2017-08-09

何もいわず励ましあわない

夏本番。あまりの暑さに蝉の声すら聞こえなくなった。わたしは南国育ちなのでむしろ元気だが、読者諸氏におかれましては熱中症等に気を付けて業務と生活を行っていただきたい。ブログなどを昼間から読んでいると健康に悪いのでやめましょう。

先日、おもしろいものをおもしろいというのはむずかしいと書いたが、自分のことをひるがえって考えても、知りあいであればあるほど、関係が近ければ近いほど「おもしろい」とはいいにくいということは思う。端的にいうと恥ずかしいので、研究会(という名前の飲み会)で隣に座っても、何もいわないで天気の話をしたりしていたりする。このままでいいのかと思いつつ料理の話などすることが多いので、やはり難しい。わたしも好きな作家や尊敬している作家はいるが本人には絶対にいいたくない。対面やツイッターでは難しいけれども、なんというか、ブログだと正直に書ける気がする。不思議なものである。

なにかを作れば感想がほしくなる。感想のつぎは社会的評価がほしくなる。社会的評価には経済的なもの以外にも芸術的なものがありそのどちらも欲しくなる。これらが欲しいのは自然なことで当り前のことだが、欲しいといいながらひとに前者を与えることはなかなかしないのが現実だろう。だがまず自分からやっていくほかないと思う。ネットにそれなりにおもしろい書き手がたくさんいた時代には相互批判にも価値があったが、それはそれなりに影響力があるものを批判することに意義があったからだ。影響力を失ったものを批判するのは死体を辱めるのと同じである。もし読まれるということの力が失われているのであれば、そういう不遇の時代には、批判ではなく、励ましあうことが必要だ。

わたしは応援(Endorsement)ということばをここで使いたいが、残念ながら、かつて可能だったような形で、ネットで応援を可視化するのはもう無理になったのかもしれない。それはもっと属人的な、アナログな形でしか無理なのかもしれないということは思う。インターネットにかつてあった夢や期待は損ねられ、残ったのは、底なしの悪意だけだった。懐かしいとは思わないが、さみしさはある。それを書くぐらいのことはゆるされるだろう。