のことで、それをあるアルファブロガーが「かれはきちんと負けていて立派」と評したことだ。そのことをたまに思い出すが、それはつまり、コメント欄できちんと匿名の第三者と相対して負けてみせたこと(本人は相手を打ち負かすつもりだっただろうが)は誠実だ、ということではないだろうか。これを別の言い方でいうと、ネットで誰も読まないようなものを書いて社会に完全に無視されることは負けかもしれないが、その負けている様子をきちんとさらしてみせること、が大事なことであるような気がしている。

無敵のひとだらけのネット(と社会)で負けてみせるということは大変なことだが、一方、わたしはちょっと美味しいオリーブ油をひとにいただいて、なんとなく誰かに勝った気になってサラダを食べた。それからなにもかもに疲労を感じながら皿を洗って今日も机に向かうのだった。